第234話 ハン族の見たもの

統一歴九十九年四月十九日、昼 ‐ セーヘイム迎賓館/アルトリウシア



 アルトリウスは一瞬呆気にとられた後、分かりにくい冗談に遅れて気づいて笑うタイミングを逸してしまったみたいに少し気まずげに「ハハハ」と小さく笑った。


「何が可笑しいのですか、閣下?」


 イェルナクは少しムッとしながら問いかける。


「イェルナク殿、それはあり得ぬ。

 我々は十日の昼頃にアルビオンニウムを出航しておるのだ。十日に『ナグルファル』号がアルトリウシア湾に居るはずがない。」


「いえ、間違いありません。

 確かにいました!」


 子供をあやすように穏やかに否定するアルトリウスにイェルナクは上体を前に乗り出すようにして反論する。


「十日の昼にアルビオンニウムを出た船が、その日のうちにアルトリウシアへ帰ってくるなどあり得ぬことだ。早くても翌日深夜であろうよ?

 現に『ナグルファル』号は翌十一日に帰港したと報告を受けている。」


 《レアル》古代ローマの不定時法を採用しているレーマでは日没で日付が変わる。ここでアルトリウスが言った「翌日深夜」とは十日の日没の後の夜のことだ。


「そんな筈はありません!その報告は間違っています。

 我々は確かに十日の夕刻に『ナグルファル』号と接触しました。」


「夜…なら、まだわかるのだがね?

 いずれにせよ、見間違いとしか思えませんな。」


「我々がウソをついているとおっしゃるのか!?」


「ウソとまでは申しません。しかし、は誰にでもあるでしょう?」


「ならば、十一日に帰港したという報告こそ、閣下の見間違いなのではありませんかな?」


「報告は書類と口頭とで受けたのだが?」


「見間違いも聞き違いも珍しいことではありますまい?」


 二人はしばし無言のまま睨み合ったのち、アルトリウスがため息をつきながら力を抜いた。


「水掛け論になっては話が先へ進まぬ。『ナグルファル』号がいつ帰ったかはもう一度確認するとしよう。

 今は、貴官が何を見たか御説明なさるがよろしかろう。」


 イェルナクは納得しがたいようだったが、やはりため息をつくと話をつづけた。


「いいでしょう。

 我々は炎に包まれた海軍基地カストルム・ナヴァリアから『バランベル』号で脱出する途中でした。その我々の目の前に、居るはずのない『ナグルファル』号が現れたのです。」


 アルトリウスは無言のまま眉を持ち上げ、両手を広げた。イェルナクはその態度を不快に思いつつもあえて無視して話を続ける。


「我々はいるはずのない『ナグルファル』号が現れたことを不審に思い、停船を命じましたが『ナグルファル』号は応じません。致し方なく威嚇射撃をしたところ、『ナグルファル』号は我らに向かって来たのです。」


 なるほど、サムエルの話では『バランベル』は凄い遠距離から明後日の方へいきなりぶっ放してきたそうだが、彼らの中ではどうやら威嚇射撃だったらしい。


「『ナグルファル』号は我々を嘲笑するように右へ左へと進路を変え、我らが本気でないことをいいことにそのうち『バランベル』号の鼻先をかすめるように通り過ぎていきました。」


 本気でない・・・ねぇ・・・。


「その時、『ナグルファル』号の甲板上にヘルマンニ卿と御子息のサムエル卿、そしてアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団兵レギオナリウスが乗っているのが見えました。」


 説明するイェルナクの口調がだんだん芝居がかって来たので、水を差すべくアルトリウスは口をはさんだ。


「その中に、降臨者様がいたと?」


 しかし、イェルナクは水を差されたとは思っていない。むしろアルトリウスが話に乗ってきたととらえたようだ。顔にわずかな笑みを浮かべている。


「いえ、どうやら船の上のテントに入っておられたようです。

 その時は見えませんでした。」


「では、いつ見たというのですかな?」


「その直後です。」


「直後?」


「ええ、『ナグルファル』号が『バランベル』号の鼻先をかすめるように横に通り過ぎて行ったので、舷側の旋回砲を撃ったのです。もちろん、威嚇射撃でしたが、不幸にもちょうどその時に『バランベル』号が浅瀬に乗り上げてしまい、その時急に船が傾いたせいで一発の砲弾が、本来の外れるべき砲弾が、なんとヘルマンニ卿の御体を貫いたのです!」


