第1309話 不満足な答

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦中央通りウィア・プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 何とも釈然としない結末に、砦司令部プリンキピア・ブルギを出たメルキオルは真っ白な息を吐いた。遠くに点々と見える篝火かがりびが一瞬もやの向こうにかすむが、目の前にできたかすみはすぐに風に流され、もの寂しい夜景が再びよみがえる。


 彼らは非常に高貴な御身分の奴隷セルウスです。ああ!どうかその名を問わないでください。私も知らされていないのです。そして巨漢の方ですが、これも軍人ではありません。軍に協力していただいている方です。ええ、そうですね軍属と言えなくなないかもしれません。いえ、我がアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアのではありません。何でもメルクリウス捜索のための専門家で、伯爵公子閣下が特別に契約したのだとか……ええ、ですから我々も詳しいことは知らされていないのです。ええ、ええ、確かに不審な点があるのは否定しません。ですが御存知の通りメルクリウス捜索は全人類共通の課題、レーマ帝国軍にとっても最優先事項ですから、我々としても彼らがメルクリウス捜索のための特別任務についていて、しかもサウマンディウス伯爵家からそれが必要だと言われれば、たとえ所属や命令系統が違っていてももう協力するほかないのです。ええ、ですからメルキオル殿もどうかこのことは御内密に。くだんの女性、シュベスターなんとか夫人にもどうか騒ぎ立てないようメルキオル殿の方からよく言って差し上げてください。下手に彼らのことで騒がれるとメルクリウス捜索を妨害したとして罪に問われる可能性もありますから……。


 グナエウス砦に居て兵士と共に行動している以上、おそらく軍の関係者だろう……そんなメルキオルの予想は半分当たっていた。何かの特殊任務についている人物というのも当たっていた。が、魔力の素養の高さからいずれは女司祭プリスタレンにと将来を嘱望しょくぼうされる修道女ノンネウッシに悪魔ディーモンと恐れさせるほどの魔力の持ち主がつく特殊任務と言われても見当もついていなかった。


 メルクリウス捜索の専門家……か。


 自分の疑問に自分で答えられなかった。だからこそメルキオルはウッシの望む通り砦司令官プラエフェクトゥス・ブルギに直接面会し、通報してみたのだったが、砦司令官から聞かされたメルクリウス捜索のためという答はメルキオルを納得させるには十分な説得力を持ったものだった。

 降臨者を召喚してヴァーチャリア世界に文明をもたらしたメルクリウス……本来ならその功績は誰よりも大きく、人類最大の英雄として称えられるべき存在であろう。だがいつのころからかゲイマーガメルを召喚するようになり、そのゲイマーたちが大戦争を引き起こしたことによってメルクリウスは今や世界最大の“お尋ね者”となってしまっている。その身柄の捕縛は世界人類共通の課題であり、あらゆる国のあらゆる軍隊にとって最優先任務となっていた。たとえ戦争中の敵国同士であっても、メルクリウス逮捕のためとあらば休戦して手を取り合うのも当然とされるほどの重大事項。そのために人外の存在にさえ協力を仰ぐのが不思議だとはメルキオルには思えない。

 しかし、メルキオルが納得したからと言ってそれですべてが解決したわけではなかった。


 ウッシ尼シュベスター・ウッシに何て説明しよう?


 メルキオル自身はあの謎の巨漢について特別な感情を抱いているわけではない。変わった風体ふうていの人物がいるな……言ってしまえばそれぐらいのものだ。だからウッシが騒がなければメルキオルもわざわざ夜中だというのに砦司令部へ砦司令官を訪ねて行ったりはしなかっただろう。だがウッシは謎の巨漢が徒者ただものではないことに気づいてしまった。常人ではあり得ない魔力を持った、人間ではない何かだと……


 彼女は悪魔ディーモンだと思ってる……

 いや、もしかしたら本当に悪魔ディーモンなのかもしれないが、だが……


 ウッシは元々信仰心のあつい女性である。修道女になったぐらいだから……というわけではない。孤児院の少女が里親も見つからず就職先も結婚相手も見つけられずに仕方なくそのまま修道女になる例は珍しくなかったし、貴族が嫁の貰い手の無い娘を修道院に引き取らせる例もよくあったからだ。ウッシは前者であり、孤児院から修道院に進んだクチだ。子供の頃はさほど信仰心に篤い方ではなかったが、修道女として修業を積んでいるうちに魔力の才覚を見出されたことから、次第に神とか運命とかいうものを信じるようになり、周囲に認められ将来を期待されるようになるにつれて信仰へと傾倒していった人物である。


