第1067話 貴族たちを見送るメルヒオール

統一歴九十九年五月十一日、午前 ‐ ティトゥス要塞カストルム・ティティ/アルトリウシア



 土曜日は侯爵家の家族が揃ってマニウス要塞カストルム・マニへ赴く。軍事の実務を学ぶためにマニウス要塞に来ている叔父でアルビオンニア軍団軍団長レガトゥス・レギオニス・アルビオンニイのアロイス・キュッテルの許に居る侯爵家公子カールと共に日曜礼拝をおこなうためだ。もちろんそれは表向きの理由であり、実際はというと降臨者リュウイチとの謁見にある。カールと一緒に日曜礼拝というのは嘘ではないが、それ以外の目的を秘するための目くらましとしての要素は大きい。

 エルネスティーネ侯爵夫人は子供たちを連れて馬車に乗り込み、車列を組んでティトゥス要塞カストルム・ティティを出立する。到着するのは昼頃の予定だ。今回はその車列にサウマンディア軍団幕僚トリブヌス・ミリタリス・レギオニス・サウマンディイマルクスも加わる。表向きはマニウス要塞を拠点に活動しているサウマンディア軍団第二大隊コホルス・セクンダ・レギオニス・サウマンディイの視察のためとなっているが、実際はリュウイチへの謁見が目的だ。彼らはルキウスの所有する子爵家の馬車を借りて移動する。

 そしてその車列にはルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵の夫妻も加わるのだが、彼らが今回乗るのは馬車ではなく臥輿レクティカだった。ギックリ腰から回復して間もないルキウスは万全な状態ではない。馬車の振動でせっかく治りかけていたギックリ腰が悪化してはならぬということで、自分たちの馬車はマルクスに貸し、自分たちは馬車よりも乗り心地のよい臥輿での移動を選んだのだった。


「馬車は客人に貸して御自身は臥輿レクティカか……

 子爵閣下の腰はやっぱまだ良くねえみてぇだなぁ。」


 領主貴族パトリキたちが馬車に乗り込むのを見ながらメルヒオールは呟いた。それを横で聞いた妻のマーヤが心配そうに相槌を打つ。


「御無理をなさらないといいけどねぇ。

 領民のために、御熱心なことだよぅ。」


 それを聞いてメルヒオールの口がわずかにへの字に曲がった。このままティトゥス要塞に残って領主貴族たちを見送る自分がまるで働いてないように見られているような気がしたからだ。もちろん、マーヤがそんなつもりで言ったわけではない事ぐらい分かっている。

 メルヒオール夫妻は跡取り息子カスパルをルクレティウス・スパルタカシウスに師事させていた。そのためにカスパルは親元を離れてこのティトゥス要塞で生活している。エルネスティーネが息子カールと一緒に日曜礼拝に出るためにマニウス要塞に行くように、メルヒオール夫妻も今日は息子カスパルと過ごし、明日一緒にティトゥス教会で日曜礼拝をするつもりなのだ。

 これは昨夜ティトゥス要塞で開かれた歓迎会コンウィウィウムにメルヒオールが出席することを知ったマーヤが、だったら久しぶりに息子と一緒に過ごしたい……そうだ、一緒に日曜礼拝もと言い出したのをメルヒオールがスケジュールを調整して実現したものである。当然、マーヤが無理して時間を工面したメルヒオールをなじるわけがないのである。

 だがメルヒオールとしては、たとえマーヤがそういうつもりで言ったわけでは無いと承知してはいても、気にならないではない。親も知らない孤児で暗黒街出身の元アウトローという背景は、今も彼に暗い影を落とし続けている。たとえそこから実力で下級貴族ノビレスにまで這い上がったという名声と実績を持ち、庶民からは生ける伝説として称賛と羨望を集めていたとしても、彼の統治者としての実力に疑問を持つ者は決して少なくないのである。


