第702話 ブレーブスの新方針

統一歴九十九年五月八日、午後 - アルビオンニウム郊外/アルビオンニウム



「そうだ、そのアルビオーネって何なんだ?」


 デファーグ・エッジロードがひとまず落ち着きそうなところで、話題を完全に次へ移してしまおうというのだろう。スモル・ソイボーイがすかさず尋ねた。

 デファーグの気持ちはスモルにもよく分かっているし、彼に同調したい気持ちも無いわけではない。だが、あれだけ圧倒的な精霊エレメンタルを相手に手も足も出ずに惨敗し、あやうく仲間を全滅させかけたばかりのスモルには、デファーグが自分と同じ過ちを犯そうとしていることに気付いてもいた。


 彼らの父祖であるゲイマーゲーマーは勇者だった。英雄だった。彼らは父祖の冒険譚ぼうけんたんを聞かされ、読み漁って成長してきたのだ。そして、当然のように自分も父の様に、あるいは祖父の様に生きたいという強い願望を抱いている。

 父祖は強かった。だが、負けなかったわけではない。強いだけでは『勇者』とは呼ばれない。相手がどれだけ強大であろうとも、たとえ打ち負かされようとも、決して諦めずに何度でも戦いを挑み続け、最後には勝利をもぎ取る……負けてなお立ちあがり続ける者こそが『勇者』なのだ。だから恐れてはいけない。敵がどれだけ強かろうと、退くことなどあってはならない……そのように信じ込んでいるのだから、たまたま今回当たった精霊エレメンタルがどれだけ強かったからと言って、それを理由に諦めたり作戦を変更するなど、デファーグ・エッジロードは納得できないのだ。


 だが、それは所詮は子供じみた妄想に過ぎない。スモルは現実を見たのだ。

 たしかに、挑み続ければいつかは敵をたおせるかもしれない。ゲイマーの血を引く彼らは常人をはるかに凌駕りょうがする肉体と寿命とを持っているのだ。人の寿命をはるかに超える長い時間、成長し続ける彼らはまだ限界というものを知らない。限界が無ければ、いずれどんな強敵にでも勝てるようになるだろう。

 しかし、そのためには生きて帰らねばならないのだ。負けても生きていれば次はあるが、死ねばそれで終わってしまう。彼らの父祖はたとえ死んでも生き返る不滅の肉体を持っていたが、その不死性を彼らも引き継いでいるかどうかは、まだ誰も確認したことがない。さすがに、この世界ヴァーチャリアで最も高貴で最も貴重な血を引く聖貴族を、不死性を確かめるために殺して見るわけにはいかないからだ。

 大戦争後に生まれたゲイマーの子はそろそろ百歳になろうとしており、ハーフエルフはまだ成長期の真っただ中といった様子だが、ヒトの子は明らかに成長が止まっており、中には老化が始まった者もいる。ゲイマーは種族に関係なく不老不死だったはずなのに老化が始まったことから、やはりゲイマーの子は親から不死性までは引き継いでいないと考えられている。


 父祖と違い、自分たちは死んだら終わりなのだ……


 それは一応、彼ら全員が知っている事である。ただし、知識として知っているというだけだ。ムセイオンの中で過保護と言って良い環境で大事に育てられた彼らは、生命の危機なんてものに直面したことは無い。戦闘訓練だって、常にママこと大聖母フローリア・ロリコンベイト・ミルフか、その息子ルード・ミルフの厳重な安全管理の下でやっていたのだ。

 だがスモルは昨夜、二度も捕らえられた。そのあげく、ブルグトアドルフの森では魔法のいばらによって魔力を吸われ、一時的にだが魔法の行使さえ出来なくされてしまった。スモルの指示で攻撃を仕掛けたスワッグ・リーも《藤人形ウィッカーマン》に捕らえられ、立ち上がれないほどの魔力欠乏にされてしまった。もし、《森の精霊ドライアド》が本気だったら……彼らは確実に死んでいたのだ。

 極端な魔力欠乏で血色が失われ、意識も失って死人のようになったスワッグの顔を見て、スモルはハッキリと死を意識した。


 デファーグはそれをまだ知らない。どんな相手でも勝てる。たとえ負けても次に挑めば、挑み続ければ最後に勝てると信じている。……そう、という可能性に直面したことがないのだ。いや、知識としては知っていても、実感としては知らないのだ。

 デファーグはそれを知らないまま、スモルと同じ過ちを犯そうとしている。多分、ティフ・ブルーボールもそれに気づいている。もしかしたらペイトウィン・ホエールキングも、ペトミー・フーマンも……だからスモルはティフたちに話を合わせることにした。今、デファーグに話をさせ、『勇者団ブレーブス』の方針が間違ってへ行ってしまったら大変なことになる。今はティフの方に話をさせ、デファーグに気付かせなければならないのだ。


「あ、ああ……アルビオーネっていうのは、《水の精霊ウォーター・エレメンタル》なんだ。」


「ウォーター・エレメンタル?」

「初めて聞きます。」


 スタフ・ヌーブやエイー・ルメオといった救出チームのメンバーが相次いで訊ねる。昨日、ブルグトアドルフに行った救出チームはアルビオーネを知らない。直接対峙したのはティフとペイトウィン、ペトミー、スマッグ・トムボーイの四人で、留守番をしていたデファーグとソファーキング・エディブルス、そしてファドの三人は帰ってきたペイトウィンとスマッグから一応、だいたいの話を聞いている。


