第1306話 リウィウスの速報

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 カエソーの前を辞したリウィウスがルクレティアの下へ戻った時、平民プレブスなら誰もが、貴族ノビリタスであっても女子供はとっくに寝ている時間ではあったが、ルクレティアはまだ起きてリウィウスたちが戻るのを待っていた。


「それで、『勇者団』ブレーブスとの交渉はまとまったのですか?」


 祈るように両手を胸の前で握りしめ、眼前でかしこまるホブゴブリンの武装奴隷ガレアートゥスに問いかけるルクレティアは、その答に救いを求めるかのようである。

 《地の精霊アース・エレメンタル》の圧倒的な力の前に敗退を続ける『勇者団』ではあったが、ルクレティアから見た彼らは悪魔的な軍略でレーマ軍を翻弄ほんろうし、百人にも及ぶブルグトアドルフ住民たちを殺傷し、全滅にも等しい大損害を被ってもなお戦意を衰えさせることのない戦闘狂集団であった。そのリーダーとおぼしきハーフエルフが単騎で乗り込んできたというのだから、専属侍女のクロエリアが何度もうおやすみなさいませを忠告しても聞き入れることなくリウィウスの報告を待ち続けたのも致し方のない事なのかもしれない。

 しかしリウィウスがルクレティアを前に畏まった態度を見せているのは、何もお互いの身分の差だけが理由ではなかった。リウィウスはルクレティアを安心させる自信が無かったのである。


「雰囲気だけならまとまったような様子でしたが、奥方様ドミナ……自慢じゃありやせんが、アッシは英語がわかりやせんもんで……」


「つまり、ハーフエルフ様は英語で御話しになられていたので内容は聞き取れなかったということですか?」


 呆気にとられるルクレティアの横からクロエリアが尋ねると、リウィウスはバツの悪そうにペコリと頭を下げた。


「その通りで……」


 ルクレティアとクロエリアはリウィウスの苦笑いに呆れと失望を綯交ないまぜにしたような溜息をついた。


「でっ、ですが奥方様ドミナ

 最後はハーフエルフ様ぁグラディウスを納め、特に捕えられることもなく帰されやしたんで、へぇ、少なくとも話はついたんじゃねぇかと……」


 少しでも二人を安心させようとしたリウィウスだったが、どうやら口が滑ってしまったようだ。リウィウスの言葉に二人は過剰な反応を示す。


グラディウス!?」

いくさになったのですか!?」


 ルクレティアとクロエリアの思わぬ食いつきようにリウィウスは両手をかざして全力で否定せねばならなくなった。


「いえ!

 一時いっときぁ戦になりかけやしたが、大事にゃあなりやせんでした!

 どなたも傷一つ負っちゃあいやせん!!」


 リウィウスの弁明にルクレティアとクロエリアは互いの目を見合わせ、溜息をついた。

 『勇者団』のハーフエルフは交渉に来たことになっているはずである。交渉の席で剣を抜いたとあらば只事ではない。交渉を行う使者は互いに安全が保障されるのが原則だ。使者は武器を自衛用として携行することはあるが、交渉を平和裏に進めるため、基本的に武器は交渉相手に用いないのは当然であろう。にもかかわらず交渉の席で剣が抜かれたというのだから余程のことがあったに違いない。


「ハーフエルフ様との交渉……ひょっとしてうまくいかなかったのでは?」


 クロエリアが躊躇ためらいがちにリウィウスに尋ねた。本当ならこれはルクレティアが訊きたい質問であろうが、クロエリアはあえてルクレティアの気持ちをおもんぱかって自分の口から疑問を呈した。ルクレティアがそれを口にするのは貴婦人としてははばかられるからだ。

 もしルクレティアがそれを尋ねたら、ルクレティアが交渉を担当したカエソーを疑うことになってしまうだろう。ルクレティアはレーマ帝国でも有数の血統を誇る聖貴族、上級貴族パトリキの中の上級貴族である。そのルクレティアがカエソーの交渉力に疑問を呈したとなれば、サウマンディウス伯爵家の名誉にかかわる問題になりかねない。だがクロエリアなら身分は平民であり、カエソーに対して疑問を抱いたとしても、その疑問そのものが権威を持つことがない。いわば無責任な立場の噂の一つと同じ意味にしかならない。仮にカエソーがその疑問を耳にして激昂したとしても、怒られるのはただの侍女……サウマンディウス伯爵家とスパルタカシウス家の間で騒動が起こる可能性は排除できる。


「そ、そりゃあアッシにゃあ何とも……

 ただ、さっきも申しましたようにハーフエルフ様ぁグラディウスをお納めになられて、最後は大人しく帰られやしたんで……」


「交渉が決裂したから帰られたのではなくて?」


「決裂するようなら捕まえるって話だったじゃあござんせんか」


 しつこく疑問を呈するクロエリアにリウィウスはねたように答えた。


 ハーフエルフが接近している……《地の精霊》からそう知らされ、カエソーらと共に対応を相談した際にはそのような方針が決められていた。

 『勇者団』が交渉に来る。おそらく捕虜を返せとか言う話だろうが、返すわけにはいかない。こちらの立場的には投降を勧めなければならない。とてもではないが両者の交渉が無事にまとまるとは思えなかった。もしも交渉が決裂したらどうなるか……それを予測するのは難しかった。

