第1074話 貴族たちの動揺

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 リュウイチの報告の内容としては昨夜、リュウイチがアルトリウスにしたものと全く同じでリュキスカの子フェリキシムスが母乳を通して過大な魔力を得ているらしいこと。そしてそれによってフェリキシムスが泣くと付近の精霊エレメンタルたちが反応し、ポルターガイストのような現象が起きていること。精霊の暴走による事故を防ぐために《風の精霊ウインド・エレメンタル》を見張り役として就けていることなどであった。相談の内容は応急処置とはいえ見張りとして《風の精霊》を勝手に就けてしまったが今後はどうするか、このまま《風の精霊》に任せてよいかどうかというものである。


 降臨者リュウイチは報告と相談とを終えると、今回の会議に割り込んだことを改めて詫び、そそくさと陣営本部プリンキパーリスへ帰って行った。おそらく、時間にして十分も経っていなかっただろう。

 リュウイチの報告を聞いていた時、貴族たちの反応はどちらかと言えば薄かったと言って良い。まるで興味の薄い世間話にお愛想で驚いて見せているような、そんなどこか白々しささえ感じさせるようなものだった。が、実際はというと内容の理解に心が追い付いていないのが実情だったと言って良いだろう。リュウイチが立ち去り、二人の領主の座席とレーマ皇帝マメルクスの胸像が元の位置に戻されてからというもの、貴族たちの胸中には嵐が吹き荒れていた。


 アルトリウシアに新たに聖貴族コンセクラートゥスが生まれた……


 リュウイチの報告を要約するとそういうことになる。少なくとも、この場にいた貴族たちにとってはそう言うことだった。その意味の重大性に気づかないものはこの場には居ない。

 赤ん坊が泣き喚くことで精霊たちが暴走しはじめるということは、その赤ん坊が精霊を動かすほどの魔力を有しているということだ。精霊を操るほどの魔力を持っているということは、ムセイオンに収容されているようなゲイマーガメルの直系の子孫たちと同じくらいの強大な魔力を有しているということになる。そして、これが重要なのだが、リュキスカの子フェリキシムスはリュウイチの血を引いているわけではないにもかかわらず、リュキスカからの授乳によってそれだけの魔力を得てしまったということだ。


 降臨者の血を引かなくても、聖女から授乳してもらえば聖貴族になれる!?


 これが意味するところは大きい。これまで貴族たちは自分たちの親族、または影響下にある女をリュウイチにあてがい、子供を産ませることを考えていた。生憎とリュウイチは貴族たちが期待するほど欲望に忠実ではなく、むしろ禁欲主義者ではないかと疑いたくなるほど無欲で、リュキスカ以外に女は要らないとまで言い、ルクレティアのことさえ十八になるまで手は出さないとのたまうほど遠慮深い男だった。いくら自分たちの身内から聖貴族を輩出したい、それによって一族の繁栄と領地の発展を成し遂げたいと思っていても、さすがに当の本人の意向を無視して女を押し付け、却って不興を買うようなことになっては不味まずいという程度の理性は貴族たちなら誰もが働かせている。そしてそれゆえにリュキスカとルクレティアの次の女をどうするかと全員が頭を悩ませていた。が、ここへきてリュウイチに女をあてがわなくても新たに聖貴族を輩出できる可能性が示されたのである。


 カロリーネうちの子にリュキスカから御乳を貰えれば、我が家も聖貴族コンセクラートゥムになれる!?


 エルネスティーネなどは早速そのような想いを抱き始めている。そしてそれは、アルビオンニア侯爵家の家臣団のみならずアルトリウシウス子爵家の一党も同じだった。いや、そうした子爵家の期待は侯爵家よりずっと高いと言っていい。

 子爵家はホブゴブリンの一族だ。ゴブリン系種族はヒトがほとんどである降臨者との間に子を成すことはできない。降臨者と同じパーティーに加わって活動することで魔力を得、聖貴族としてふさわしい魔力を得た前例がないわけではないが、それはあくまで例外でしかない。つまり、せっかくリュウイチという降臨者が現れたにも拘らず、ホブゴブリンであるアルトリウシウス子爵家では自分の身内から新たな聖貴族を輩出する可能性は見いだせなかったのだ。

 しかし、リュウイチの聖女であるリュキスカから母乳を分けて貰えば、ホブゴブリンの一族から聖貴族を輩出できる可能性が出て来た。そしてアルトリウスの第一子アウルスは昨年十一月に生まれたばかりの乳飲み子である。貴族たちの間で期待が沸き起こるのは必然であろう。


 うちの子もリュキスカ様に御乳をいただければあるいは!?

