最初の一手

第235話 防衛体制の強化要請

統一歴九十九年四月十九日、午後 - マニウス要塞司令部/アルトリウシア



 マニウス要塞カストルム・マニの会議室では目下最優先で復興させることが決まっているアイゼンファウスト地区への兵舎移築計画についての協議が行われていた。一度収容した避難民の一部をティトゥス要塞カストルム・ティティへ移送し、それで空いた兵舎を一旦解体してアイゼンファウスト地区へ移築する。


 アイゼンファウスト地区では五日前から焼け野原になってしまった区域の瓦礫をローラー作戦で集中的に片づけ、片づけ終わった場所から測量を始めている。元々アルビオンニウムから逃げてきた避難民が勝手にバラックを立てていた場所であり、土地の権利関係の問題は郷士ドゥーチェであるメルヒオールさえ承認してしまえば何もなかった。掘っ立て小屋とはいえ、ようやく住み慣れた場所を明け渡すことに文句を言う元住民がいないわけではなかったが、移築した兵舎へは優先的に入れると聞けば大概の者は引き下がっていった。


 マニウス要塞内にある軍団兵レギオナリウス用の兵舎は予備を入れて百四十棟あり、内九十棟がアイゼンファウスト地区へ移築される計画になっている。現時点で半数にちかい三十六棟分の土地の測量と区割りが決まっており、うち八棟分の整地が完了している状態だ。

 六棟の兵舎はすでに解体作業が始まっており、明日からは解体した資材を運んで建設が始まる。明後日には人が住める状態にまで持っていく予定だ。一棟で一個の百人隊ケントゥリアを収容し、八人分の二段ベッドがある寝室と八人分の荷物を置く物置の二間続きの部屋が十二部屋ある。内十部屋が軍団兵レギオナリウス用で残りの二部屋が百人隊長ケントゥリオ下士官セスクィプリカーリウス用となっているが基本的な構造はどの部屋も同じである。

 最大で九十六名を収容できる計算になるが、入居者は兵士ではないので家族構成を無視して一部屋に八人詰め込むようなことはできないから、実際には一部屋一世帯の入居という事になるだろう。計画では一棟当たり平均四十八人程度の収容を見込んでいる。


 もちろん、これらが完成したとしてもただ人が住むための“箱”ができるというだけであって、上下水道もないし周辺の道路の整備すら後回しになっている。移築される兵舎には元からトイレもキッチンも無いから、本当に寝起きするだけの“箱”に過ぎない。入居した住民はそこから生活できるように色々やらねばならないだろう。


 現時点で計画は順調なはずだが、当初出席予定ではなかったにも関わらず急遽乗り込んできて計画…特に作業人員の割り振りについて変更を求めて来た者がいた。他でもないアイゼンファウスト地区の郷士ドゥーチェメルヒオール・フォン・アイゼンファウストその人である。



「つまり、セヴェリ川に沿って防衛陣地を敷けとおっしゃるんですか?」


 要塞司令部プリンキピアでいつの間にかアイゼンファウスト地区の復興事業を担当させられることになってしまった事務官カッリグラプスセウェルス・アヴァロニウス・ウィビウスは困惑を隠しきれない様子で聞き返した。

 昨日セーヘイムにどこか遠くへ逃げ去ったはずのハン支援軍アウクシリア・ハンの幹部が来た、エッケ島付近で漁師がハン族に襲われたという話から、ハン支援軍アウクシリア・ハンがセヴェリ川の対岸に広がるアルトリウシア平野から攻めて来る可能性を危惧したメルヒオールが南の防衛体制を強化するよう申し込んできたのだった。


 丘の上にあるマニウス要塞からアルトリウシア平野のほぼ全域を見渡すことは可能だ。おそらく大規模な軍勢がアルトリウシア平野から押し寄せたとしても、マニウス要塞に気づかれずにセヴェリ川を渡ることはまず不可能だろう。だが、アルトリウシア平野には人の背よりも高い草が生い茂っており、秋深まった今でも茶色く枯れた草が全域に広がっている。軍勢が行動しようとすれば旗指物はたさしものかかげるから遠くからでも見えるが、旗指物など掲げない小規模部隊が行動している分には発見できない可能性は高くなる。特にハン支援軍アウクシリア・ハンの騎兵部隊なら、あの人の背より高い草が密生したアルトリウシア平野でも旗指物なしに行動することができるだろう。

 セヴェリ川は川幅が広く水量も多いが、水深は浅くて小柄なゴブリンやドワーフでも歩いて渡れる場所が数多くある。そこからハン支援軍アウクシリア・ハンが攻めてきたら、アイゼンファウストはひとたまりもない。


 アイゼンファウストの安全に責任を持たねばならないメルヒオールからすれば、考慮してしかるべき問題であった。聞けば、なるほどもっともだと頷きたくなる話ではある。だが実現は不可能だ。



「アイゼンファウスト卿、マニウス要塞の砲撃の届く範囲を除いてもアイゼンファウスト地区のセヴェリ川沿いに防護柵ウァッルムを巡らせれば、それだけで五マイル(約九キロ半)に達します。セヴェリ川よりこちら側、アイゼンファウスト西の湿地帯との境界までぐるっと囲めば総延長はざっと七マイル(約十四キロ)にはなるでしょう。

 ダイアウルフは馬よりも優れた跳躍力ちょうやくりょくがありますから、高さも一ピルム半(約二・八メートル)はなければなりませんし、ダイアウルフの突進に耐えようと思えばそれなりに頑丈にせねばらなんでしょう。

 七マイル(約十四キロ)で一ぺス(約三十センチ)間隔で角材を立てて並べるだけで…ざっと…四万二千本の角材が必要です。更に横木で…七千本、支柱が…三千五百本…合計で五万二千本の木材が必要になります。これに更に杭なども・・・」


