第1308話 最後のひと悶着
統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐
ティフを連れたグルグリウスの一行は裏道から
一行はそのまま中央通りを正門へ向けて進み続ける。
演習場?
……いや、よく見ると建物の基礎っぽいのが整然と並んでいるな。
なんだあそこは?
注意をそちらに向けすぎてしまったのだろう、ティフが身をそちらへ乗り出してしまったせいで体重が傾き、それを進路変更の指示と勘違いした馬がそちらへ向かおうとしたのを、
「あまりキョロキョロなさらないでくださいと、申し上げたはずですが?」
見かねたグルグリウスが困ったように注意する。
「ああ、すまんな」
意外なことにティフは素直に謝った。だが反省したわけではないようで、すぐにグルグリウスを振り返って質問する。
「ところであそこは何だ?
やけに広い空き地が広がってるようだが、広場とかじゃないようだ。
何か建てようとしているのか?」
ティフが指差す先はグルグリウスの位置からはティフを乗せた馬が邪魔でよく見えない。だが、現在位置とティフの指差す方向からだいたい何を訊いているのかは予想がついた。
答えていいものだろうか……
いや、もう民間人もみんな知っていることだ、構わないか……
グルグリウスは少し
「いえ、建てるのではなく解体しているのですよ」
「解体?」
ティフは指差していた手を降ろし、手綱を握りなおす。
「ええ、アルトリウシアで事件があったのは御存知でしょう?」
「……ゴブリンの傭兵団が叛乱を起こしたとかいう奴か?」
これまでに街で耳にしたアルトリウシアに関する事件といわれればそれしか思い浮かばない。ティフのその予想は正しく、グルグリウスは首肯した。
「ええ、それで街に大きな被害が出たんだそうです。
で、事件の時に起きた火事で家を焼け出された領民が冬を越せるようにと、ここの兵舎を解体してアルトリウシアに移設してるんだそうですよ」
ティフは驚いた。兵舎を移設しているということにではなく、グルグリウスがそんなことを素直に教えてくれたことに対してだ。
兵舎がどこにどれだけあるか……それは軍にとって重要な機密情報にあたるはずである。それはその施設にどれだけの兵力を収容できるかを直接的に知る手掛かりになるからだ。その兵舎がグナエウス砦から撤去されようとしているとしたら、グナエウス砦が軍団を収容する能力を喪失しようとしていることを意味している。そんなことを“敵”であるティフに対して教えていいのか……ティフの感覚からすればそれは教えてはならない情報のように思われた。
無言のままグルグリウスを凝視するティフを奇異に感じたグルグリウスが、改めてティフの方へ視線を向ける。
「何か?」
「……いや、そんなこと俺に教えて良かったのか?」
グルグリウスは視線を正面に向けなおすと何かを諦めてしまったかのように溜息をついた。
「既に世間に広く知られていることです。
アルトリウシアではもう移設した兵舎で住民が生活しはじめているそうですよ。
そんなもの、今更隠してもしょうがないでしょう」
「ふーん……」
ティフは何か感心したような、どうでもいいことのような、何とも判断しかねる曖昧な返事をすると、しばらくしてから眉を
「だったら俺を魔法で眠らせなくても良かったんじゃないか!?」
「何を笑ってる?!
ここへ来る時、お前俺を魔法で眠らせただろ!
あれは砦の中を見せたくなかったからじゃなかったのか!?」
「さあ、何のことだか分かりませんな。
笑いを堪えながら答えるグルグリウスは明らかに
「くそ、覚えてろよ」
ティフが小さく毒づくが、グルグリウスはそれ以上は何も言わなかった。しかしティフは腹の虫が収まらない。勝ち逃げされたようで気に食わないのだ。
「
ティフは矛先を変えた。ラテン語で馬を曳くホブゴブリンに呼びかける。
「
突然話を振られたヨウィアヌスはわずかに振りむきかけるが、何かの間違いだと自分で自分に言い聞かせるように前を向いて歩き続ける。
「
ヨウィアヌスはティフの言っていることについて思いっきり身に覚えがあったが、何せ相手はムセイオンの
無視しやがって……ティフはその生意気な態度に腹を立てたが、隣にグルグリウスがいる以上下手に感情をぶつけるわけにもいかず、そのまま話し続けた。
「
「
ティフはヨウィアヌスを追及して、あわよくばそこから《
「何だよ!?」
「もう夜更けです」
「それがどうした!?」
「夜は昼間よりも声が大きく響きます。
自分では小さい声で囁いているつもりでも、昼間と同じ調子で話していると思ったよりも遠くまで聞こえているものですよ。
そのようなこと、あまり大声で話されては困りますな」
そこまで言うとグルグリウスは声を低くく抑えて続ける。
「ましてや鋼だのミスリルだのと話されては、ここにムセイオンの聖貴族が居るぞと宣伝しているようなものではありませんか?」
グルグリウスの声にはティフを怖気づかせるだけの迫力が込められていた。ティフは一瞬言葉を飲み、周囲を見回すと、既に砦正門まであとわずかと言うところまで来ていた。人通りは相変わらず少ないが、砦司令部からここまでの間で比べれば多い方である。民間人の宿泊施設があり、遅れて到着して馬の世話を終えた御者たちが、まだ起きていて夕食を求めて出歩いていたのだ。そしてそうした数少ない通行人の目が、いずれもティフに向けられている。
「わ、悪かった」
ティフは不満そうに鼻を鳴らした。
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