第118話 金貨の代わり

統一歴九十九年四月十三日、午後 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



「・・・失敗ですか?」


 アントニウスは自信を持っていた政策に唐突なダメだしを喰らって怪訝な表情を浮かべた。

 普段なら即座に反論するところだが、相手は名にし負う最強のゲイマーガメルである。下手な反論をして機嫌を損ねるようなことがあってはどのような事になるか分からない・・・と言うのもあるが、同時に《レアル》世界の叡智をもたらす存在でもある。


 ヴァナディーズとかいうムセイオンの女学士・・・昨夜彼女はリュウイチは叡智を齎す降臨者として遇するべきだと言った。そして、実際に人工降雨というこの世界ヴァーチャリアでは未知の知恵を彼女に授けたという。

 ならば、ひょっとしたら経済についてもなにがしかの知見を持っておられるのやも知れん。だとすれば、ホントに失敗するのか?



『えっと、そのアウ・・・なんとか金貨を回収して銀貨にするって政策ですか?』


「はい、アウレウス金貨ですね。それを回収して代わりにを鋳造し、回収したアウレウス金貨を鋳つぶして更に高価なソリドゥス金貨等に鋳なおします。」


 これによってアウレウス貨以上の高額硬貨の流通量を増やし、金銀比価きんぎんひか(金と銀の価値の比率)を安定化させる。

 かつて、銅貨の価格が高騰して銀貨と銅貨の比率が極端に接近した際、銅貨で最も高価だったセステルティウス黄銅貨をすべて回収し、代わりにセステルティウス銀貨を発行。回収したセステルティウス黄銅貨は鋳つぶしてより低価の銅貨に鋳なおしすことでセステルティウス貨より低価の銅貨の流通量を増大させ、銀貨と銅貨の交換比率を安定化させた成功例があった。今回の政策はそれにならったものである。


『でもそれは、アウレウス?っていう貨幣以上の高額貨幣の流通量自体は増やせるだろうけど、きんの流通量は増やせないでしょ?』


「ええ、ですがアウレウス貨を金貨から銀貨に置き換える事で、余剰となったきんでヌムス金貨以上の高額金貨を鋳造しますから、額面上の高額貨幣の流通量は増大する事になります。」


『ええっと、それなんだけど問題点は二つ・・・かな?』


「何でしょう?」


『まず根本的な原因は高額貨幣の流通量が不足している事じゃなくて、きんの需要が高まっている事でしょう?

 ならばきんそのものの流通量が増えなければ意味が無いんじゃないですか?』


「はあ、しかしきんを増やそうにも・・・急には無理です。

 新たな金鉱開発が始まっていますが、実際に採掘が本格化するのはどれだけ早くても来年以降ですから、金銀比価が安定するようになるのは三年以上はかかるでしょう。

 アウレウス貨を銀貨に置き換えてアウレウス金貨の流通を禁止すれば、アウレウス貨への投資は止みます。」


『それは投資対象がアウレウス貨より高い金貨への投資に移行するだけではありませんか?』


「そう・・・かもしれませんが、現在金貨に投資をしているのは本職の商人ではなくほとんどが素人の小金持ちたちです。

 アウレウス金貨への投資ですら彼らにとっては冒険的ですから、より高価なヌムス金貨やアルケンテウス金貨、ましてやソリドゥス金貨などは高額すぎて手が出なくなるでしょう。

 投機熱は冷めていくものと考えますが?」


 資産家にとって投資とは決して博打ではなく立派な事業だが、財力の限られた者にとっての投資は賭けと変わらない。これはリスクに対応して確実に成功を収めるだけの体力(財力)があるかどうかで変わって来るのだ。仮に損失が出たとしてそれを吸収できるだけの体力がない者にとっては、投資は賭け以外の何物でもなくなる。

 投資に必要な金額は投資への敷居の高さと同じだ。投資に必要な金額が高くなればなるほど、小口投資家は手が出せなくなる。小口投資家が排除されれば、残されるのは素人ならざる者たちだけだ。当然、投機熱は冷める筈だ。 


『投資の一口あたりの金額が上がって個人では手が出なくなる?』


「そういう事です。」


『その場合は誰かと共同で投資するようになるんじゃないですか?』


「いや・・・そこまでするでしょうか?」


『小口の投資家を募って金貨への投資を斡旋する商人が現れれば、一口当たり金額の高さは投資へのハードルにはならなくなります。』


「・・・・・」


 確かに、個人で手が届かなければ共同で投資するのはあり得る話だ。現にアントニウス自身もつい先月、新しく見つかった金鉱山開発に友人と共同で投資する事を決めてきたばかりだった。


きんそのものの流通量が増えない以上、金貨以外に置き換えて金貨の額面を増やしてもきんの高騰に歯止めをかけることは出来ないでしょう。』


「・・・しかし、我々は過去にセステルティウス貨で同じことをやって成功しています。」


『うーん、それは安い方だから成功したんじゃないですかね?』


「と、いいますと?」


『銅貨より銀貨の方が価値が高いんだから、同じ額面の貨幣で銅貨を銀貨に替えるって言われれば喜ぶでしょう。

 今回は逆に金貨を銀貨に替えるんでしょう?