 後方支援を担当している軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムのアシナ・バエビウス・カエピオが計算機アバクスを使って必要な資材を計算してみせた。アシナが言いたいことは明白だった。それだけの木材があるなら避難民の住居や壊された橋を再建した方がマシだというのだ。

 メルヒオールは悪い冗談でも聞かされたかのように大仰に手を振る。


「おいおい、何も伝説の『ハドリアヌスの長城ウァッルム・アエリウム』を建ててくれってぇんじゃねえんだ。

 ただ、連中がセヴェリ川を渡って来れねぇように、来たとしてもすぐに追い返せるようにしてぇんだよ。」


「そうはおっしゃられても・・・」


 セウェルスは同席している軍団レギオー関係者を見た。先ほどのアシナも筆頭百人隊長プリムス・ピルスウェスパシアヌス・カッシウス・ペティクスも首を振るだけだ。ウェスパシアヌスの部下の百人隊長ケントゥリオたちも表情は皆同じである。


「ほら、前哨基地スタティオみたいなもんを作るとかしてさ、兵隊を待機させといて、見張り台から睨み利かせといてくれるだけでもいいんだよ。」


 メルヒオールは簡単に言うが容易なことではない。相手は俊敏なダイアウルフの騎兵だ。それに対抗できる騎兵戦力は今のアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアにはない。戦闘部隊としての騎兵エクィテスは一昨年の火山災害で全滅してしまっており、伝令や偵察といった任務をこなせる程度しか残っていないのだ。しかも馬はダイアウルフを恐れるため、遠距離での火力戦ならともかく、騎馬兵とダイアウルフ騎兵がまともにぶつかればダイアウルフ騎兵が勝つだろう。

 つまり、現在のアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアがゴブリン騎兵に対処するとしたら歩兵部隊をぶつけるしかないのである。


 機動力で圧倒する相手を機動力の劣る兵科で捕捉しようと思ったら、数で圧倒するしかない。実際、ハン族がレーマ帝国に帰属する前、アーカヂ平野にいた彼らをレーマ帝国軍が討伐した際はアホウほどの数の兵力でローラー作戦を展開し、機動力を封じ込めたのだ。


「アイゼンファウスト卿、我々の主力の重装歩兵ホプロマクスは陣形を組まねば力を発揮できません。そして、陣形は敵に正面を向けておかねばなりません。

 ところが戦場を駆け回る騎兵は容易に陣形の背後に回り込んでくる。

 したがって敵騎兵と対処する時は方陣を組んで全周に備えねばなりません。そして方陣を組むためには最低でも百人隊ケントゥリアが四個必要です。通常は一個大隊コホルスで一個の方陣を作ります。

 方陣を組んで守れるのは百八十から二百ピルム(約三百三十から三百七十メートル)の範囲ぐらいです。しかも、一度方陣を組めばほとんど移動できません。

 いっそ、全線に横隊を展開したほうが必要な人数は少ないでしょうが、それでも五マイル(約九キロ半)の横隊を作るとなると、一列横隊でも十万人以上の兵が必要です。」


 ウェスパシアヌスは申し訳なさそうに説明した。軍人や官僚がこうやってクドクドと数字を並べて説明するのは、大抵やりたくないことをさせられそうな時にかどが立たないように断る時の共通した癖だった。数値で根拠を示せば、大概の相手は黙るからだ。

 しかしメルヒオールは黙らなかった。難色を示す軍人たち相手に愛想笑いを浮かべ、両手…彼の右手は途中から先が無かったが…を広げてすかすように言う。


「そんなに難しく考えるなよ。

 なんでぇ、マニウスの城下町カナバエじゃ十人かそこらの軍団兵レギオナリウスが一斉射撃でゴブリン騎兵四騎も倒したってぇじゃねぇか?」


「いえ、あの時戦ったのは十六名です。」


 セウェルスが冷静に否定するが、メルヒオールはむしろ喜色ばんだ。


「十分少ねぇ兵力じゃねぇか!

 そんだけの兵隊レギオナリウスで二十騎のゴブリン騎兵に立ち向かって、こっちの損害無しに四騎も殺したんだ。今なら連中だって軍団兵レギオナリウス見ればビビッて寄って来ねぇぜ?」


「いえ、あの時のゴブリン騎兵は十二騎かそこらです。

 しかもあれは単に幸運に助けられただけで・・・」


 いったいどれだけ話に尾ひれがついてるんだ?


 直接戦ったわけではないとは言え、マニウス街道での戦いに間接的に関与し、実情を知っていたセウェルスは呆れながらもメルヒオールをなだめる。しかし、アイゼンファウスト地区の安全のために何としても軍団レギオーの支援を取り付けたいメルヒオールは引き下がらない。


謙遜けんそんはいいぜ!

 ただ、ほとんど同じ数だとしても兵隊さんレギオナリウスはダイアウルフを駆るゴブリン騎兵を撃退できるって証明してんじゃねぇか!?

 だったらよぉ、百人隊ケントゥリアの二つ三つほどもありゃあどうにか追い払えるんじゃないのかい?

 叛乱前でもゴブリン騎兵は百も残ってねぇて聞いてたぜ。それが今回の叛乱でほとんど全滅したって言うじゃねぇか。」


「待ってください。

 それらはいずれも騎兵の側から歩兵の銃口の前に突っ込んできてくれたからあげられた戦果です。待ち伏せしていた罠に向こうからかかってきてくれたようなもので、野戦において同じことはまず起こりません。」


「いや、だからよぉ・・・」


 会議は予定の時間を過ぎていたが、まだまだ終わりそうにない・・・

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