 週末ごとにマニウス要塞へ移動する侯爵家一家……日曜礼拝のためということになっているが、その割にはそこにルキウスや子爵家家臣団も多くが同行している。聞けばカールに現状を報告するための報告会が開かれており、そのために侯爵家の家臣団が集められ、そのついでにルキウスも家臣団を集めて侯爵家と子爵家の合同で週ごとの現状を報告し合っているのだという。だったら、子爵領で一つの区域の統治を任されている郷士も呼ばれてもよさそうなものだが、メルヒオールたちにはお呼びはかかっていなかった。

 子爵家からは各郷士はそれぞれの領分の仕事が急がしだろうから、それに集中するようにというお達しがワザワザだされていたが、果たしてそれが本当の理由なのかどうかメルヒオールには疑問に感じられていたのだ。


 メルヒオールは確かに学はない。暗黒街から暴力でのし上がってきた人間だ。字は覚えたが読み書きは完璧とは言い難かったし、礼儀作法もなっちゃいない。教養なんて身につくはずもない。アイゼンファウスト地区の統治だって他の郷士の見様見真似で、街の発展具合は城下町カナバエはもちろんセーヘイムやリクハルドヘイムにも及びもつかない有様だ。今回の叛乱事件で同じように攻撃を受けたはずのアンブースティアより被害が拡大したのは偶然ではないだろう。メルヒオールの対応はおそらくティグリスの初期対応より劣っていたのだ。メルヒオールにはそういう自覚はあった。

 そうした自覚、生まれながらの貴族ノビリタスである家臣団たちの評価……そうしたものを考えると、マニウス要塞で開かれているという報告会に自分たち郷士が呼ばれないのは、という疑問はどうしても沸き起こる。


 子爵閣下は腰痛をおして会議に出るってぇのに、俺たちにゃお呼びもかからねぇ。


 それはメルヒオールの秘めた劣等感を刺激するには十分なものだった。他人から軽んじられるのは我慢できない。舐めてかかって来る奴は片っ端から実力みせつけて見返してやる……それは彼の元いた暗黒街で育んだ矜持だった。だが、今のメルヒオールには貴族たちに対して実力を見せつけて見返すことが出来てはいない。出来る見込みも無い。

 急に静かになった夫が静かに苛立ちを噛みしめているのに気づいたマーヤは、おずおずと身を寄せ声を掛ける。


「大丈夫よアンタ。

 先月からずっとアンタ、一生懸命頑張って来たんだもの。

 神様だって日曜は休めっておっしゃってるわ。

 今日と明日ぐらいは、カスパルと一緒にゆっくりしましょ。」


 突然、左腕に愛妻の体温を感じたメルヒオールはハッと我に返り、「お、おう」と生返事を返した。気づけばただでさえ凶悪な顔に凶暴な表情を浮かべていたかもしれない。これから出発する主君ら貴族たちの車列を見送ろうというのに、恐ろしい顔で睨んでいては二心を疑われかねなかった。

 気を取り直し、ぎこちないながらも笑顔を取りつくろうと、夫婦で寄り添って次々と馬車や座輿に乗り込んでいく貴族たちを見守る。そのメルヒオールの目に、マルクスに続いて子爵家の馬車に乗り込んでいく一人の女の姿が目に入った。


 何だアイツぁ?


 衣装からして奴隷だろう。顔立ちは整っているが、ひどく痩せこけたヒトの女奴隷。貴族の軍人が奴隷を戦場に連れて行くことは珍しくないが、メルヒオールの知る限りサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの軍人が女の奴隷を引きつれているのは珍しいことだった。


 マルクスウァレリウス・カストゥス様の奴隷か?

 あんま趣味が良くねぇなぁ……


 メルヒオールはフーッと不満げに鼻を鳴らして溜息をつく。せっかく作った愛想笑いが無意識のうちに曇ってしまう。


 痩せてガリガリじゃねぇか……

 やっぱ女は肥えてなきゃいけねぇや。


 無言のままメルヒオールは隣の女房の肩に手を回し抱き寄せた。夫よりも体重の重たいマーヤがメルヒオールにしなだれかかると、メルヒオールは満足げに小鼻を膨らませ、頬を綻ばせた。

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