第236話 エッケ島攻略の可否

統一歴九十九年四月十九日、夕 - ティトゥス要塞司令部/アルトリウシア



「以上が、ハン支援軍アウクシリア・ハンの要求です。」


 イェルナクとの会談の結果を持ち帰ったアルトリウスはそう報告すると席に着いた。

 ティトゥス要塞カストルム・ティティには侯爵、子爵両家の家臣団とアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア幕僚トリブヌスらが集められていた。要塞司令部プリンキピアの会議室の空気はひどく険悪なものとなっている。


 ただでさえ問題行動ばかりを起こしてきたハン支援軍アウクシリア・ハン、それが突如叛乱を起こし、アルトリウシアのほぼ全域でテロ活動を行い、二万人近い死者を出させた上に数百人の住民を拉致して逃亡・・・アルトリウシアはまだその被害から立ち直るどころか復興さえ始まっていないのだ。おまけについ最近上がってきた海軍基地カストルム・ナヴァリアやその城下町カナバエの焼け跡の調査結果によると、どうやらかなりの金銭が強奪されているらしいことも明らかになっている。

 それなのにノコノコと戻ってきて「メルクリウス団の仕業」などとあからさまなウソを並べ立て、被害者面したうえで補給と降臨者の引き渡しを要求してきたのである。しかも、さらわれた住民については事件の関係者であり、逮捕し取り調べている容疑者であると主張し、引き渡しを拒否している。


 アルトリウスの報告が進むにつれ、会議の出席者の顔には不快感や怒りといった感情がにじみ出ており、後半は押し殺すようなため息があちこちから聞こえてくるような有様だった。


「奴らは法を知らん!

 ハン支援軍アウクシリア・ハンにブッカやホブゴブリンに対する捜査権など無いはずではないか!?」


 多種族社会であるレーマには種族間のトラブルを防ぐために様々な法がある。その一つが犯罪捜査権の制限だ。たとえば犯罪容疑者が逮捕されたとき、その容疑者と同種族の捜査官が立ち会うか、その容疑者と同じ種族の捜査機関に身柄をゆだねなければならないことになっている。捜査する側の種族差別が容疑者に対して不当な取り扱いを誘発するのを防ぐための制度だ。

 今回の場合、容疑者という名目で拉致された住民はブッカやホブゴブリンであり、どうやらヒトの拉致被害者はいないらしい。捕まえたハン族は王族こそホブゴブリンではあるが、基本的にゴブリン種族であるため、ブッカやホブゴブリンの住民たちを単独で捜査する権限は持たない。ブッカならセーヘイムのヘルマンニおよびその家臣団の誰かに、ホブゴブリンならルキウスかその家臣団の誰かに引き渡すか、あるいは捜査担当者を派遣してもらって合同で捜査しなければならない。

 つまり、仮に彼らの主張が本当でさらわれた住民が逮捕者だったとしても、彼らは違法な捜査を行っていることになるのである。


 また、そうした違法逮捕者以外にも、「安全確保のために保護した」とか「自ら率先して協力してくれた」という者もいるらしい。今回、彼らが乗って来た貨物船クナールを操船していた船乗りたちがそのなのだそうだ。

 実際は彼らは家族を人質に取られ、やむを得ずハン族に協力している水兵たちだった。


「いずれにせよ、人質たちはハン族とともにエッケ島にいるのです。それが分かっただけでも、子爵公子アルトリウス閣下にイェルナクと話をしていただいた甲斐がありました。

 子爵公子アルトリウス、ありがとうございました。」


 会議室の上座からエルネスティーネが沈痛な面持ちでそう言うと、アルトリウスはエルネスティーネに向かって無言で会釈した。


「しかし、厄介なことになってくれたものだな。

 こちらはただでさえ問題が山積しているというのに・・・」


 ルキウスが憮然とした表情で独り言ちる。上級貴族パトリキにしては珍しく飄々ひょうひょうとした態度をとることの多い彼の滅多に見せない表情だった。それは、今この会議室に同席している者たちはそれ以上に激しい感情を抑えていることを示してもいる。


「奴らが叛乱を起こしたことは事実なのだ。そしてエッケ島にたてこもっている。

 いっそ、軍勢を差し向けて一気に討ち取ることはできんのですか?」


 過激なことを言ったのは侯爵家筆頭家令のルーペルト・アンブロスだった。領地経営…すなわち内政の専門家である彼には軍事的な知見はない。以前、エッケ島に海賊が住み着いており、先代のグナエウス子爵が数日で討伐したという話を聞いていたぐらいだったので、軍事的にそれが再現できるのではないかと訊いているのだった。

 しかし、同席している軍人たちの反応は芳しくない。むしろ否定的だった。


「残念ながら当分は無理でしょうな。

 復旧復興作業を一時的に停止して投入できる全兵力を投入できるなら、エッケ島ぐらい簡単に落とせるでしょう。ですが、そのために必要な船が無いのです。」


 ハン支援軍アウクシリア・ハンは脱出する際、自分たちが強奪した貨物船クナール以外で海軍基地カストルム・ナヴァリアに残っていたすべての船を破壊していた。現状、戦闘に投入できる船は『ナグルファル』『グリームニル』『スノッリ』の三隻しかない。それで運べるのは頑張っても二個中隊マニプルスの約三百五十名ほど…推定されるハン支援軍アウクシリア・ハンの残存兵力とほぼ同じくらいの人数しか運べない。


