第1245話 交渉開始
統一歴九十九年五月十一日、晩 ‐
魔法の
「わかった、認めてやろう」
この期に及んでなおも偉そうな態度はどうかと思わなくも無いが、しかしクレーエにしてもアッピウスの優位に立てたというわけではない。部屋の外には何百人ものレーマ軍兵士が控えているのであり、今ここでアッピウスが大声を出せばクレーエに脱出のチャンスは無くなる。それにクレーエの目的はあくまでもレーマ軍との交渉であって、アッピウスに自分の力を自慢することではなかった。
「いいでしょう」
クレーエが言うと六人を縛り付けていた魔法の荊が無数の光の粒子と化して拡散し消える。
『ぷはっ、死ぬかと思った』
クレーエの頭の中で《
『助かったぜ相棒』
『こんな無茶はもうやらないでくれ、大きいヒト』
『分かってるよ』
ひとまず、アッピウスたちはクレーエが
「さて、せっかく交渉相手と認めてもらえたのですから話し合いましょうか?」
クレーエは『癒しの女神の杖』でポンポンと肩を軽くたたきながらアッピウスの前の
「いいだろう。
おい、
『荊の磔刑』の棘で刺された小さな傷を不快そうにさすりながらアッピウスが命じると、百人隊長の一人が部屋の隅から椅子を一つ持ってきてクレーエの背後に置いた。アッピウスが腰かけている肘掛け椅子に比べれば格段に落ちるが、背もたれもついた来客用のそこそこ上等な椅子である。クレーエは「
「で、交渉とはどういうことだ。
「はい、閣下には「おっと!」」
せっかくこれから交渉をというところでいきなりアッピウスはクレーエの話を
「その芝居がかったしゃべり方は辞めろ。」
身分や社会的地位によって話し言葉が変わるというのは、実はどの国どの言語でもあることだ。特定のコミュニティでのみ会話し、異なるコミュニティとの接点を持たない者同士の間では使う言葉が異なって来るのは当然である。クレーエは盗賊……言ってみれば社会の最底辺で生きてきた男だ。当然、
そんなクレーエだからアッピウスのような上級貴族が実際にどういう言葉遣いで話をするのかなど知らなかった。彼の貴族のイメージは演劇の俳優が演じる貴族だけなのである。ゆえに、クレーエは演劇で見た役者の演じる貴族を真似てしゃべっていた。が、それは観客の貴族に対するイメージを具体化したものであって、実際の貴族の話し方というわけではなかったのだ。
クレーエは普段ドイツ語を話している。そしてアルビオンニア属州はレーマ帝国の一部であることからラテン語も話され、クレーエはドイツ語とラテン語を身に着けていた。が、それはアルビオンニア訛りであり、寒冷な気候ゆえかレーマ本国で話される言葉に比べるとボソボソと口の中に籠った様な、全体的に少しばかり発音が不明瞭な上に、語尾ともなるとほぼ聞きとれないほど小さく話す傾向があった。
そんなアルビオンニア訛りの庶民がイメージする貴族言葉は発音がイチイチ明瞭であり、特に語尾のアクセントを強調するものだった。庶民のアルビオンニア訛りから比べれば確かにそうした傾向は間違ってはいないのだが、演劇の役者はそれをことさら強調しており、クレーエもまたそれに
「貴様は貴族言葉を
構わんから地の言葉で話せ」
「……よろしいので?」
「貴様の芝居がかった話し方をされると馬鹿にされてるような気分になる。
いいから普通に話せ、そっちの方が何倍もマシだ」
先ほどまで気にする
「いいでしょう。
ではそのようにさせていただきやしょう」
そういったクレーエの顔からは先ほどまでのかすかに浮かんでいた薄笑いが消えていた。なんだかんだ言ってクレーエ自身も緊張はしていたということなのだろう。言葉遣いを気にしなくてよくなった分、気が楽になり緊張が解けたと言ったところか……。
「では本題に入らせていただきやす。
アタシゃ確かに
アッピウスは苦笑いを浮かべた。エイー・ルメオが誰なのかは事前に入手した資料で知っている。エイーはヒトであってアッピウスが求めたハーフエルフではない。が、『勇者団』のハーフエルフを捕えるためには、ハーフエルフをとりまくヒトもどうにかしなければならないであろうことぐらいはアッピウスも承知している。
「つまり、これは
「その通りで……」
どうやら
「わかった。
では
ドライフルーツを口へ放り込み、クッチャクッチャと
「レーマ軍への、単独投降でさ。」
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