 同じ額面の貨幣でも金貨と銀貨じゃ誰だって金貨の方がありがたいんじゃないですか?』


「しかし、アウレウス金貨の流通は法で禁じますから、アウレウス銀貨に交換しなければ使えなくなります。」


 古い金貨の使用を法律で禁じてしまえば、交換しなければ使えなくなる。お金はいくら貯めたところで使えなければ意味は無いのだ。


『高騰しているのはきんそのものでしょうから、使えなくなったアウレウス金貨は鋳つぶしてきんそのものとして売ってしまえば換金できるでしょう?

 どうせそれをやるなら、このまま持っていてきんの価値がもっと上がってからすればいいんだから、わざわざ価値の低い銀貨への交換に協力する者は出てこないでしょう・・・あ、これ理由の二つ目です。

 多分、アウレウス銀貨は流通するでしょうが、アウレウス金貨の回収は上手くいかず、きんが回収できなければ高額金貨の追加発行もできず・・・ということで、多分失敗するんじゃないでしょうか?』


 確かに、実を言うと今セステルティウス銀貨を回収してセステルティウス黄銅貨を再発行しているのだが、実はそちらは上手くいっていない。セステルティウス黄銅貨の発行量に比べてセステルティウス銀貨の回収率が低いのだ。


「では、この政策は・・・」


『私は上手くいかないと思いますね。』


 リュウイチは上手くいかないと言っているが、先ほどの説明からすると上手くいかないどころか逆効果になるだろう。

 現在流通しているアウレウス金貨は投資家たちの懐に死蔵されるか鋳つぶされることになり、金貨を回収する目途が立たなくなる。結果的に金貨の流通量が大幅に減じることになりかねず、そうなれば金貨の高騰に拍車をかける事になるだろう。



「そもそも『黄金のアウレウス』銀貨と言われてものぉ・・・」


 アントニウスの納得したような様子を見てヘルマンニが半ば呆れたような軽口を叩いたが、確かにアウレウス【aureus】とは「金色をした」とか「黄金の」とかいう意味であり、最初に作られた金の貨幣だからこそ「アウレウス」と名付けられた物だった。それを銀で作られても使う方は違和感しかないだろう。

 他にも同感の者は居たが、さすがに彼らの立場で元老院議員を茶化すわけにもいかず、ヘルマンニの発言にぎこちない愛想笑いを浮かべるにとどまった。


「しかし、だからといってこのまま金貨の高騰を放置するわけにはいきません。

 金貨の流通量は増やしますが、それは早くても二、三年はかかるんです。

 その時まで放置すれば、金貨の流通量が増えた途端に金貨が暴落するような事になりかねません。」


兌換紙幣だかんしへいの発行とかはできないんですか?』


「兌換紙幣の概念は《レアル》から齎されこの世界ヴァーチャリアでも知られております。

 しかし、印刷技術が十分ではないと考えられております。

 銀行券のようなものは存在しますが、あくまでも商人同士の間の限られた範囲でしか使われておりません。紙幣として一般市場に流通させる規模ではまだ、偽造防止の必要もありますし、流通量の管理や制限をどうするかとか色々問題があるのです。」


『限られた範囲ででも銀行券が使われているのなら、先物証券さきものしょうけんとかもあったりするんですか?』


「え、ええ・・・ございますが?」


『なら、きんの先物証券を発行するのは?』


きんの・・・先物証券?」


 先物取引という概念は《レアル》から伝わっていてこの世界ヴァーチャリアでも先物取引は農産物を中心に盛んにおこなわれている。

 しかし、レーマ帝国では金、銀、銅その他一部の鉱物については帝国が独占的に扱っている。特に金銀複本位制(金と銀の両方を本位貨幣として使う制度)を採用している都合上、金銀比価の調整のために生産量(または市場への供給量)を調整する都合上、帝国が鉱山から直接買い取るようになっているため、先物取引の対象にはなっていなかった。(ちなみに厳密には金、銀、銅の三貨幣制度だが、銅貨は発行・流通こそさせているものの銅貨での納税は認められていない。)


『金貨の整理券というか予約券みたいなものかな?

 来年つくる何番目の金貨とこの券を交換しますよっていうような証券を作って、実質的には兌換紙幣みたいなものなんでしょうけど、先ほど聞いた限りでは金貨は貿易に使われるだけで国内の商取引では使われないんでしょ?

 それで金貨を疑似的に供給してみては?』

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