第1281話 見いだせない妥協点

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 ティフは腰ごと前に身を乗り出し、テーブルに手を突いて不満を露わにした。カエソーの部下の百人隊長ケントゥリオたちはわずかに動揺を見せるが、他はカエソー本人はもちろん眉をひそめる程度にとどめている。ティフは怒っている様子だがまだ武器に手をかけていないし、グルグリウスの見るところティフの魔力にも変化は見られない。カエソーはチラッとティフの斜め後ろに控えるグルグリウスに視線をやり、グルグリウスのティフに対する見立てを確認すると、まるで何も動じていないかのようにノッソリと背もたれに預けていた上体を起こした。


「我々が期待した交渉は『勇者団』ブレーブスの投降の時期と方法についてですティフ・ブルーボール様」


「投稿の時期と方法だと!?」


 予想以上に強気なカエソーの反応にティフは思わずうめき、たじろいだ。


「降臨を阻止し、『勇者団』ブレーブスの皆様の身柄を速やかに保護し、ムセイオンへ送り返す……これは大協約の求める責務であり、我々がこれをたがえるわけにはまいりません」


「ぐっ……」


 ティフはテーブルに突いた手をギュッと握りしめ、カエソーをにらんだまま歯を食いしばった。


『勇者団』ブレーブスの皆様の身柄をせねばならぬ我々が、精霊エレメンタルから得らえる御助力を無駄にすることはありません。

 よって、《地の精霊アース・エレメンタル》様の主人たる方へティフブルーボール様を御紹介申し上げることもできませんな」


 カエソーは決して嫌味を言ったわけでもないし、余裕を見せつけたわけでもない。だがティフにはまるでカエソーに嘲笑あざわらわれているかのような感覚に囚われていた。


 おのれNPCめ……


「何かおっしゃいましたか?」


 ティフは口に出した覚えは無かったがどうやら心の声がわずかに漏れていたようだ。ただ、カエソーの耳には小さすぎて聞き取れはしなかったようだが、それでも相手に伝えるつもりの無かった独り言に反応されるとしゃくさわる。ティフはドンっと握っていた拳でテーブルを叩いた。


「俺たちはゲーマーの子だぞ!?

 冒険者は投降なんかしない!」


 カエソーは困ったように顔を歪め、苦笑いを浮かべた。


「これは言葉を間違えましたな。

 “出頭”に改めましょう」


「同じではないか!」


 ティフは吐き捨てるように言うと跳ねるように上体を背もたれに投げ出した。ボフンッと背もたれのクッションが音を立てると、ティフはそのままふんぞり返るように腕組みをする。


「結局妥協点は無いということなのだろう!?」


 カエソーは苦笑いを浮かべたまま右手の人差し指でもみあげの辺りをボリボリと掻いた。


 まいったな……話の進め方を間違えた。最初から出頭を促すように話を持って行けばよかったのに、無駄に強気に出てしまったか……最初に「投降」なんて言ってしまったから意固地にしてしまったぞ……降臨阻止を断言せず、あえて曖昧にしたままリュウイチ様への顔つなぎを餌に出頭を呼びかければ、もう少しマシな話が出来ただろうに……


 グルグリウスという十分な実力を持ちながらも《地の精霊》よりも利用しやすい戦力を得たことで、強力な魔法を使うというハーフエルフを相手にするという緊張感の反動が出てしまったらしい。いや、実際に相対あいたいしたティフのあまりにも身勝手で子供っぽい見た目と言動のせいで、年長者面したくなる衝動を駆られたのかもしれない。いずれにせよカエソーは交渉の展開を間違えた。少なくとも本人はそのように自覚している。


 こう意固地にさせてはここから巻き返すことは難しいだろう。妥協点は無いとティフは結論を出してしまった。『勇者団』を捕えることに変わりはないが、捕えた後でムセイオンに送るまでの間に懇意になってという目的は、少なくともティフに対しては難しくなってしまったと言わざるを得ない。このまま聖貴族全員をカエソーが捕えたとしても、その後の展開を思うように進める余地を失くしてしまったとなれば父プブリウスは息子カエソーを評価すまい。それどころか小言を言われることになるだろう。

 そう思うとカエソーは何だか目の前のティフを相手にするのが少し面倒くさくなってきた。


「たしかに、我々が『勇者団』ブレーブスの皆様の身柄を保護申し上げる点はいささかも変えようがありません。

 だからこそ、こうして話し合ってなるべく穏便おんびんに、皆様まとまって御出頭いただければと期待したのですが……無理ならしかありませんな」


 カエソーはまるで他人事のようにそう言うと背もたれに上体を投げ出し、そっぽを向いた。もうティフお前の相手なんかしてやんない……まるでそういう態度である。

 ティフはそれを見るとギョッとした。そしてサッと振り返って背後に立つグルグリウスを見る。ティフと目が合ったグルグリウスは特に何の反応も示すことなく、ただその場で後ろ手にてを組んだままジッと立って、赤く光る眼でティフを見下ろしていた。


 一人ずつでも捕まえられる方から順に捕まえる……カエソーの言ったそれを字句通り受け取るなら、ティフもこの場で捕まえるということを意味していた。その時、一番に動くのはこのグルグリウスだろう。

 ティフはもちろんそんなことは想定していた。そのための準備だってしている。万が一、捕えられた場合に備えて取り上げられたら困るような聖遺物アイテムは全てスワッグ・リーに預けたし、《地の精霊》の追跡を振り切るためにペイトウィンから借りた『地母神の御守』タリスマン・オブ・ガイアズ・プロテクションは身に着けたままにしてある。これで《地の精霊》や地属性の妖精であるグルグリウスの魔法の大部分を無効化できる……その筈だった。それでグルグリウスと《地の精霊》の追跡からも脱出するつもりでいた。しかし、ティフはそれでは足らないことを知ってしまった。ここへ連れて来られるまでの間、途中でティフは意識を失っていたのだ。おそらくグルグリウスの魔法によって!

 ティフはもう交渉は諦めていた。あとはどう脱出するかだが、このままではグルグリウスによって無力化されてしまうだろう。ここに連れて来られるまでにグルグリウスにかけられた魔法……その正体を見抜き、対策の目途が立たない限り力づくでの脱出はほぼ不可能だ。


 グルグリウスこいつをどうにかしないと……

 いや、どうにもできないぞ……

 なら、カエソーコイツを……


 カエソーに視線を戻したティフは背もたれから上体を起こした。

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