第1016話 聖貴族の不満

統一歴九十九年五月十日、昼 ‐ティトゥス要塞カストルム・ティティ・ルキウス邸/アルトリウシア



 ルキウスはリクハルドの名を聞くと口を少し尖らせ、鼻を掻きながらフーっと長く息を吐いた。

 アルトリウシアは新興領地だ。領内各地域を治める地方行政官たる郷士ドゥーチェには、元々土着民がみついていた地域はヘルマンニのようにその土地の代表者が任命されているが、全くの更地だった地域には初代領主グナエウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵の協力者たちが任命されている。その中でも異端と言って良いのがアンブースティア地区のティグリス・アンブーストゥス、リクハルドヘイム地区のリクハルド・ヘリアンソン、そしてアイゼンファウスト地区のメルヒオール・フォン・アイゼンファウストだ。彼らは元々カタギの人間ではなく裏社会の住民たちであったが、グナエウスの海賊退治に協力した功績から騎士エクィテスに取りたてられ、同時にそのまま郷士に任じられた過去を持っている。この三人は当初、誰からもどうせ上手くできっこないと思われていたのだが、どうしてどうして意外なほど自分の管轄地域をしっかりと統治し発展させてきた。

 裏社会の人間を郷士に取り立てたグナエウスも当初こそ彼らと共に白眼視される傾向があったものの、彼らがそれなりの実績を積み上げるにつれてそうした評価はひっくり返り、今ではグナエウスの人材登用術には高い評価が下されるようになっているほどだ。彼らのやり方が問題にされることがなかったわけではいが、裏社会出身とはいえ数十人から数百人もの私兵をまとめ上げて戦に加わり、まがりなりにも功績をあげてみせたのだから無能ではなかったということなのだろう。

 その三人の郷士の中でもリクハルドは別格とされることが多い。元海賊でアルビオンニウムに進出してきた際は急速に勢力拡大し、戦闘力の高い武闘派新興ギャングとして知られていた。そして海賊退治に参加する際は率いていた手勢は最も少なかったくせにヘルマンニと協力して海賊の根城にからめ手から奇襲をしかけ、最大の功績を挙げている。郷士に任じられた際はもっとも不利な土地をあえて選んでおきながら、その中心地たる《陶片テスタチェウス》は現在アルトリウシアで最も治安が良く、最も栄えた街にまでなった。

 他の二人はというとアルビオンニウムでは名の知れたギャングではあった。数百人もの私兵を率いて海賊退治に参加したのだから下手な貴族ノビリタスなぞより有力な存在だったと言っていいだろう。だが戦場では海賊相手とはいえ強固に要塞化された防護陣地へ正面から挑んだのだからさすがにそれなりの損害を出している。そして郷士に任じられた際はそれなりに有利な土地を与えられたわけだから、それなりの街に発展させてもいる。ただ、リクハルドが最初から今の完成形を明確にイメージして地質改良から地道にやっていたのに比べ、計画性らしい計画性も無く行き当たりばったりで人を呼び込んだだけあって、バラックの連なる貧民街がそこかしこに広がり、治安はお世辞にも良いとはいえない。特にフライターク山が噴火してアルビオンニウムから大量の避難民が流れ込んでからは余計である。

 開発された土地の面積、住民の数、税収……それらを比較すると三人の郷士の差はそれほど大きくはない。が、質の面では明らかにリクハルドが頭一つ分以上は抜けている。先月のハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱に対する対応でも、リクハルドはもっとも有効に対応し、ハン族が襲った地域の中で唯一損害らしい損害をほとんど出さなかった。それどころかハン支援軍の将、ハン族の族長ムズクの弟オクタルまで討ち取るという大戦果を挙げてハン支援軍を海へと追い払っている。


 有能……そう言って間違いないだろう。だが、有能な人間が常に歓迎されるわけではない。特に彼は出自が出自なだけに、レーマ貴族の間では評価が分かれていた。 


「リクハルド卿がスパルタカシウス卿へ面会をねぇ。」


「目的はもう分かっておる。」


 ルクレティウスはそう言うと一枚の紙の取り出し、ルキウスの前へ差し出した。ルキウスはそれを手に取り、ちらりとめくって蝋封を確認するとそれに書かれた文面に目を通し始める。それはアルトリウスからルクレティウスへ宛てた手紙だった。目を細めて手紙に目を通し始めたルキウスにルクレティウスは状況を説明しはじめる。


「問題はあの雌狼犬リュキスカ……と言ったか? 新聖女様だ。

 リクハルド卿はアルトリウスの依頼で新聖女様に関する噂の揉み消しを行っておるらしい。そのために私の神官フラメンたちの活動の自粛を求めるつもりのようだ。」


「活動?