 魔力に限らず他人には無い特別な才能を見出された若者と言うのは、どうしても選民思想じみた優越感を抱いてしまうものだ。自分は天才だ、特別なんだ……そういった感覚は言ってみればナルシシズムの一種なわけだが、周囲がそれを認め、褒めそやし、それを理由に甘やかしたりすると容易に自分を見失い、他人を見下すようになり、社会性を失ってしまうことになりかねない。子供のころから英才教育を受けた天才たちに人格破綻者が多いのはこれが理由だ。数多くの子供たちの中から特別な才能の持ち主を見出し、その才能を伸ばしながら選民思想じみた優越感におぼれさせることなく社会性も同時に育むのは、おそらく教育学にとっての永遠の課題であろう。

 レーマ正教会の場合はそれに対して信仰による解決を試みていた。お前たちのその才能は神から与えられたものである。神はお前たちを通じて奇蹟を起こそうとされておられるのだから、お前たちは信仰を捧げ、神の恩寵おんちょうがあまねく世にいきわたるよう努めねばならぬのだ……これは言ってみれば神の存在を利用することで魔力に目覚めた修道士や修道女が増長するのを防ぎ、人間性や社会性を保たせようというものであった。もちろん魔力に目覚めた若者たちが優越感を抱くこと自体は防げないが、彼らのその魔力が神から与えられたものと位置づけることで、間違ったことをすれば魔力を取り上げられるかもしれないと自戒させながら、その優越感を信仰による恩寵として合理化してやったのだった。そしてその試みは今のところ成功していると言えるだろう。魔力に目覚めた修道士や修道女が魔力を得られたことを神に感謝し、信仰を一層篤くするという特典つきで……


 そうした背景からレーマ正教会の司祭・女司祭には信仰の篤い人物が多い。メルキオルのような牧師たちが言わば哲学・形而上学けいじじょうがくといった論理的思考を通じて神の教えを合理的に理解しようとする傾向が強いのとは対照的であると言えよう。そしてそうした背景があるからこそ、メルキオルはウッシを納得させられる自信を持てないでいた。魔力に目覚め、それを神の御業みわざと理解し、それに感謝し信仰を捧げ、神の使徒たらんとする彼女は、神の教えに対して少しばかり盲目的過ぎる傾向があったからだ。


 キリスト教は一神教である。神と聖霊たちのみを敬い、異教の神に信仰を捧げることは許されない。

 しかし多神教、多宗教であるレーマ帝国でそれではやっていけない。ましてキリスト教が当時敵対していた啓展宗教諸国連合側の主要な宗教であり、レーマ帝国で信仰している神々と敵対する存在だと見做みなされている状況でキリスト教徒が信仰を認めてもらうのは難しかった。それにヴァーチャリア世界には精霊エレメンタルが存在し、魔法が存在していた。キリスト教は《レアル》から伝わったまま信仰し続けるにはいろいろと都合が悪すぎた。ゆえに、大なり小なり適応を余儀なくされている。

 レーマ正教会の場合、異教の神であってもそれを信仰する者がいるならば、一定程度の敬意を払うこととなった。信仰を捧げるのは自分たちの神のみ、異教の神はそれを信じる友人を尊重するために敬意を払うが、信仰まではしない。そういう距離感を保つことで他の宗教やその信者たちとの融和を図ったのである。

 だが基本的に異教の神のレーマ正教会内での位置づけは悪魔ディーモンのままであった。それを信仰する信者が融和すべき相手でないのなら、それは否定され打ち払われねばならぬのである。そしてくだんの巨漢がウッシが看破した通りの悪魔のたぐいであるならば、融和すべき友人たちの関係者でない限り“キリストの敵”と見做みなし、調伏ちょうぶくなり成敗なりされねばならなかった。


 ウッシ尼シュベスター・ウッシはその辺の融通が利くだろうか?


 要は件の巨漢が融和すべき誰かの関係者であることを明らかにできればよいのだ。誰かが信仰している、あるいは誰かが使役している存在ならば、“キリストの敵”という認定は回避(厳密には一時保留)することができる。一応、カエソーと契約しているそうだが、それだけでは“キリストの敵”という認定を回避できない。メルキオルはその辺割と柔軟ではあったが、ウッシ尼のように厳格な人物がメルキオルと同じように柔軟に判断してくれると期待するのは難しい気がした。


 あの巨漢が悪魔ディーモンだとして、使役している人物か信仰している人物が分かればウッシ尼シュベスター・ウッシも納得してくれると思うが……


 だがその人物のことは伏せられていた。嘘かホントか、砦司令官も知らされていないとのことだった。砦司令官ですら知らされていないのなら、メルキオルがカエソーに直接尋ねても教えてはもらえないだろう。もちろんメルキオルがカエソーに直接会える立場にあるわけではないのだから土台無理な話だ。


 あの巨漢とウッシ尼シュベスター・ウッシが二度と会わずに済むなら簡単なんだが……

 いや、どちらも同じブルグスに居るんだ。

 そんな都合のいいこと考えて目を背けちゃいけない。

 今は誤魔化せたとしても、もし二人が出くわした時に説明できなきゃ……


 何が起こるかわからない……そう悩みながら今夜の宿へと戻るメルキオルの進む先から、見覚えのある大きな人影が近づいてきていた。

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