 正面から戦えば《地の精霊》の加護を受けられるカエソーらが勝利するだろう。実力差はそれだけ圧倒的だ。だがその実力差は《地の精霊》によってもたらされるものであり、レーマ軍の実力ではない。それに《地の精霊》の任務はルクレティアの護衛であり、ルクレティアから離れて行動することはできなかった。カエソーはルクレティアと同行しているからこそ《地の精霊》の力を借りられているのであって、アルトリウシアに到着したり別行動にうつるなどしてルクレティアから離れたら、たちまち《地の精霊》の加護を失ってしまうのだ。そうなればレーマ軍を率いているとはいえカエソーに対処するのは難しくなる。少なくともカエソーに、『勇者団』を正面から打ち破る自信は無かった。

 ではルクレティアに対『勇者団』作戦への協力を要請できるかと言うと無理だ。ルクレティアは降臨者リュウイチの聖女サクラであり、その身に万が一のことがあってリュウイチが《暗黒騎士ダーク・ナイト》の力を振るうようなことになれば一大事だ。そうなればもう対『勇者団』どころの話ではなくなってしまう。カエソーにしろルクレティアにしろ、かなり危ない橋を渡っているのである。


 そしてルクレティアにしろカエソーにしろ、そのことはよく理解していた。いや、理解しきれていなかったからこそ今の事態になっているのかもしれない。カエソーもまだ二十代の若者であり、ルクレティアも十五歳の未成年……リュウイチに力を振るわせないようにしなければならないということは理解しているが、そのためにどうすればいいかまでは頭が回り切っていないところがある。

 カエソーが捕虜を護送するにあたり、《地の精霊》の力を利用するためにルクレティアと同行してわざわざアルトリウシア経由で帰ろうとしているのもそうだし、またルクレティアもリュウイチから魔導具マジック・アイテム下賜かしされて正式な聖女として活躍できるようになったことでだいぶ浮かれているところがあった。ルクレティアが魔導具を身に着け、魔法を使って活躍することを期待してウズウズしているのは、近くで見ていた者たちの誰の目にも明らかだったのだ。むしろ『勇者団』という明白なが現れ、事件を起こしてくれたことに対して、自分が活躍する機会が訪れたと、本人も自覚できない心の奥底深いところで期待する向きももしかしたらあったかもしれない。


 だが二人の若者特有の迂闊うかつさは明らかに自身の立場を追い詰めて来ている。ブルグトアドルフを二度目の戦禍に晒し、シュバルツゼーブルグの街にも危うく被害を及ぼすところだった。そして『勇者団』はルクレティアを追ってアルトリウシアにまで迫ろうとしている。これらはカエソーやルクレティアに原因を求めようと思えばできなくはない被害だ。仮に二人に政敵が存在し、このことを知ったならば間違いなく追及して来るであろう失態である。

 今回の交渉が綺麗にまとまれば、そうした責任問題が明るみになる可能性は積むことができただろう。『勇者団』の被害がこれ以上拡大する懸念も払拭できる。


 リウィウスもルクレティアがそうした不安にさいなまれているのは近くで見ていて知っていた。今回のハーフエルフ接近が新たな戦禍を齎す不安と、一連の事件が解決されることへの期待とを、カエソーとルクレティアの二人は抱いていた。

 カエソーの方はまだ交渉の当事者として事態の推移に介入できる。だがルクレティアの方はそうもいかない。女子供の立場でレーマ軍と『勇者団』の交渉に立ち入ること等できるわけもないし、一般人もいるグナエウス砦で《地の精霊》と『勇者団』の決戦をさせるわけにもいかない。ルクレティアは何も出来ずに不安を持て余すほかなかったのだ。

 だからこそリウィウスはいち早くルクレティアに交渉の様子を報告し、その不安を取り除いてやろうと考えていた。喜んでもらえると思っていた。安心してもらえると期待してた。……が、この反応である。年甲斐も無く拗ねるのも仕方のない事なのだろう。


「わからないわ……交渉が上手く行ったのならカエソー伯爵公子閣下が直接こちらに来てもいいはずだもの」


「でも閣下は捕まえなかったと……」


「もしかして、人質を取られているとかして捕まえたくても捕まえられなかったのかも……」


「それで交渉に失敗したけど帰さざるをえなかったと?」


「考えられなくはないと思わない?」


 二人で想像を膨らませる女性を見てリウィウスは後悔していた。ルクレティアが安心して眠れるようにと思っていち早く駆け付けたというのに、中途半端な理解で報告してしまったせいで、ルクレティアを安心させるどころか却って興奮させてしまっている。これではまるで逆効果だった。

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