第16話 出港準備(2)
統一歴九十九年四月十日、昼 - アルビオン港/アルビオンニウム
順調ならもう出港していた筈なんだがな・・・。
アルトリウスはあえてリュウイチとは別の漁師小屋で机に向かい、絹のリボンにメッセージを書き込んでいた。伝書鳩の脚に結び付ける通信用のリボンである。
「カラス見ず、巣無し、卵得たり。今宵参らん。」
「カラス」はメルクリウスを指す
メルクリウスは見つけられなかったし魔法陣も見つからなかったけど降臨者を確保しましたので今夜報告に行きます・・・というような意味になる。無論、サウマンディア伯爵宛の速報だ。
「
こちらはアルトリウシア向けだ。符丁は使わず平文で書いてある。
アルトリウシアでしばらく過ごすことになるリュウイチの住居を用意するよう指示するためのものだった。
アルトリウスはこれらを三つずつ用意した。
伝書鳩による通信は速度こそ速いが長文は送れない。どうしても最少限の言葉で簡潔にまとめる必要がある。
おまけに途中で天敵に襲われたり迷ったりして、目的地にたどり着けない場合もある。なので、確実に通信を伝達するためには、複数の鳩を放って最低でもどれか一羽は目的地にたどり着けるようにしなければならない。
アルトリウスは書き終わった通信文の束を伝書鳩を担当する二人の兵士に宛先ごとに渡して送り出すと、通信文よりも先に書き上げ蝋封しておいた手紙を掴んで自らも漁師小屋から外に出た。
外では
荷物の積み替えは桟橋が狭いため作業に投入できる人数がどうしても限られる。
急遽アルトリウシアへ直行することになった『ナグルファル』が今夜停泊する予定の中継基地・《
「間に合いそうか?」
「少しばかり遅れとりますが、なあに、問題ないでしょう。」
アルトリウスの問いかけにスタティウスは振り向くと口角を上げて答えた。
その口振りからするとやはり当初の予定よりだいぶ遅れているのだ。余裕が無いのは分かっていたが、思っていた以上に無理をさせてしまっている。
「ヘルマンニ殿は?」
「船を点検しておられるようです。」
見るとスタティウスが言ったように『ナグルファル』の
今回の遠征では一人でも多くの軍団兵を運ぶため、本来の乗組員も最低限度に減らしている。このため、専門知識が無ければならない船の手入れや操作などの負担がいつもより増加しているのだった。
特にあの『ナグルファル』号は就役したばかりの新鋭艦であり、船体規模もこれまでにない程拡大しているため、未だに癖を掴み切れていない部分もある。
だから出航前の点検や整備はよくよく入念にやらねばならない。
だが、あの調子なら多分大丈夫だろう。気難し気な顔つきはいつものことだが、今日は機嫌が悪くはなさそうだ。
「クィントゥスは・・・リュウイチ様のところか?」
「いえ、あそこです。」
一足先にアルトリウシアへ帰るクィントゥスに手紙を預けるために居場所を訊くと、スタティウスは意外な方向を指さした。
「何をしてるんだあいつは?」
クィントゥスは桟橋のあたりで
「買い物を頼んどるんでしょう。」
「買い物?」
「サウマンディウムで」
「ああ・・・」
本当なら今日は全員がサウマンディウムへ向かうはずだった。
彼もサウマンディウムでアルトリウシアでは手に入りにくい物を手に入れ、持ち帰って売りさばくなどして小銭を稼ごうと金を用意していたのだろう。そういう兵士は多い。
現在、アルビオンニアは最大の生産拠点だった州都アルビオンニウムを失い、市民の大部分が難民化したため生産力が極端に低下している。
大陸からアルビオン島へ渡る商船の多くは、その輸送能力の大半を難民に配給する食料や生活必需品の運搬に傾注しているおり、贅沢品やら嗜好品やらはアルトリウシアでは入手しづらくなっていた。
商売には素人の彼らでも、適当に何か買ってアルトリウシアへ持ち込めば金を儲ける事が出来る環境が成立しているのである。
なら、やらないわけはなかった。
ところが、クィントゥス率いる
よく見ると桟橋の辺りにいる兵士らのほとんどは荷役作業ではなく、そういう話し合いをしている連中だった。
「まるで大市だな。」
アルトリウスはハハッと呆れたように笑いを漏らしながらもそれを
アルトリウスは妻から米を買ってくるよう頼まれていた。南蛮人たちは米を最も神聖な穀物として珍重しているが、彼らの支配領域は寒冷な気候のため米があまりとれない。
話がまとまったらしくクィントゥスはセルウィウスに金の入った革袋を手渡すと、お互いの肩をポンポンと叩きあって笑顔で別れた。アルトリウスが自分の方を見ているのに気づくと、苦笑いを浮かべアルトリウスらのいる方へ急ぎ足で近づいて来た。
「見てらしたんですか?」
「ああ、何を頼んだんだ?」
「これから冬になりますから香辛料を、できれば胡椒をと頼みました。」
現在四月・・・南半球のアルビオンニアは秋を迎えており、保存食づくりのため香辛料の需要が伸びる時期に当たる。
「大丈夫なのか?」
香辛料は確実な需要があり、軽くて
この時期は需要が伸びるため値も上がりやすい。だから本職の商人たちも好んで扱う。だが嵩張らない分、一度に大量に運ぶこともできるため、香辛料を大量に積んだ船が入港したりすると一気に値崩れを起こしてしまう事がある。
特にアルビオンニウムが放棄された一昨年以降、サウマンディウムの香辛料相場は荒れやすくなっており、それで破産したという話もチラホラあった。
「
高けりゃ他の物を買うよう頼んであります。」
「そうか。
では、悪いがこれを頼む。」
アルトリウスは手に持っていた丸められ蝋封された羊皮紙をクィントゥスに手渡した。
「これが
最後にこれがスパルタカシウス様への、リュウイチ様の接遇に協力を依頼する手紙だ。」
アルトリウスは手紙が誰宛のモノか一つずつ説明する。
「スパルタカシウス様への手紙はルクレティア様に預けた方がよろしいのでは?」
スパルタカシウスとはルクレティアの父であるルクレティウス・スパルタカシウスのことである。ルクレティアは同じ家に住んでいるのだし、同じ船で帰るのだからその方が効率が良いように思えたがための質問だった。
「いや、ルクレティア様はおそらくリュウイチ様に付きっ切りになるだろう。
ルクレティア様がリュウイチ様が
これを届けるのは貴様でなくても、誰か他の伝令兵でも良い。」
「
「頼む。
向こうに着いてから、リュウイチ様を
「必ずやご期待に添って御覧に入れます。」
クィントゥスは手紙を小脇に抱えて敬礼した。
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