第1280話 要求拒否
統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐
ティフがテーブルに置いた袋の口を開け、その底部分を摘まんで持ち上げると袋の口から金貨がこぼれ出る。それは壁際に並べられた燭台、そしてティフ達が腰かける応接セットの四隅に置かれた燭台の光を受けてキラキラと
現金……それも本物の金貨だ。目の前に積まれた本物の金貨の山、その威力は凄まじい。口でどれだけ金額を言っても首を縦に振らない頑固者でも、本物の金貨の山という現物を目の当たりにすればその理性は
ティフはその威力を知っている。金貨を三分の一ほど口から出した袋から手を放し、背もたれに上体を預けて自信たっぷりな余裕の笑みを浮かべた。
「見たか?
ムセイオンの金貨だ。
ムセイオンから出てきた時にいくらか持って出たのだが、外では使われて無くってな……使うと脚が付くというから今まで使わずにおいといたものだ。
閣下は御存知か知らんが、帝都レーマでは今金貨の価値が跳ね上がっているそうだ。
この一袋に入っている金貨だけで、銀貨五千枚分の価値はあるだろうな」
全員の視線が金貨に集まっている。何人かの
レーマ帝国で公式に流通している銀貨は現在デナリウス銀貨のみ……帝都から遠く離れた地方ではデナリウス銀貨の四分の一の価値しかないセルテルティウス銀貨がまだ流通しているが、こちらはセルテルティウス黄銅貨への更新が進められている最中だ。ティフが言っている銀貨とはもちろんデナリウス銀貨のことである。
デナリウス銀貨五千枚といえば二万セルテルティウス。それは平均的な
百人隊長たちの反応はティフの期待した通りのものだった。だが、目の前にいるカエソーの反応はイマイチ鈍い。あと、カエソーの後ろに控えている、一人だけ軍団兵とは少し違った格好をしてる年嵩のホブゴブリン兵も視線こそテーブルの金貨に釘付けだが、その顔の表情は何やらヤレヤレといった風を崩さない。
カエソーは溜息をつきながら背もたれに体重を預け、視線をティフへ戻した。ティフの見たところカエソーの漏らした溜息は金貨の魅力に囚われた人間が漏らす
「重ねて言うが、今、この場で、この、十倍を、用意できる」
ティフはダメ押しでそう言った。カエソーの反応が鈍いのは、目の前にある金貨五十枚分しか認識してないと思ったからだ。ムセイオンの金貨五百枚……概算で二十万セルテルティウスに相当する価値がある。それは最早軍団兵や百人隊長はもちろん、
「人間三人の身代金としては十分な金額の筈だぞ!?」
「身代金!?
身代金ねぇ」
無言のまま表情と態度で拒絶を示すカエソーにティフは苛立つように言うと、カエソーはのっそりと上体を起こした。
「身代金というなら、
だが、アナタ方は
コイツ、足元を見やがって……
ティフは小さく舌打ちした。確かに身代金は身分によって金額が異なる。身代金はいわばその人間の価値を金額で表したものだ。その人間が助かるならいくら出せますかという問いに対する答え……それを数字にしたのが身代金の金額なのである。ならば財力が異なる平民と貴族の身代金が同じなわけはないし、貴族でも下級貴族と王族とでは金額が異なって当たり前だ。同じ王族でも小国と大国では金額が異なって来る。
そしてペイトウィン・ホエールキングもメークミー・サンドウィッチもナイス・ジェークもいずれも聖貴族だ。ただの貴族ではない。ヒトのメークミーやナイスだって高貴さでは王族と同等にされ、政略結婚の際は王族や上位の貴族が頭を下げて縁談を
「わかった」
ティフは諦めたようにそう言うと、一度は強張らせていた身体から力を抜いた。
「確かに閣下のいう通り、高貴さに見合った身代金を用意すべきだろう。
俺が悪かった。
今、俺が一人で持ち歩いている金貨が五百枚だけだったものでな。
仕方ない、仲間からも金貨を出させよう。
どうせムセイオンの外では使えないんだ。少し時間はかかるが、仲間たち全員、俺が説得してみせよう」
痛い出費だが仕方ない。みんな文句を言うだろうがひとまず身代金を肩代わりするということにして、帰ったらペイトウィンたち本人に出させればいいのだ。そうだ、考えてみればペイトウィンの分をこっちが負担してやる必要はないじゃないか……そうだよ、何で俺がアイツらの分までこんな苦労しなきゃいけないんだ……
ティフが嘆くように顔に手を当てると、カエソーは首を振った。
「どうやら分かっておられないようだ」
カエソーが残念そうに言うとティフは顔を覆っていた手を少し上げ、それによって出来た隙間からカエソーを見た。
「何!?」
「身代金で解決できるような事件や事故ならば、身分にふさわしい身代金を納めて解決することも出来るでしょう。
ですが、今回の件は身代金で解決できる問題ではありません」
「どういうことだ!?」
ティフは顔を覆っていた自らの手を振り払うように勢いよく降ろし、背中は背もたれに預けたままだったが顔だけは起こしてカエソーを睨みつけた。
「
ですが、アナタ方は聖貴族だ。
ムセイオンから勝手に出てはいけない立場であり、我々にはムセイオンに通報し、そしてムセイオンに送り返す責務が大協約によって定められております。
それに
カエソーの問いにティフは答えず、口をギュッと結んだ。
「降臨者を召喚する降臨術は大協約で禁じられています。
それを行おうとする者がいれば、止めねばなりませんし、それを行いうる者……メルクリウスを発見すれば逮捕せねばなりません。
これは、身代金でどうにかできる問題ではないのですよ」
あくまでも冷静に、落ち着いた様子でカエソーが説明するとティフは目を見開いて息を大きく吸い込んだ。
何だそれは……
そんなことは分かってる!
わざわざ説明されるまでもない。
こっちは
それでもやる! 俺たちはそう覚悟を決めて行動に移したんだ!
その俺に今更原則論か!? 法律論か!?
冷静なカエソーとは対照的にティフの顔は見る間に赤く染まっていった。まるで跳ね上がるように背もたれから上体を起こすやいなや、ティフは手の平をバンッとテーブルに叩きつける。
「交渉の余地は最初からないということか!?」
交渉に応じたということは交渉の余地があるということのはずだ。それなのに今更法律論原則論を持ちだしてこちらの提案を一蹴するなど不誠実にもほどがある。
カエソーはティフの立てた音に驚いたように目を丸めたまま、まるで
「お仲間を解放するとか荷物を御返しするとか、そういう意味では交渉の余地はありませんね」
「何だそれは、馬鹿にしてるのか!?
それならこの場は何だ!
時間の無駄じゃないか!?
何のために交渉するような振りなんかするんだ!?」
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