第119話 警備と奴隷と
統一歴九十九年四月十三日、夕 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア
一方がレーマ帝国、もう一方が敬典宗教諸国連合。拡大を続けるレーマ帝国の脅威にさらされていた国が、《レアル》から伝わっていたキリスト教、イスラム教、ユダヤ教を信仰する国々に対し、同じ敬典の民同士結集して対抗すべしと呼びかけて結成された一種の宗教同盟が敬典宗教諸国連合だった。
両陣営の対決は大戦争終結後、大協約体制に移行してからは付かず離れずの距離感を保った協調関係が続いている。
大協約が求める交流・・・即ち《レアル》叡智やメルクリウス情報の共有化と外交交渉等はもっぱらムセイオンを通してのみ行われ、両陣営間の貿易は行われてはいたが厳しく制限されており、商取引を行えるのは貴族階級かその代行者に限定され、なおかつ決済には金しか用いることは出来ない事とされている。
これは当時、両陣営でそれぞれ
帝国では銀は豊富だったが連合側と貿易が本格化すれば、本位通貨として流通させる分が不足する事が懸念されていた。
連合側では国によって銀の産出量に大きな隔たりがあり、中には銀を本位通貨として採用していない国もあれば、銀本位制を採用している国もあったが、陣営全体として銀の保有量は不足していた。
この状態で銀を決済に使うと《レアル》から伝え聞く「価格革命」のような混乱が生じかねない。
銀を持たない国は銀の価格が暴落して急激な物価上昇をまねき、銀を多く保有している既得権益者(貴族と教会)の多くが破滅する恐れがある。
逆に銀を持つ国では物価が急落して国内生産者が破産して経済が破綻する恐れがある。その生産者たちを多く抱える貴族たちも無事では済まない。
いずれにせよ大混乱が起こるのは間違いないが、その結果を誰も予測しきれない。
しかし、金については両陣営とも似たような状態だった。
産出量自体は国ごとに偏りがあるものの、依然から金での取引は行われていたのでどの国もある程度は保有している。そして金は価値は高いが本位通貨として平民の間で流通させるには絶対量が不足していた。
制限下で行われる貿易の決済で用いるには都合がよい。
そこで、決済を金でのみ行う事とし、銀や銅は貿易の対象から外した。貿易を行うのも貴族か貴族の委託または許可を得た商人に限定した。
このやり方はうまく機能していた。
まとまった金貨を扱えるのはそれなりの財力を持った貴族か御用商人だけである。小口の商人や国をまたいでインチキな商売をするような
何より、貿易による利益を貴族と貴族に癒着する御用商人たちでほぼ独占できるという旨味があった。
しかし、貿易規模が拡大してきた事で問題が生じた。
貿易額が金貨の総量を大きく上回っている事に誰かが気付いたのだ。
実際の取引は信用取引で行われており、年に一度決済する際に過不足分だけを調整するためにやり取りするだけなので金貨そのものはそれほど必要は無い。貿易総額が金貨の流通量の百倍を超えていたとしても、取引が滞るわけでは無い。
だが、そうした実態を知らない誰かが、貿易額に対して金貨の量が少ないまま貿易規模が拡大すれば金貨の価値が上がるに違いないと思い、金貨へ投資を始めてしまった。
噂が噂を呼んで金貨への投資が流行となってしまい、実際に金貨の価値が上がり始めてしまった。
金と銀の両方を本位通貨として使う
レーマ帝国ではすべての金鉱山と銀鉱山で産出する金と銀の生産量を管理することで金銀比価の安定を図ってきた。このような金貨への投資などという事態はこれまで全く想定した事が無かった。
金の価値が上がったのなら、金を増産するか銀を減らすしかない。
しかし、レーマ帝国内の既存の金鉱山は枯渇状態が続いていたし、国内経済は実質的に銀本位制であるため金の価格上昇に合わせて流通量を激減させることなど出来ない。
そこで考え出されたのが現在流通している金貨の中で最安のアウレウス金貨を廃止し、アウレウス貨を銀貨に置き換えようというものだった。