 うちの子は乳離れしたばかりだが、まだ間に合うか!?

 うちの子はもう大きくなりすぎた。一族の中に乳飲み子はたしか……

 うちは所詮下級貴族ノビレス、この中での序列も低い。リュキスカ様も一人しかおられないのだからうちに子が御乳を貰える可能性は低いだろう。だが、フェリキシムス様に将来うちの子を娶らせることができれば……


 みな考えることは似たようなものだった。貴族らしいと言えば貴族らしい。しかし、この中で唯一冷静だったのが領主であるルキウスであったのは、少し皮肉であったかもしれない。彼が冷静でいられた理由は一つに貴族を嫌う彼特有の性質と、そしてもう一つには深刻な腰痛ゆえに子を成すことを既に諦めていたからだった。


 なるほど、だから「都合が良」かったのか……


 ルキウスは動揺を隠せない貴族たちに半ば呆れながら、リュウイチ本人が希望していると嘘をついてまでこの場でリュウイチに報告をさせたアルトリウスを見た。


 リュウイチはこの会議への出席を希望していたわけではなかった。この会議の後、貴族たちはリュウイチに謁見する予定になっていたし、その後はリュウイチを交えての晩餐会ケーナ、更に酒宴コミッサーティオへと続くことになっている。リュウイチが貴族たちに報告をする機会は今日だけでも複数回あったのだ。この会議で報告しなければならない必要性はリュウイチには無い。にもかかわらずアルトリウスは嘘をついてまでリュウイチの会議への出席を認めさせ、主要な貴族が一堂に会しているこの場で報告をさせた。


 焦り過ぎだ……


 ルキウスは小さく静かに溜息をつく。おそらくアルトリウスの狙いは息子アウルスにリュキスカの母乳を飲ませることだ。だが現在の秘匿体制を維持したままでは家族をリュキスカに会わせることが出来ない。この中で唯一それができるのはエルネスティーネのみ……。カールと日曜礼拝を一緒に過ごすという必要から侯爵家は家族をリュウイチの陣営本部に宿泊させることができるようになっている。だが、それ以外は秘匿上できない。認められていない。

 しかし、リュキスカから授乳することで赤ん坊を聖貴族にすることが可能だと知らしめれば、貴族たちは自分もその恩恵にあずかれる可能性が出てくるのだから反対はしないだろう。せいぜい、リュキスカの母乳を独占できなくなる侯爵家が反対する可能性が出てくる程度だが、たとえ侯爵家以外ではあってもアルビオンニア属州から聖貴族が排出されたとなれば少なからず侯爵家の利益には繋がるのだから強くは反対しないはず。ならばこの機会に……アルトリウスはそのように考えたのだろう。

 会議の後もリュウイチが報告する機会はあったとはいえ、会議の後でリュウイチに謁見できるのはこの中の半数にも満たない上位の者だけだ。大隊長ピルス・プリオルクラスの高級将校や家臣たちが知るのは後日ということになるだろう。リュウイチの周辺のことについて話し合う機会は今は週に一度のこの会議だけなのだから、今日を逃せば次の機会は来週ということになる。

 赤ん坊の成長は早い。特にホブゴブリンの子はヒトの子よりも早く成長し、ヒトの子が一歳前後で乳離れするのに対し、ホブゴブリンの子は十か月ぐらいで乳離れする。アウルスがリュキスカから御乳を貰える可能性があるのはあと四~五か月ほどだろう。一日でも早く授乳させてもらえれば、アウルスはそれだけ強い魔力を得られるようになるに違いない。


 兵は拙速を尊ぶとはいうが、将たるものは戦う前に勝つ体制を整えねばならん。

 貴族にとってのそれは根回しだ。

 それを怠っては勝利は無いぞ、アルトリウス……


「ウッ、ウンッ!!」


 ルキウスは咳ばらいをし、一同の注目を集めた。


「諸君、どうやら情勢は我々の予想を超えて大きく変化しておるようだ。

 リュキスカ様の御子が魔力を得たことは事実であろうし、それに伴い色々と態勢も整えねばならんだろうが、しかし今は目の前のことに集中せねばならん。

 明日、リュウイチ様に御報告申し上げねばならん事柄について、まずは片づけようではないか。」

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