 エッケ島は南側以外は崖になっていて船を漕ぎつけることができない上に、肝心の南側は海賊がいたころの堀や土塁といった防御施設が残っており、島全体が要塞のようになっている。防御陣地を攻略するには守備側の三倍程度の兵力が必要とされるから、たったの二個中隊マニプルス程度では攻略などできようはずもない。

 軍船三隻で部隊をピストン輸送しようにも、セーヘイムからエッケ島までは一往復するのにほぼ丸一日かかる距離だ。一旦エッケ島に近いトゥーレスタッドへ兵力を集結させておき、エッケ島の南側へピストン輸送すればもっと効率的に運べるが、それでも一往復で三時間以上はかかるであろうし、その間船は常にエッケ島からの砲撃に晒されることになるだろう。『バランベル』号の大砲をエッケ島のどこか適当な所に据えられれば、エッケ島から三マイル(約五キロ半)以内はトゥーレ岬の山影に隠れるトゥーレスタッド港内を除きすべて敵の射界に収まってしまうことが予想されるからだ。


「つまり、以前の海賊退治のようにはいかないということですか?」


 筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスのラーウスから説明を聞いた家臣団は一様にうめき声を上げた。


「あの時の海賊どもは大砲を持っていませんでした。

 また、こちら側は十分な船と敵に倍する兵力を投入できていました。

 ですが、今回は敵側に『バランベル』号に積まれていた大砲がありますし、少数ながらダイアウルフと言う騎兵戦力もあります。

 船で接近するだけでもかなりな損害が出ることが予想できますし、仮に十分な兵力を揚陸できたとしてもエッケ島はもともと要塞化されていた島です。しかも、守っているのは弱兵ゴブリンとは言えその数は海賊の倍近い数がいます。大砲とダイアウルフを駆使すれば相当頑強な要塞と化すでしょう。」


 以前のエッケ島の海賊討伐は作戦開始から陥落まで六日しかかかっていない。実際に行われた戦闘は三回で、最初の一回は威力偵察だったから実質二回の戦闘で攻略したことになる。しかも投入した兵力は寄せ集めの義勇兵が大半で総数も船の乗員を含めても八百人に満たなかったのだ。

 場所は同じエッケ島だというから簡単に考えていたエルネスティーネと家臣団たちは予想外の説明に顔を青くする。


「船から大砲で攻撃することはできないのですか?」


「エッケ島に大砲を据えられれば船では対抗できません。船は揺れますから遠くの目標を狙い撃つことができないのです。それに比べ、陸上の大砲ならかなりな距離まで狙うことができます。一方的に叩きのめされることになるでしょう。」


 ラーウスが質問に答えると、ヘルマンニが補足する。


「『バランベル』号に積まれとった大砲はおかなら三マイル(約五キロ半)先まで狙える。

 それに比べ船の上からじゃせいぜい十五ピルム(約二十八メートル)までが精いっぱいでしょうな。それも、船ぐらいの大きさの目標を狙っての話じゃ。おかの上に据えられた大砲一つを狙うなど、まあ無理な話ですわい。

 ましてや、ワシらの軍船ロングシップには前と後ろに二門ずつしか積んでおらん。横には旋回砲がついとるが、ありゃあ遠くまで狙えんしの。」


 要するに要塞化された島を船で攻撃するなど自殺行為なのである。唯一攻略法があるとすれば、敵の火力を圧倒する数の船を用意して、撃っても撃っても撃沈しきれないようにするしかない。しかし、今それを実行できるだけの船はアルトリウシアにはなかった。


「サウマンディアの海軍に艦隊を派遣してもらい、多数の艦砲で一気に黙らせることはできんのですか?」


 ヘルマンニは笑って答えた。


「サウマンディアの船じゃ底の浅いアルトリウシア湾には入れんよ。

 連中がエッケ島を攻撃できるとしたら外洋に面した西側とトゥーレ水道に面した北側だけじゃ。兵どもを揚陸できる場所は島の南側でも湾内側だけじゃから、決定打にはならん。」


「攻略はできないという事ですか?」


 子爵家の財務官ハルサ・カッシウス・フルーギーが苦々し気に質問すると、ラーウスが回答した。


「不可能とまでは申しませんが、かなりな兵力が必要です。そして、十分な戦力を投入できたとしても、相当な損害は覚悟せねばならんでしょう。」


「どれだけの兵力が必要なのですか?」


「上陸し、エッケ島に突撃する分だけで四千、さらにそれを運ぶ船と船の乗員・・・可能ならそれらとは別に火力支援を行う戦力があれば・・・」


 この数値にはさすがに全員が唖然とし、重苦しいため息をついた。レーマ軍の標準的な軍団レギオーの兵力が定数で五千五百から六千名であることを考えると、実質的に一個軍団レギオーまるごと投入しなければならないことを意味している。なのにアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアは一昨年の火山災害の影響で大幅な定数割れをしており、総兵力で二千五百に届かない状態なのだ。

 しかも陸上部隊四千名を揚陸させようと思ったら単純に考えて四十隻もの船が必要になる。その乗組員も考えれば最低でも六千人以上の兵力をかき集めなければならないということだ。それも、揚陸前に砲撃で沈められてしまう分を除いて・・・である。

 アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアは南蛮の侵攻に備えねばならないため動かすことはできないし、サウマンディアから兵力を借りれたとしても揚陸するための船が無い。


「どうやら攻略することはあきらめるしかないようですね。」


 エルネスティーネがおごそかに言うと、ラーウスは「力が及ばず申し訳ありません」と頭を下げた。

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