第1308話 最後のひと悶着

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦中央通りウィア・プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 ティフを連れたグルグリウスの一行は裏道から砦司令部前広場フォルムス・プリンキピイ・ブルギまで出てくると、そこからそのまま砦正門ポリタ・プラエトーリアまでまっすぐ続く中央通りウィア・プリンキパーリスへ針路をとる。ティフを連れてきた時のコースをそのまま逆順でたどっているだけだが、ティフ自身は来るときはグルグリウスの魔法で眠らされていたので全くと言っていいほど憶えていなかった。ただ、砦司令部の正面玄関は砦正門から遠目にだが見えていたので、司令部前広場まで来た時にようやく自分がどのあたりに居るのか見当がつき、改めてソワソワと周囲を見回し始める。グルグリウスはティフがまたキョロキョロし始めたことに気づいてはいたが、今度は特に咎めはしなかった。この中央通りの北側はグナエウス峠を越える民間人が宿泊するための収容施設が立ち並んでいて誰でも見ることができたし、砦司令部に用のある民間人も普通に立ち入ることのできるエリアだったからだ。

 一行はそのまま中央通りを正門へ向けて進み続ける。病院ウァレトゥディナリウム工房ファブリカといった施設や高級将校用の官舎が集中する砦司令部周辺地区を通り過ぎると通りの左右に急に空き地が広がり、そこに多くの資材が山積みになっている。資材が積まれたその先には何もない空き地が広がっているようだ。


 演習場?

 ……いや、よく見ると建物の基礎っぽいのが整然と並んでいるな。

 なんだあそこは?


 注意をそちらに向けすぎてしまったのだろう、ティフが身をそちらへ乗り出してしまったせいで体重が傾き、それを進路変更の指示と勘違いした馬がそちらへ向かおうとしたのを、くつわをとっていたヨウィアヌスが強引に引き戻した。


「あまりキョロキョロなさらないでくださいと、申し上げたはずですが?」


 見かねたグルグリウスが困ったように注意する。


「ああ、すまんな」


 意外なことにティフは素直に謝った。だが反省したわけではないようで、すぐにグルグリウスを振り返って質問する。


「ところであそこは何だ?

 やけに広い空き地が広がってるようだが、広場とかじゃないようだ。

 何か建てようとしているのか?」


 ティフが指差す先はグルグリウスの位置からはティフを乗せた馬が邪魔でよく見えない。だが、現在位置とティフの指差す方向からだいたい何を訊いているのかは予想がついた。


 答えていいものだろうか……

 いや、もう民間人もみんな知っていることだ、構わないか……


 グルグリウスは少し躊躇ちゅうちょしたが、それもあまり長い時間ではなかった。


「いえ、建てるのではなく解体しているのですよ」


「解体?」


 ティフは指差していた手を降ろし、手綱を握りなおす。


「ええ、アルトリウシアで事件があったのは御存知でしょう?」


「……ゴブリンの傭兵団が叛乱を起こしたとかいう奴か?」


 これまでに街で耳にしたアルトリウシアに関する事件といわれればそれしか思い浮かばない。ティフのその予想は正しく、グルグリウスは首肯した。


「ええ、それで街に大きな被害が出たんだそうです。

 で、事件の時に起きた火事で家を焼け出された領民が冬を越せるようにと、ここの兵舎を解体してアルトリウシアに移設してるんだそうですよ」


 ティフは驚いた。兵舎を移設しているということにではなく、グルグリウスがそんなことを素直に教えてくれたことに対してだ。

 兵舎がどこにどれだけあるか……それは軍にとって重要な機密情報にあたるはずである。それはその施設にどれだけの兵力を収容できるかを直接的に知る手掛かりになるからだ。その兵舎がグナエウス砦から撤去されようとしているとしたら、グナエウス砦が軍団を収容する能力を喪失しようとしていることを意味している。そんなことを“敵”であるティフに対して教えていいのか……ティフの感覚からすればそれは教えてはならない情報のように思われた。

 無言のままグルグリウスを凝視するティフを奇異に感じたグルグリウスが、改めてティフの方へ視線を向ける。


「何か?」


「……いや、そんなこと俺に教えて良かったのか?」


 グルグリウスは視線を正面に向けなおすと何かを諦めてしまったかのように溜息をついた。


「既に世間に広く知られていることです。

 アルトリウシアではもう移設した兵舎で住民が生活しはじめているそうですよ。

 吾輩わがはいも昨日、軍人でも何でもない馬丁ばていの一人からそれを聞いたのです。

 そんなもの、今更隠してもしょうがないでしょう」


「ふーん……」


 ティフは何か感心したような、どうでもいいことのような、何とも判断しかねる曖昧な返事をすると、しばらくしてから眉をひそめた。


「だったら俺を魔法で眠らせなくても良かったんじゃないか!?」


 なじるティフの声にグルグリウスはわずかに驚き、それからククッと肩を揺らした。


「何を笑ってる?!

 ここへ来る時、お前俺を魔法で眠らせただろ!

