第1305話 見送り

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 ティフの乗った馬はくつわをとるホブゴブリン兵に曳かれて進む。既に空には陽の残光も全く残っておらず、月明かりさえ雲の向こうに隠れている。あかりは地上で焚かれた篝火かがりび松明たいまつのみ……そんな闇夜にあってはいかなる場所であろうとも昼間とは全くおもむきを異にすることであろう。おまけに来た時は魔法をかけられて眠らされていたこともあり、ティフにとって周囲の様子は全く見覚えのないものだった。始めて見る道路、初めて見る建物……今、自分がどこをどう進んでいるのか見当もつかない。全天が雲に覆われて星の光さえ見えぬとあっては、どの方向が北でどの方が南かさえ定かではなかった。


「あまり、キョロキョロなさらぬことです」


 馬上のティフにすぐ横から野太く低い声が忠告する……声の主はもちろんグルグリウスだ。砦正門ポルタ・プラエトーリアまでティフを送り出すため、わざわざ松明を持ったホブゴブリン兵二人をともない付いて来ているのだった。ホブゴブリン兵の一人は前で馬の轡をとり、もう一人は馬の後ろ、そしてグルグリウスはティフの左隣を歩いている。


「ふん、見られては困るものがあるのか?」


 嘲笑ちょうしょうするようにティフが問い返すと、グルグリウスはその挑発に乗ることも無く落ち着いた様子で……というより、むしろあきれを噛み殺す様な調子で答える。


「それならアナタ様に再び魔法をかければ済むことです」


 ティフはムッとした。魔力に優れるはずの聖貴族が、それもハーフエルフが他人の魔法で前後不覚におちいるなど、恥以外の何物でもないのだ。しかも魔法をかけた本人がそれを指摘するなんて無礼極まる嫌味でしかない。


「な、なら俺が何を見ようが勝手だろ!?」


 恥ずかしさを振り払おうとするかのようなティフの反論はしかし、グルグリウスの呆れを誘うのみだった。


「ここは一応軍事施設、あまり興味関心を示さないようにするのが礼儀というものです。

 それに、あまりキョロキョロなさると目立ちますし、怪しまれもするでしょう」


 言われてみれば、人通りなどほとんどないにも関わらず、そのわずかな通行人の目はいずれも光って見えた。目がこちらを向いているから、随行するホブゴブリン兵の掲げる松明の光が反射して光って見えるのだ。

 ティフは居住まいを正して顔を正面に向ける。


「お前たちのせいで人目を引いてるだけだろ」


 たしかにグルグリウスの姿が人目を引くのは確かだ。長身のランツクネヒト族をも上回る上背にコボルトかホブゴブリンを思わせるほど隆々と盛り上がった筋肉、闇夜に浮き上がるほど青白い顔というだけで充分人目を引くというのに、さらに明るいグレーのジャケットと白いズボン、そしてジャケットの襟元からは輝く様な白いシャツと銀色のきらめくジャケットという姿なのだから、闇夜にあっても否応なく目立ってしまう。その巨躯と服装とが合わされば、うっすらと赤く光る瞳の異様さなど些末なことのように思えるほどだ。だがグルグリウスはクックックと肩を震わせる。


「何がおかしい?」


 笑うグルグリウスにティフが不機嫌に尋ねると、ペテンの種明かしでもするようにグルグリウスは答えた。


「この辺りにはサウマンディア軍団サウマンディア・レギオンの兵士しかおりません。

 つまり、皆吾輩わがはいのことは既に知っておるのです。

 今更、珍しがったりはせんでしょう」


 グルグリウスのことが軍団兵レギオナリウスたちに知られているのは確かにそうだ。だが、まるで軍団レギオーに溶け込んでいるかのように言うのは明らかに誇張であろう。グルグリウスが召喚されたのが一昨日の夜……その夜のうちに《地の精霊アース・エレメンタル》の眷属となってグレーター・ガーゴイルに進化し、翌日の晩にペイトウィン・ホエールキングを捕えて戻ってと、グルグリウスがカエソーたちと一緒に居たのは長く見積もっても一日半といったところ……おそらく兵士の半数程度はグルグリウスのことを話に聞いて知ってはいても、実際に姿を見たりしてはいないはずだ。口を利いたことのある者となると、カエソーを含めてもおそらく両手で指折り数えられるほどしかおるまい。

 しかしティフにはそんなことはわからない。二人の前後を歩いているホブゴブリン兵……ヨウィアヌスとカルスも、二人の英語の会話の内容は把握できておらず全く不反応だったことから、ティフはグルグリウスの言ったことを否定する材料を見つけることが出来なかった。


「それよりもやはり、ティフブルーボール様でしょう」


「何でだ、馬に乗ってるからか?」


「違いますとも」


 誰も反論しないのをいいことにグルグリウスは一人満足したように続けた。


「ここは軍事施設……本来なら民間人は勝手に立ち入ることのできない場所です。

 つまり軍隊にとってあまり見られたくないエリアなのです。

 そして周囲にいるのは皆軍人……この場所をあまり見られたくないと思っている張本人たちなのです。普段から外部の者に見られないように気を使う癖がついてしまった者たちの目の前で周囲をキョロキョロと見回す仕草をしてごらんなさい。

 そりゃあ怪しんでくれ、警戒してくれと言ってるようなものではありませんか?」


 ティフは話に納得したわけではなかった。それどころか、グルグリウスの話に納得するのは、何かグルグリウスに言い負かされたようで気に入らなかった。だが反論する材料がとぼしいのと、下手に反論するとまた反論されて却ってこっぴどく言い負かされそうな予感がし、どうしようもなく面白くなかったが納得するフリをすることにした。


「ふんっ」


 周囲に聞かせるようにワザと大きく鼻を鳴らし、背を伸ばしてまっすぐ前を見る。馬が驚いたようにわずかに首を曲げ、耳を後ろへ向けた。


「これでいいか?」


 ティフの反抗心を押し殺したようなその態度は、グルグリウスには酷く素直なものに見える。グルグリウスはティフの素直な態度には、嫌味や皮肉を返すことなく素直に評価した。


「よろしいですとも」

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