「ヘルマンニ卿を!?」


「ええ、胸に命中しました。」


 アルトリウスは一拍置いて「ハハハ」と笑い出した。だが、イェルナクは今度は先ほどのように食って掛かってこない。


「ヘルマンニ卿は生きておられる。先ほども会ったがピンピンしておられるぞ?」


 イェルナクは食って掛かるどころか一緒に笑い出した。


「まったくです。私もまさか致命傷を負ったはずのヘルマンニ卿と再会できるとは思っておりませんでしたよ。」


「致命傷を負ったはずのヘルマンニ卿が生きていて再会された・・・この時点で、やはり見間違いだったとは思われなかったのかな?」


 イェルナクは笑顔のままだったが笑うのはやめ、アルトリウスの顔をじっと見つめて答えた。


「いえ、むしろ確信しました。やはり、あの時あの船には降臨者様が乗っておられたのだと。」


「ほう?」


「ヘルマンニ卿がお倒れになった後、その時は既に距離もあって『ナグルファル』号の後ろ姿しか見えなかったのですが、どうやらテントの中から降臨者様が現れたようです。そしてヘルマンニ卿を治癒魔法によって救ったのです。」


「ということは、貴官は降臨者様の御姿を直接見たわけではないのだな?」


「残念ながら」


「では、致命傷を負ったはずのヘルマンニ卿が生きていた…それだけが降臨者様がおられたという根拠なのか?」


「いえ、ヘルマンニ卿がお倒れになられた後、『ナグルファル』号の上から巨大な火柱が立ち上りました。」


 か…アルトリウスは降臨の日にアルビオンニウムで見た天空にまで達しようかという火柱を思い浮かべた。


「おや、驚かないのですか?」


 イェルナクが意外そうに尋ねる。


「いや、十分に驚いているとも。…いや、それも違うな。

 驚いているというか、理解が及んでいないというべきかな?」


「ふむ、無理もありませんな。

 我々が見た火柱は《火の精霊ファイア・エレメンタル》のそれです。あれほどの、万人の眼に見えるほど巨大で強力な《火の精霊ファイア・エレメンタル》があそこに現れたということは、すなわち『ナグルファル』号に降臨者がお乗りになっておられたという何よりの証拠です。」


「なるほど、強力な《火の精霊ファイア・エレメンタル》とおぼしき火柱と、致命傷を負ったはずなのに生きておられるヘルマンニ卿・・・その二つが降臨者様がいたという根拠ですかな?」


「付け加えるならば、帰ってこれるはずのない『ナグルファル』号が帰ってきていたという事もですな。」


「分かりました。しかし、それらの事実関係については調査して確認する必要がある。しばらくお時間をいただく必要がありますな。」


 いつの間にか前のめりになってしまっていた上体を起こしながらアルトリウスが言うと、イェルナクは何やらガッカリしたように眉をヒョイと持ち上げ、視線を落としながら答える。


「そのようですな。

 ですが、補給の再開は一日でも早く急いでいただきたいものです。」


「それについては侯爵夫人マルキオニッサにお伝えしましょう。

 場所はエッケ島で構わないのですね?」


「ええ、島の南東側の入り江でお願いします。」


 イェルナクは話は終わったとばかりに背筋だけで伸びをし、鼻から息を吐きながら力を抜く。


「しかしイェルナク殿。仮に降臨が事実だとして、降臨者をお迎えしてどうするおつもりなのです?」


 アルトリウスの質問にイェルナクは目を丸くした。


「はっはっはっは、何を決まりきったことを。

 ハン族の再興を図るに決まっているではありませんか!?」


 笑うイェルナクに対しアルトリウスは身を乗り出し、声を押し殺した。


「それは・・・レーマに背くということですか?」


「・・・・」


 イェルナクは笑顔を張り付けたまま笑っていない目でアルトリウスを見つめる。そしてフッと笑いながら顔を伏せ、両手で衣服の襟を正しながら答える。


「そうはなりますまい。我々はレーマと良好な関係を保つつもりです。」


「ハン族再興とおっしゃられたが、降臨者の恩寵おんちょうの独占は大協約で禁じられている。それは御理解いただけたうえでおっしゃられておられるのでしょうな?」


「もちろんですとも!

 我々は大協約には批准しておりませんが、降臨者様の恩寵おんちょうを広めることに異存はありません。」


「降臨者様についてもう一つ懸念が・・・」


「何でしょうか?」


「エッケ島のような何もない島へ降臨者様をお迎えするおつもりですか?

 あそこには打ち捨てられた海賊たちの建物と漁師小屋ぐらいしかなかったはずですが?」


 痛いところを突かれたのであろうイェルナクの顔に張り付いていた作り笑いが落ちた。


「たしかに・・・住みよいように手を入れてはいますが、降臨者様をお迎えするにふさわしい建物はありませんな。」


 だがイェルナクはすぐに再び元のいやらしい作り笑いを浮かべてつづけた。


「しかし、それはご協力いただけるのでしょう?」

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