「凄く、強大な精霊エレメンタルだ。

 多分、神の領域に達している存在だと思う。

 ここの北の海峡をつかさどって……ていうか、あれは海峡そのものだった。」


 ティフは昨日の出来事について語り、ペイトウィンが時折茶々ちゃちゃを入れ、ティフのしでかした失敗の数々を揶揄からかった。ティフにとってそれは一々傷をえぐられるような苦痛ではあったが、あえてそれを仕方のないものと受け入れ、苦笑いを浮かべて大人しく甘受した。


 なんだ、ティフもおんなじ失敗をしてたのか……それで昨日のティフは、精霊エレメンタルたちに対してやけに素直で大人しかったのか……


 話を聞きながらスモルは一人得心し、少しずつ気持ちの軽くなっていく思いがしていた。ティフ自身は本来、プライドの高い男である。だが、今日は珍しいくらいにペイトウィンに揶揄われるのを受け入れていた。普段のティフならば途中で怒り出していただろう。ティフがあえて揶揄われるがままになっていられたのは、さっきまで暗く沈み込んでいたスモルの表情が少しずつ活力を取り戻しつつある様子がうかがえたからかもしれない。


「……それで、俺たちは岬から逃げ帰ったんだ。

 全員、頭の天辺てっぺんから足の先までグッショリ濡れそぼったままな。」


 ティフが話し終わった頃、重苦しい雰囲気に包まれていた救出チームの面々の表情はだいぶ軽くなっていた。自分たちの失敗がそれほど深刻なものではなく、ティフも同じ失敗をしたのだと慰められたからかも知れなかったし、あるいはティフが自分の恥を晒してでも自分たちを励まそうとしていると気づいたからかもしれない。実際、ティフの話し様は普段のどこかツンと気取ったようなところが無く、逆に道化のようにすら思えるほど砕けた感じだったからだ。

 話が終わるころになっても、ティフが話し始める前と大して表情に差がないのはティフと共にアルビオーネと対峙した三人、そしてアルビオーネとも《森の精霊ドライアド》とも対する機会を持てなかった居残り組のデファーグ・エッジロードとソファーキング・エディブルスの二人と伝令役を務めた後アジトに残されたファドだった。

 ソファーキングは素直に驚いたり面白がったりしているようだったが、デファーグは先ほどまでのわだかまりをまだ引きずっているのであろう、表情が硬い。


「ともかく、アルビオーネもそうだが、《森の精霊ドライアド》も、そして多分地の精霊アース・エレメンタル》もだ。

 コッチに来てから出会った精霊エレメンタルはどれも、異常に強力だ。

 さっきも言ったが、多分神の領域に達している……それだけ凄い存在だ。

 俺たちがいくら頑張っても勝てないし、向こうも俺たちを“敵”とは思ってない。残念なことだが“敵”と思ってもらえるほど、俺たちは強くない。」


 ティフのその言い様は、それまでの『勇者団ブレーブス』のリーダーとしての彼からすると、卑屈にすら思えるほどの態度である。が、そこに異を唱える者は居なかった。少なくともペイトウィンとペトミーは同意していたし、スモルもそこまで卑屈にならなくてもいいだろうとは思いつつも、何者が相手であろうが戦って討ち勝とうというそれまでの考えは既に捨てている。ヒトのメンバーは元々自分たちが逆立ちしても勝てないハーフエルフという存在と接し続けて来たこともあって、もとよりハーフエルフたちより現実的な感覚を持っており、ティフの口からそうした言葉が出たことに対して驚きはしていたものの、ティフの言わんとしている事を受け入れることに何の抵抗もなかった。

 唯一、懐疑的でいつづけたのはデファーグ一人である。が、彼は実は『勇者団ブレーブス』の中では仲間になってから日が浅い方であり、周囲の空気を割と気にする性質ではあったので、あえて異論を唱えず様子を見ていた。そのデファーグの胸の内を知ってか知らずか、ティフは言葉を続ける。


「“敵”なら、どれだけ強い相手でも戦い、勝つことを諦めるつもりはない。

 だが、昨日俺たちが出会った精霊エレメンタルは敵じゃない。人々に害を成す悪しきモンスターでもない。

 多分、ここら辺の土地の守り神か何かなんだ。

 だから、俺たちもあえて敵対しない。レーマ軍にどうも協力的なようだが、それは土地の人間に加護を与えているようなものなんだろう。

 いくら強い相手でも、敵でもないし、討伐すべき犯罪者や邪悪な魔物でもないのなら、敵対する必要はない。ましてその土地の守り神に、強いからという理由で一々戦いを挑むわけにはいかない。

 それじゃあ、平和を守るどころか、平和を壊すことになってしまう。そんなのは勇者じゃない。そんなことをすれば、俺たちの方が討伐されるべきモンスターになってしまう。

 だから、これからは少し気を付けよう。

 特に精霊エレメンタルや、その使い魔らしきモノには、攻撃を仕掛ける前に敵かどうかを慎重に見極めなきゃいけない。次も、許してもらえるとは限らないんだからな……いいな、みんな?」

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