第1016話 聖貴族の不満
統一歴九十九年五月十日、昼 ‐
ルキウスはリクハルドの名を聞くと口を少し尖らせ、鼻を掻きながらフーっと長く息を吐いた。
アルトリウシアは新興領地だ。領内各地域を治める地方行政官たる
裏社会の人間を郷士に取り立てたグナエウスも当初こそ彼らと共に白眼視される傾向があったものの、彼らがそれなりの実績を積み上げるにつれてそうした評価はひっくり返り、今ではグナエウスの人材登用術には高い評価が下されるようになっているほどだ。彼らのやり方が問題にされることがなかったわけではいが、裏社会出身とはいえ数十人から数百人もの私兵を
その三人の郷士の中でもリクハルドは別格とされることが多い。元海賊でアルビオンニウムに進出してきた際は急速に勢力拡大し、戦闘力の高い武闘派新興ギャングとして知られていた。そして海賊退治に参加する際は率いていた手勢は最も少なかったくせにヘルマンニと協力して海賊の根城に
他の二人はというとアルビオンニウムでは名の知れたギャングではあった。数百人もの私兵を率いて海賊退治に参加したのだから下手な
開発された土地の面積、住民の数、税収……それらを比較すると三人の郷士の差はそれほど大きくはない。が、質の面では明らかにリクハルドが頭一つ分以上は抜けている。先月の
有能……そう言って間違いないだろう。だが、有能な人間が常に歓迎されるわけではない。特に彼は出自が出自なだけに、レーマ貴族の間では評価が分かれていた。
「リクハルド卿がスパルタカシウス卿へ面会をねぇ。」
「目的はもう分かっておる。」
ルクレティウスはそう言うと一枚の紙の取り出し、ルキウスの前へ差し出した。ルキウスはそれを手に取り、ちらりとめくって蝋封を確認するとそれに書かれた文面に目を通し始める。それはアルトリウスからルクレティウスへ宛てた手紙だった。目を細めて手紙に目を通し始めたルキウスにルクレティウスは状況を説明しはじめる。
「問題はあの
リクハルド卿はアルトリウスの依頼で新聖女様に関する噂の揉み消しを行っておるらしい。そのために私の
「活動?
何かやらせていたのかね?」
「新聖女様の御身辺を少し……な」
ルクレティウスは表情こそ抑えていたが声色は面倒くさそうだ。それはそうだろう。元々ルクレティウスはリクハルドに対してあまり良い印象を持っていない。そしてそれはリュキスカに対しても同じだ。
ルクレティウスは父として、娘ルクレティアに対してはリュキスカと仲良くするように言いはしたが、彼自身は娘ルクレティアの障害となるリュキスカという存在に対して強い警戒心を抱いていた。
降臨者スパルタカスの血統を誇る聖貴族ルクレティウスからすれば、どうしてもその人物の由緒血統はその人物への評価に影響を受けざるを得ない。なのにリュキスカは血統どころか父親が誰かさえ不明であり母親も出自が不明だ。おまけに母も自身も母子揃って娼婦で、母と同様に父親が誰かもわからない子供を産んでいる。まさに野犬のごとき所業ではないか。それが降臨者 《
つまりルクレティアにリュキスカと協力するように言ったのはルクレティウスの本音ではなかった。ルクレティアが不用意に敵対的な態度をとることで、現在の己の立場を不利にしてしまわないようにするための、いかにも貴族らしい感覚から出た方便でしかなかったのだった。
ルキウスは改めて額に手を当て、溜息を噛み殺す。
「それで、相談とは何ですかなスパルタカシウス卿?」
既にルキウスはルクレティウスの内心を察している筈だ、二人の付き合いは短くはない。そもそもアルビオンニア属州にルクレティウスと対等に口を利けるような
「何とかなりませんかな、アルトリウシウス子爵閣下?」
ルキウスは難しそうな顔を作ると、読み終えたアルトリウスの手紙を
「何とかと言われましても、スパルタカシウス卿が何をどう
ルキウスはあえてルクレティウスと目を合わせることなく、いかにも頭の痛い問題を持ち込まれたとでも言う風に目を閉じ両手でコメカミを押さえる。ルクレティウスは口をムニュムニュさせて喉の奥で低く唸り、それから意を決したように身を乗り出した。
「リクハルド卿の求めるところは面会するまでもない。私も分かっておるさ。
何とか断ることはできんかね?」
ルキウスは表情を変えることなく無言のまま目を開け、ルクレティウスへ視線を向ける。そして口をきつく結んで首を小さく振った。答えは口にするまでも無い、否定である。
ルクレティウスは面白くなさそうに上体を引いた。
「《
それは
「わかっておるさ!」
勘弁してくれとばかりにルクエティウスは天井を見上げ、両手を開いて見せた。
「別に《
私とて
「ならば
ルクレティウスに同情を示しつつも渋面を崩さないルキウスに、ルクレティウスは身を乗り出して詰め寄った。
「いつなら良いというのだ!?」
「お分かりの筈です。」
折れる気配を見せぬルキウスにルクレティウスは顔を逸らしフーッと溜息をついた。視線は自然と窓へ……その外の
「それでは……遅いのだ。」
ルクレティウスは苦々し気に吐露した。
リュウイチの降臨の秘匿は帝都レーマから、あるいはムセイオンから対応の指示があるまでだ。それはおそらく三か月くらいかかるであろうと見積もられている。
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