 何かやらせていたのかね?」


「新聖女様の御身辺を少し……な」


 ルクレティウスは表情こそ抑えていたが声色は面倒くさそうだ。それはそうだろう。元々ルクレティウスはリクハルドに対してあまり良い印象を持っていない。そしてそれはリュキスカに対しても同じだ。


 ルクレティウスは父として、娘ルクレティアに対してはリュキスカと仲良くするように言いはしたが、彼自身は娘ルクレティアの障害となるリュキスカという存在に対して強い警戒心を抱いていた。

 降臨者スパルタカスの血統を誇る聖貴族ルクレティウスからすれば、どうしてもその人物の由緒血統はその人物への評価に影響を受けざるを得ない。なのにリュキスカは血統どころか父親が誰かさえ不明であり母親も出自が不明だ。おまけに母も自身も母子揃って娼婦で、母と同様に父親が誰かもわからない子供を産んでいる。まさに野犬のごとき所業ではないか。それが降臨者 《暗黒騎士リュウイチ》に見初みそめられて聖女となり、よりにもよって大切な一人娘の最大の障害として立ちはだかったのだ。良い印象など持てるわけがない。

 つまりルクレティアにリュキスカと協力するように言ったのはルクレティウスの本音ではなかった。ルクレティアが不用意に敵対的な態度をとることで、現在の己の立場を不利にしてしまわないようにするための、いかにも貴族らしい感覚から出た方便でしかなかったのだった。

 ルキウスは改めて額に手を当て、溜息を噛み殺す。


「それで、?」


 既にルキウスはルクレティウスの内心を察している筈だ、二人の付き合いは短くはない。そもそもアルビオンニア属州にルクレティウスと対等に口を利けるような上級貴族パトリキは限られ、ルキウスはその一人なのだ。ルクレティウスはその貴重な伝手つてを頼り、決して表沙汰おもてざたには出来ぬ相談ごとを内々に片づけてもらいたいと期待をかけているというのに、ルキウスはその期待に応えてくれない。それどころかこのに及んでなおも公人として態度を意図して保っていることにルクレティウスは顔をしかめた。


「何とかなりませんかな、アルトリウシウス子爵閣下?」


 ルキウスは難しそうな顔を作ると、読み終えたアルトリウスの手紙を円卓メンサの上へなかば投げるように無造作に置いた。


「何とかと言われましても、スパルタカシウス卿が何をどう御所望ごしょもうなのですか?」


 ルキウスはあえてルクレティウスと目を合わせることなく、いかにも頭の痛い問題を持ち込まれたとでも言う風に目を閉じ両手でコメカミを押さえる。ルクレティウスは口をムニュムニュさせて喉の奥で低く唸り、それから意を決したように身を乗り出した。


「リクハルド卿の求めるところは面会するまでもない。私も分かっておるさ。

 何とか断ることはできんかね?」


 ルキウスは表情を変えることなく無言のまま目を開け、ルクレティウスへ視線を向ける。そして口をきつく結んで首を小さく振った。答えは口にするまでも無い、否定である。

 ルクレティウスは面白くなさそうに上体を引いた。


「《暗黒騎士リュウイチ》様の御降臨の秘匿は最優先事項です。

 それはけいも御同意なされた筈。」


「わかっておるさ!」


 勘弁してくれとばかりにルクエティウスは天井を見上げ、両手を開いて見せた。


「別に《暗黒騎士リュウイチ》様の秘匿を危うくしようとは私も思わん。

 私とて聖貴族コンセクラートゥム……聖女サクラルクレティアの父だぞ!?」


「ならば御自重ごじちょうください、スパルタカシウス卿。

 けいがリュキスカ様のことを御知りになりたいお気持ちは私も深く理解するところですが、しかし今は時期が不味まずい。」


 ルクレティウスに同情を示しつつも渋面を崩さないルキウスに、ルクレティウスは身を乗り出して詰め寄った。


「いつなら良いというのだ!?」


「お分かりの筈です。」


 折れる気配を見せぬルキウスにルクレティウスは顔を逸らしフーッと溜息をついた。視線は自然と窓へ……その外の庭園ペリスティリウムへ向けられる。


「それでは……遅いのだ。」


 ルクレティウスは苦々し気に吐露した。

 リュウイチの降臨の秘匿は帝都レーマから、あるいはムセイオンから対応の指示があるまでだ。それはおそらく三か月くらいかかるであろうと見積もられている。

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