 あれは砦の中を見せたくなかったからじゃなかったのか!?」


「さあ、何のことだか分かりませんな。

 ティフブルーボール様は随分お疲れのようでしたが?」


 笑いを堪えながら答えるグルグリウスは明らかにとぼけていたが、かといってそれ以上食い下がるだけの材料がティフには無い。


「くそ、覚えてろよ」


 ティフが小さく毒づくが、グルグリウスはそれ以上は何も言わなかった。しかしティフは腹の虫が収まらない。勝ち逃げされたようで気に食わないのだ。


おいエウスお前トゥ!」


 ティフは矛先を変えた。ラテン語で馬を曳くホブゴブリンに呼びかける。


ファドの言ってたゴブリン兵ってお前だろノンネ・ゴブリヌス・ミレス・エス、クェム・ファド・ディクシット⁉」


 突然話を振られたヨウィアヌスはわずかに振りむきかけるが、何かの間違いだと自分で自分に言い聞かせるように前を向いて歩き続ける。


おいエウス無視するなノン・イグノラーレ

 アルビオンニウムでファドと戦っただろプニャスティ・ファド・イン・アルビオニオ・レクテ!?」


 ヨウィアヌスはティフの言っていることについて思いっきり身に覚えがあったが、何せ相手はムセイオンの聖貴族コンセクラトゥス……貴族ノビリタスの中でも最上級の上級貴族パトリキだ。そして『勇者団』ブレーブスの関係者でもある。つまり面倒極まりない相手だ……そんな相手に話しかけられたことに驚き、巻き込まれたくないと思いヨウィアヌスは内心ビクビクしながらも黙って歩き続けた。最後尾のカルスは“ゴブリン兵ゴブリヌス・ミレス”などと侮辱されたことに驚き、それに反応も示さず黙って歩き続けるヨウィアヌスの後ろ姿に驚き、ハラハラしながらも目を見開いて様子を見続ける


 無視しやがって……ティフはその生意気な態度に腹を立てたが、隣にグルグリウスがいる以上下手に感情をぶつけるわけにもいかず、そのまま話し続けた。


お前のヘルメットの傷で分かったぞインテレクシ・クム・ウィディッセム・イン・ガレア・トゥア・ダムヌム

 ファドの剣をヘルメットで弾いたそうだなアウディーヴィ・テ・ペルクッソレム・グラディイ・ファディイ・クム・ガレア・オブストゥルクシッセ

 ファドの剣は俺が譲った物だグラディウス・ファディイ・エスト・クォド・エイ・デイディ

 自慢じゃないがノン・スペルブス・スム鋼の業物だぞイデ・エステ・カルブス

 そしてファドの腕も確かだアイテム・アルス・エスト・グラジア・ファディイ

 つ・ま・りイン・アリース・ヴェルビス

 普通のレーマ兵の兜なんかで防げやしないノン・テ・プロテーゲ・ガレア・ミリタリス・レーマーナ・ティピカ

 レーマ軍の普通のヘルメットならスィ・ガレア・レーマーナ・ティピカ・フイトファドが真っ二つにしてたさア・ファドー・ディミディアータ・エリート

 最初ファドから聞いた時は半信半疑だったがドゥビターバム・クム・プリムム・ア・ファド・アウディーヴィだが本当だってお前を見て理解したぞセム・クム・テ・ヴィディッセム、ミー・ペルスアースム・エステ

 お前のヘルメット、ミスリル製だなガレア・トゥア・エクス・ミスリーリ、ヴォックス!?

 ミスリルは聖遺物だミスリル・エスト・アイテム禁制品だぞプロイビートゥス・エステ!?

 お前は何でそんなクー・タレアム……」


ティフブルーボール様!」


 ティフはヨウィアヌスを追及して、あわよくばそこから《地の精霊アース・エレメンタル》を使役している人物の手がかりを引きずり出してやろうと思ったが、それはグルグリウスによって阻止された。


「何だよ!?」


「もう夜更けです」


「それがどうした!?」


「夜は昼間よりも声が大きく響きます。

 自分では小さい声で囁いているつもりでも、昼間と同じ調子で話していると思ったよりも遠くまで聞こえているものですよ。

 そのようなこと、あまり大声で話されては困りますな」


 そこまで言うとグルグリウスは声を低くく抑えて続ける。


「ましてや鋼だのミスリルだのと話されては、ここにムセイオンの聖貴族が居るぞと宣伝しているようなものではありませんか?」


 グルグリウスの声にはティフを怖気づかせるだけの迫力が込められていた。ティフは一瞬言葉を飲み、周囲を見回すと、既に砦正門まであとわずかと言うところまで来ていた。人通りは相変わらず少ないが、砦司令部からここまでの間で比べれば多い方である。民間人の宿泊施設があり、遅れて到着して馬の世話を終えた御者たちが、まだ起きていて夕食を求めて出歩いていたのだ。そしてそうした数少ない通行人の目が、いずれもティフに向けられている。


「わ、悪かった」


 ティフは不満そうに鼻を鳴らした。

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