第1307話 ”意外”

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦司令部プリンキピア・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 レーマ帝国におけるキリスト教の評価は怪しげなカルト宗教といったところだ。キリスト教は世界を二分して行われた大戦争においてレーマ帝国に敵対した啓展宗教諸国連合側の大多数の国で国教とされていたし、レーマ帝国が神聖視している《レアル》ローマ帝国の滅亡にキリスト教の存在が大きく影響していると考えられていたこともあって、レーマ帝国臣民はキリスト教に対して否定的な印象を持っているのが普通だ。特にゴブリン系、オーク系などの亜人や獣人などのヒト種以外の人間たちは、啓展宗教諸国連合側でキリスト教の教義を理由に亜人・獣人たちが差別され、奴隷とされて激しく迫害されていることもあって強い忌避感を抱いている。

 そうした憎悪はランツクネヒト族をはじめとする啓展宗教諸国連合側からの亡命者たちによる文字通り多大な犠牲を伴う大戦争への貢献と、彼らが設立したレーマ正教会の不断の努力によってだいぶ和らいできてはいるが、レーマ帝国の非キリスト教徒たちに充分な理解を勝ち取るには至っていない。大戦争中の何人も無視しえぬ戦功を挙げたランツクネヒト支援軍アウクシリア・ランツクネヒトへの恩賞として与えられた領地が、帝国版図の中で帝都レーマから最も遠く離れた最南端の辺境アルビオンニア属州だったのはそれなりの背景があってのことだったのだ。


 そのようなレーマ帝国でキリスト教聖職者の立場は決して強くはない。カルト教団の指導者として胡散臭うさんくさがられるのが常だ。キリスト教徒の占める人口割合が高く、属州領主自身が熱心なレーマ正教徒であるアルビオンニア属州では幾分いくぶんマシではあるとはいえ、相手が非キリスト教徒……特にヒト以外の種族となると冷遇されることは当然のように覚悟せねばならなくなる。要するに差別なわけだが、レーマ正教会の聖職者たちはこれを受難の一種と位置付け、これに堪えることを信仰と修行の一環としてとらえていた。それがまた、レーマの非キリスト教徒たちから気味悪がられる一因になってもいたのだが……


 若き新米牧師メルキオルも受難を覚悟していた。ホブゴブリンの砦司令官プラエフェクトゥス・ブルギが相手ということもあったし、いきなり夜中にやってきて自分でも信じてはもらえないだろうと思えるような話をして何らかの対応を引き出そうとしている自分の身勝手さに対する後ろめたさもあった。

 しかし実際に話し始めていみるとメルキオルの話を聞く砦司令官の態度は、メルキオルが当初予想していたよりは悪いものではなかった。が、好意的でも決してない。敵対的と言うか、否定的と言うか、そんな拒絶を感じさせるものではないのだが、かといって関心や興味を示している様子も無い。視線はジッとメルキオルを見据えているのでメルキオルに注意を払っていることは間違いないにもかかわらず、メルキオルの話にまるで反応を示していないかのような、話をただ聞き流しているだけのような、メルキオルがこれまで経験したことの無いような何とも不思議な反応だった。


 話を聞いてくれていないのではないか? ……そんな不安に駆られ、自然と話し方に熱を込めていったメルキオルだったが、メルキオルが砦の門前で出会った巨漢の一部始終の話をし終えると、砦司令官はメルキオルから視線を外し、大きく息を吸い込みながら前のめりにしていた身体を起こした。


「なるほど分かりました。

 話は以上ですか?」


 砦司令官の態度にどこか不誠実な雰囲気を感じながらも、メルキオルは「はい」と答える。


ウッシ尼シュベスター・ウッシは連れ去られた若者のことを酷く心配しています。

 そして、あのようなが、このブルグスに居ることについても、とても不安に思ってい……」


 訴えかけるメルキオルを砦司令官は片手をかざして止めた。


センセープレディーガ・・・そうお呼びすればいいんでしたかな?」


 砦司令官の唐突な質問にメルキオルは一瞬面食らい、それから戸惑いながら答えた。


「そうですが、プレディガーというのはドイツ語で、先生マジステルという意味です。

 失礼ながら司令官殿ドミヌス・プラエフェクトゥスはキリスト者ではないのですから、普通にメルキオルとお呼びください」


 メルキオルがそう言うと砦司令官はどこか拍子抜けしたような眉をヒョイとあげて一瞬だけはにかむと、改めてメルキオルに向き直った。


「そうですか……いや失礼。

 話は戻しますがメルキオル殿、私はくだんの巨漢に心当たりがあります」


 ある程度予想してはいた答えだったが、メルキオルはそれでも驚いたようにわずかに目を丸くして身体をわずかに仰け反らせた。身構えるメルキオルに砦司令官は神妙な面持おももちで続けた。


「しかし、その人物について詳しく申し上げることはできません」


「……軍の、関係者なのですか?」


 砦司令官は頷くでも首をふるでもなく、困ったように小首を小さく傾げる。


「詳しいことは私も……」


司令官殿ドミヌス・プラエフェクトゥスの御存知ない人物が、ブルグスの中で軍団兵レギオナリウスを動かしているのですか?」


 砦司令官のその答をあからさまな韜晦とうかいと感じたメルキオルは思わずムキになったように追及した。これには砦司令官もカチンときたらしく、身体を一瞬揺すって口をへの字に結ぶと、身体を前のめりにした。


「それは、メルキオル殿のお話にあった二人のホブゴブリン兵のことですか?」


「……そうです」


 迂闊に口を滑らせ相手を刺激してしまったことを後悔しながら、メルキオルは怒気を押し殺そうとしてくれている砦司令官に首肯する。


「その者たちは軍団兵レギオナリウスではありません」


軍団兵レギオナリウスではない?

 その二人のことも御存知なのですか?」


 話していいのだろうか……そう迷うかのように砦司令官は一度前のめりにしていた身体を引きながら、脇の方へ視線を泳がせると、すぐにそのまま顔をメルキオルへ向けなおして答えた。


「ええ……ええ、存じております。

 その者たちは兜被りガレアートゥスですよ」


兜被りガレアートゥス?」


 予想していなかった答にメルキオルは眉間にしわを寄せていぶかしむ。


「武装した奴隷セルウスです。

 ガレアに羽根飾りがなかったでしょう?」


 砦司令官が言うようにレーマ軍の兜には必ずといっていいほど扇状の羽根飾りがついていた。一般の兵士は鳥の鶏冠とさかのように縦に、百人隊長ケントゥリオ以上の将校の兜には横方向に広がるように着け、遠くからでもその存在が分かるようになっている。おかげで前線指揮官である百人隊長の戦死率は異様に高くなってしまっているのだが、臆病であることを何よりも嫌う文化ゆえかその問題は何も対策されることなく放置されていた。


「で、でも、かなり立派な格好をしてましたよ!?」


 メルキオルは戸惑いを隠せない。確かにグルグリウスに付き従っていたホブゴブリン兵士の兜に羽根飾りは付いていなかった。だが身に着けていた武装は松明たいまつの頼りない灯りの中でさえ輝いて見えるほど立派な代物だったのである。だからこそメルキオルも正規の軍人だろうと思い込んでいた。まさかたかが奴隷がそんな立派な格好などするなど想像できるはずもない。

 一人混乱するメルキオルに砦司令官はまるで同情するように言った。


特有財産ペクーリウムでしょう。

 主人に財力があれば、奴隷も恵まれます」

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