第1245話 交渉開始

統一歴九十九年五月十一日、晩 ‐ ライムント街道第三中継基地スタティオ・テルティア・ライムンティイ宿駅マンシオー/アルビオンニウム



 魔法のいばら肘掛け椅子カニストラ・カティドラに縛り付けられていたアッピウスは憎々しげな視線をクレーエに向けていた。だがアッピウスも現実を見れない男ではない。ギリッと歯を食いしばり、この荊をどうにもできないと認めるとフゥと息を突いた。


「わかった、認めてやろう」


 この期に及んでなおも偉そうな態度はどうかと思わなくも無いが、しかしクレーエにしてもアッピウスの優位に立てたというわけではない。部屋の外には何百人ものレーマ軍兵士が控えているのであり、今ここでアッピウスが大声を出せばクレーエに脱出のチャンスは無くなる。それにクレーエの目的はあくまでもレーマ軍との交渉であって、アッピウスに自分の力を自慢することではなかった。


「いいでしょう」


 クレーエが言うと六人を縛り付けていた魔法の荊が無数の光の粒子と化して拡散し消える。


『ぷはっ、死ぬかと思った』


 クレーエの頭の中で《木の小人バウムツヴェルク》が安堵の溜息をついた。アッピウスと五人の百人隊長ケントゥリオを拘束していた『荊の桎梏』ソーン・バインドはクレーエによるものではなく、《木の小人》のやったことだった。ただ、元々力の弱い《木の小人》にとって六人に対して同時に『荊の磔刑』を仕掛けるのは容易なことではなかった。普段なら『癒しの女神の杖』ワンド・オブ・パナケイアを通じて《森の精霊ドライアド》から魔力の供給を受けられるが、クレーエが『癒しの森の杖』を手放していたために魔力供給を受けることが出来ず、《木の小人》の独力でやらねばならなかったのだ。が、それもクレーエが『癒しの女神の杖』を取り戻したことで解決している。


『助かったぜ相棒』


『こんな無茶はもうやらないでくれ、大きいヒト』


『分かってるよ』


 ひとまず、アッピウスたちはクレーエが魔導具マジック・アイテム無しでも魔法を使えると認識したはずだ。かなり交渉はしやすくなるはずである。


「さて、せっかく交渉相手と認めてもらえたのですから話し合いましょうか?」


 クレーエは『癒しの女神の杖』でポンポンと肩を軽くたたきながらアッピウスの前の円卓メンサの反対側へ回り込んだ。この騒動が起こる前の彼の立ち位置である。


「いいだろう。

 おい、椅子セッラを用意してやれ」


 『荊の磔刑』の棘で刺された小さな傷を不快そうにさすりながらアッピウスが命じると、百人隊長の一人が部屋の隅から椅子を一つ持ってきてクレーエの背後に置いた。アッピウスが腰かけている肘掛け椅子に比べれば格段に落ちるが、背もたれもついた来客用のそこそこ上等な椅子である。クレーエは「感謝ダンケ感謝ダンケ」と小声で言うと遠慮なく腰掛けた。それを見てアッピウスは肘掛けに頬杖を突き、足を組む。


「で、交渉とはどういうことだ。

 エイールメオ様の使いだとのことだが、『勇者団』ブレーブスの使いではないのだろう?」


「はい、閣下には「おっと!」」


 せっかくこれから交渉をというところでいきなりアッピウスはクレーエの話をさえぎった。


「その芝居がかったしゃべり方は辞めろ。」


 身分や社会的地位によって話し言葉が変わるというのは、実はどの国どの言語でもあることだ。特定のコミュニティでのみ会話し、異なるコミュニティとの接点を持たない者同士の間では使う言葉が異なって来るのは当然である。クレーエは盗賊……言ってみれば社会の最底辺で生きてきた男だ。当然、上級貴族パトリキはもちろん下級貴族ノビレスとだって接点を持ったことは無い。強いて言えば『勇者団』が初めて接触した上級貴族と言って良いだろう。だが、彼らも自分たちの支配下に置いた盗賊たちとの会話は極力避けていたし、そもそも普段は盗賊たちには分からない英語で会話していたのだから、事実上接点は無かったに等しい。

 そんなクレーエだからアッピウスのような上級貴族が実際にどういう言葉遣いで話をするのかなど知らなかった。彼の貴族のイメージは演劇の俳優が演じる貴族だけなのである。ゆえに、クレーエは演劇で見た役者の演じる貴族を真似てしゃべっていた。が、それは観客の貴族に対するイメージを具体化したものであって、実際の貴族の話し方というわけではなかったのだ。

 クレーエは普段ドイツ語を話している。そしてアルビオンニア属州はレーマ帝国の一部であることからラテン語も話され、クレーエはドイツ語とラテン語を身に着けていた。が、それはアルビオンニア訛りであり、寒冷な気候ゆえかレーマ本国で話される言葉に比べるとボソボソと口の中に籠った様な、全体的に少しばかり発音が不明瞭な上に、語尾ともなるとほぼ聞きとれないほど小さく話す傾向があった。

 そんなアルビオンニア訛りの庶民がイメージする貴族言葉は発音がイチイチ明瞭であり、特に語尾のアクセントを強調するものだった。庶民のアルビオンニア訛りから比べれば確かにそうした傾向は間違ってはいないのだが、演劇の役者はそれをことさら強調しており、クレーエもまたそれにならっていたため、そのような言葉を聞かされる上級貴族アッピウス本人からすると、まるで馬鹿にされているような不愉快な気分になるものだった。


「貴様は貴族言葉を真似まねしてるつもりかも知らんが不愉快だ。

 構わんから地の言葉で話せ」


「……よろしいので?」


「貴様の芝居がかった話し方をされると馬鹿にされてるような気分になる。

 いいから普通に話せ、そっちの方が何倍もマシだ」


 先ほどまで気にする素振そぶりも見せなかった言葉遣いを急に気にし出したということは、おそらく本気で話し合いに応じるつもりになったのだろう。最初は“ゆさぶり”の一種かとも警戒したクレーエだったが、最終的にはそのように前向きに判断した。


「いいでしょう。

 ではそのようにさせていただきやしょう」


 そういったクレーエの顔からは先ほどまでのかすかに浮かんでいた薄笑いが消えていた。なんだかんだ言ってクレーエ自身も緊張はしていたということなのだろう。言葉遣いを気にしなくてよくなった分、気が楽になり緊張が解けたと言ったところか……。


「では本題に入らせていただきやす。

 アタシゃ確かに『勇者団』ブレーブスの使いではありやせん」


 アッピウスは苦笑いを浮かべた。エイー・ルメオが誰なのかは事前に入手した資料で知っている。エイーはヒトであってアッピウスが求めたハーフエルフではない。が、『勇者団』のハーフエルフを捕えるためには、ハーフエルフをとりまくヒトもどうにかしなければならないであろうことぐらいはアッピウスも承知している。


「つまり、エイールメオ様との代理交渉ということだな?」


「その通りで……」


 どうやら本命ハーフエルフの前に処理しなければならない案件であると理解すると、アッピウスは組んでいた足を解いて机の上の皿のドライフルーツに手を伸ばした。


「わかった。

 ではエイールメオ様は何を求めておられるのかな?」


 ドライフルーツを口へ放り込み、クッチャクッチャと咀嚼そしゃくし始めたアッピウスにクレーエは特に表情を崩すことなく、真剣な表情で答えた。


「レーマ軍への、単独投降でさ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る