現在、金貨への投資に熱をあげているのは
アウレウス金貨が廃止されれば金貨への投資自体を諦めざるを得なくなる。
おまけに、廃止され回収されたアウレウス金貨をより高価なヌムス金貨、アルゲンテウス金貨、ソリドゥス金貨などに改鋳してしまえば、流通する金貨の額面上の総額を増やす事が出来、金貨投資の旨味も減少せざるを得なくなる。
アウレウス金貨へ投資してしまった連中は、金貨の代わりに現在のアウレウス金貨の相場よりは安いが十分な価値のある銀貨を手に入れる事が出来るため、投資家たちが極端な損益を出して破産してしまう危険性はある程度回避される。
目論見では金投資の旨味の減少と共に金相場は緩やかに下降していくはずだった。
だが、そうした目論見はリュウイチによって否定されてしまう。
その理由も納得のいくものだった。
アントニウスはそれを理解した時、足元が崩れていくような感覚に襲われたが、その直後にリュウイチから金の先物証券という解決策を得た。
それをそのまま採用できるかどうかはわからない。しかし、そこにアントニウスは大きな可能性を見出していた。
これは、まさに天啓だ。《レアル》の
色を失っていた顔がほころんでいくのをアントニウスは抑えきれなかった。
『大丈夫ですか?』
何か異様な雰囲気を感じたリュウイチが怪訝そうに
「あ、はい!
大丈夫です。ありがとうございます。」
『お役に立てたなら良かったのですが?』
「もちろんです!
そのまま実行できるかどうかは検討せねばなりませんが、リュウイチ様から頂いたアイディアは少なくとも私にとっての天啓です。
いや、さすが《レアル》の叡智!
この
アントニウスはそういうと深くお辞儀し、ホクホク顔で席に着いた。
『なら、良かったですが・・・』
「では、一つ問題が解決したということで、次に移ってよろしいですかな?」
ルキウスが問いかけると、アントニウスは「もちろんです。ありがとうございました。」と礼を添えて議事を進めるよう促した。
「それで、次にリュウイチ様とこの
「ハッ、リュウイチ様をアルビオンニウムから護衛してきた
議事進行役を務めるルキウスから指名されたアルトリウスは起立して説明を始めた。
「兵力は
かなりの大兵力である。
エルネスティーネとルキウスの衛兵を足した人数の数倍に達している。
『えっと、かなり人数が多いようですが・・・私が
「はい、人員については此度の降臨と降臨者リュウイチ様を秘匿する目的からも、既にこれを知ってしまった彼らを当該任務に充当する事は適当と判断します。」
つまり、
「続きまして、奴隷についてもこのまま説明させていただいてよろしいでしょうか?」
「あ、ああ、そうだな。」
アルトリウスはルキウスの同意を得るとそのまま説明を続けた。
「リュウイチ様がお買い上げになられた奴隷ですが・・・」
『奴隷?』
奴隷を買った事を忘れていたリュウイチは驚いてしまった。
「え、ええ、あの、リュウイチ様に御手向かいして死刑になる筈だった・・・」
『ああ、はい。思い出した。』
「はい、彼らは最低価格で一人五百セステルティウス・・・リュウイチ様が先ほど両替えされたデナリウス銀貨で百二十五枚、八人合計で千デナリウスになります。」
『はい、では先ほどの銀貨でお支払いしていいんですよね?』
「はい、そのようにお願いします。
引き渡しは明日を予定しておりますが、よろしいでしょうか?」
『はい、こちらはいつでも。』
「そして、リュウイチ様が《レアル》への御帰還が成った場合、その時点で解放されてなかった奴隷は
『はい、たしかにそのようにお約束しました。』
「それにあたってですね。彼らを
『クリエンテス?』
「はい、
『えっと、よくわかりませんが、それが必要だと思われるのでしたら・・・』
「ありがとうございます。ではそのようにさせていただきます。」
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