第827話 期待度の差
統一歴九十九年五月十一日、昼 ‐
「それが、どうかしたのか?」
フースス・タウルス・アヴァロニクスの報告にコルネイルス・コルウス・アルウィナは溜息を堪えながら尋ねる。まるで関心が無さそうな態度にフーススは思わず我が目を疑い、わずかに身を乗り出した。
「わざわざ二人を別々に送り出したのが無駄になるのですぞ!?」
少しばかり大きなフーススの声に一同は緊張を新たにする。フーススが興奮するのは珍しくはないし、コルネイルスと多少衝突することはこれまでにもままあった。だが、フーススは昨日もコルネイルスと衝突したばかりだったし、今日のコルネイルスの態度はいつもと何かが違う。守旧派の結束維持のためにも今日のところはフーススに自重してもらい、慎重に事を進めたいと言うのが周囲の
コルネイルスは身体を一度揺すってハッと短く笑い、両手を広げてお
「ああ~、二人はメルクリウス対応で自分の担当する
行き先が同じなんだ‥…なら、たまたま同じ船に乗ったってだけのことだ。
それくらいなら何とでも出来るさ。」
つまらないことを気にするフーススに困っているような口ぶりにコルネイルスに、フーススは何か引っかかるものを感じつつも、同時に
「それだけではありません、コルウス卿。
昨日もご説明申し上げたでしょう?!
マエシウス卿のことを!」
「ああ、奴か……」
アレクサンデル・マエシウス……自身の領袖に加えた一人ではあるが、あまり使い物にならない小者の名前を出されてコルネイルスは嫌そうに顔をわずかに
「そうです!
二人が乗っていくのはあのマエシウス卿の船です。」
「ああ、良い
脚の速い船で早く現地に着けるならそれに越したことはあるまい。」
危機感を露わにするフーススとは対照的にコルネイルスの方は不思議と無関心なままだ。フーススに生返事を返しながら香茶の入った
「現地に着かないかもしれないから、こうしてご報告申し上げておるのではありませんか!」
アレクサンデルは元々、水運業を生業としていた。そしてその経営はフーススの知る限りうまく行っていない。船はまだ出来の良いのを含め数隻保有しているが、ほぼ自転車操業状態で船の整備費をケチったりしているし、船乗りの給料も満足に払えていないという
船長も含め船乗りというのは基本的に全員が個人事業主である。船主が自分の奴隷に船を任せているとかいう事例を除き、基本的に航海ごとに船乗りを集めて一人一人と契約を交わすことになっている。いわばフリーエージェントだ。だから同じ船でも乗っている船員は航海ごとに異なる。酷い場合は全員が丸ごと入れ替わることすらある。こうなっている理由は衛生状態の劣悪さだ。
長期航海は乗員にかなりな負担をかける。さすがに《レアル》から栄養学に関する知識が伝わっているので、
もし、船乗りとの契約を航海単位で区切らずに終身雇用のような長期契約にしてしまうと、航海の間の長期間の休養中も給料を払わなければならなくなってしまう。それは船主にとってあまりにも大きな損失だ。
それを避けるために船主たちは航海単位での船乗りたちと契約する。これで、航海と航海の間の休養期間は無契約状態になり、船主は働けもしない船乗りに給料を払う義務から解放されるわけだ。
ところが、このシステムは船主にとってメリットばかりではない。船を航海に出す度に人を集めねばならなくなるからだ。ガレー船ならまだいいが、帆船となると運航には高度な専門技能を持った船乗りが必要になるから、雇えるなら誰でもいいというわけにはいかない。長期航海に出せば十隻に一隻は遭難すると言われるほど危険の多い海に大事な
だがアレクサンデルのように「給料の払いが悪い」とか「待遇が悪い」とか「船の整備が……」などという噂が立つと、腕のいい船乗りは契約してくれなくなる。腕のいい船長は当たり前のように高額な報酬を要求してくるものだし、水夫などの下級船員は基本的に評判のいい船長の船に乗りたがるので、給料の払いが悪いという噂が立つと禄でもない船乗りしか集まってこなくなるのだ。最悪の場合、船乗りが叛乱を起こして船をそのまま強奪し、海賊になってしまうケースすらある。
フーススの集めた情報によれば、アレクサンデルの水運業は既に経営破綻寸前になっており、船乗りたちが離反したり海賊に身売りしたりしかねない状況に陥っていた。つまり、今回の船出はアレクサンデルにとって最後の船出になってしまう可能性が無視できないレベルで高まっているのだ。
もしそのような可能性が現実のものとなれば、せっかく送り出した使者二人が同じ船で共に遭難し、一人も現地にたどり着けなくなってしまう。フーススはそれを懸念しているのである。
「ふぅ~~んん……」
だが危機感を露わにするフーススを前にして、コルネイルスの態度は変わらなかった。頬杖を突いたまま
なんだ、いったいどうしたというのだコルウス卿は!?
フーススが苛立ちを募らせ、周囲の者たちが動揺し始めた頃、コルネイルスは唐突に「フンッ」と鼻で笑った。
「安心しろタウルス卿。」
そう言いながらコルネイルスはゆっくり身体を起こす。だが、コルネイルスが薄笑いを浮かべながら次に放った言葉はフーススを愕然とさせるものだった。
「ワシは最初から、あの二人には何も期待しておらん。」
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