第659話 反発

統一歴九十九年五月八日、午前 - ティトゥス要塞司令部プリンキピア・カストリ・ティティ/アルトリウシア



「馬鹿な!ルクレティア様を利用するのか!?」

聖女様サクラを何とお思いか!?」

「不遜だ!いや、不敬だ!!」

「ルクレティア様を利用するということはリュウイチ様を利用するのと同じだ!」

「然り!恩寵おんちょう独占を問われれば言い逃れは出来ませんぞ!?」


 ルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアにブルグトアドルフに留まるよう早馬を送れ……アグリッパ・アルビニウス・キンナの提言に対する反応は徹底的な否定そのものだった。そうした反応はアグリッパ自身もある程度は予想していたようだが、多少なりとも考える間もなく脊髄反射ではないかと思えるほどの反応にはさすがに予想以上だったようだ。アグリッパはまるで不貞腐ふてくされたかのように顔をしかめ、背もたれに身を預け、冷笑するように口角を引きつらせ、ハァーッと呆れたように溜息を吐く。

 そのアグリッパの態度はまるで貴族ノビリタスたちを挑発するかのようであった。家臣団たちは怒りの度合いを高め、エルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人もどうしていいか分からず、自分が腰掛けている椅子の肘掛けをギュッと握りしめて身を乗り出したまま狼狽うろたえてしまう。アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子は思わず目を閉じ、額を揉んでいた。


 もう少し言い方があっただろうに……


 アグリッパという人間は自治領法務官プラエトル・テリットリイである。レーマ本国から各自治領に派遣される法務長官プラエトル・パラティイの下僚であり、各自治領において帝国の法治体制が保たれるよう監視し、領主の暴走を未然に防ぐのがその役割である。

 財務官クアエストルと並んで出世コースクルスス・ホノルムの一段階として踏むべきポストであり、それに就くためには当然優秀な人物か、それ相応のコネが無ければならない。アグリッパは前者……すなわち、相応の才覚を持ってこのポストを獲得していた。コネというものも使わないわけではもちろんなかったが、下級貴族ノビレスの家系である彼の実家は、彼が出世していくにあたって頼るに足るだけのコネを有してはいなかった。しかし、貴族社会であるレーマ帝国でコネなしに出世は望めない。そこでアグリッパは自らの才覚でコネを作り出していったのである。


 例えば他の下級貴族ノビレスたちの金の動きを追い、不正を暴き、それをその貴族に敵対的な第三者にリークする。そのうえで今度はその敵対的な貴族がアグリッパのもたらした情報を基に、その下級貴族ノビレスに対して何がしかの陰謀を企てたところで、今度はそれを下級貴族ノビレスに「自分はたまたま知ったのですが‥‥‥」と密告し、恩を売る。その見返りに有力者への紹介状を書いてもらう……そうした工作を二度三度繰り返すことでアグリッパは下級貴族ノビレスとは名ばかりの貧乏人とは思えぬほどのコネクションを自ら作り出し、出世コースクルスス・ホノルムに乗ることに成功したのだ。


 当然、そうした過程でどれだけ立派な聖人君主面せいじんくんしゅづらした貴族ノビリタスであっても、裏では何がしかのやましいことをやっているという現実を嫌と言うほど目の当たりにしてきていた。

 ただでさえ下級貴族ノビレスという気位だけは立派な貧乏人の家に生まれ、大した甲斐性もないくせに態度だけは父権的な親の下で育っているのである。現実主義者リアリストを通り越して虚無主義者ニヒリストに近い境地に達するのは当然であったろう。世間体だけは立派でも、人間は煎じ詰めれば消化器と生殖器しか残らない……そうした冷笑的な下卑た感覚はアグリッパの中に拭いようもないほど根付いてしまっている。


 そんなアグリッパにとって立っている者は親でも使うのは当然であり、“身内”しかいない場所でなおも本音を隠し、体面を気にし続ける目の前の貴族ノビリタスたちの言動は愚劣極まるものにしか見えないのだった。


 ムセイオンのハーフエルフたちは捕虜奪還に躍起やっきになっている。その捕虜はルクレティアの一行によって連行されているらしく、ハーフエルフたちは無理をしてでも奪還しようと強引な攻撃を仕掛けてきている。

 だがルクレティアには《暗黒騎士リュウイチ》から授けられた《地の精霊アース・エレメンタル》の加護があるため、ハーフエルフたちでは敵わない。現に既に三度も退けられ、大敗を喫している。


 ならばこのままハーフエルフたちにルクレティアを襲わせれば、こちらから軍を送り込まなくてもハーフエルフたちは勝手に自滅するではないか。別にルクレティアに「ハーフエルフを捕まえてください」「倒してください」と頼む必要はない。そんなことをしなくてもハーフエルフの方が勝手に攻撃を仕掛けてくるのだ。

 ただ、ハーフエルフがこっちに来てもらっては困るから、チョットそこで待っていてくださいとお願いすればいい。「《レアル》の恩寵独占禁止」なんか、いくらでも言い訳できるではないか……なのにこの期に及んで何を気にする必要がある?

 まったく、貴族ノビリタスと言う奴らはこれだから……


 内心ではそんなことを考えつつも、これ以上言っても感情的になってしまった相手には徒労でしかないことを知っているアグリッパは憮然とした表情のままで閉口するばかりであった。

 だが、火を点けられたまま放置されたとあっては周囲はたまったものではない。


「何だその態度は!」

「無礼ではないか!?」

法務官プラエトルという立場にありながら、法を何だとお考えか!?」


「ま、まあお待ちください!!」


 先ほど、アグリッパに助けられたためか、今度はゴティクス・カエソーニウス・カトゥスが躊躇ためらいがちにではあったが、アグリッパを助けるべく声をあげる。


「先ほどもご説明いたしました通り、今ハーフエルフたちを抑え込めるだけの兵力を投入する余裕はありません。物理的に不可能です。

 この状態でルクレティア様がアルトリウシアへお戻りになられれば、ハーフエルフたちもアルトリウシアへ来てしまうことは避けられません。」


 アグリッパに対する弁護を展開すれば今度はゴティクスに攻撃が集中し始める。


「貴官までもがアルビニウスアグリッパと同じことを言うのですか!?」

「ルクレティア様にハーフエルフの矢面に立たせるなど、考えられん暴挙だ!」

「相手がハーフエルフだからとて、小勢の敵を軍人が恐れるのか!?」


「そうは言っていません!」


 さすがに非理性的な発言には対処のしようがないが、それでも実務者である以上は逃げることなど許されない。まして理知というものを過信する傾向にあるゴティクスは顔を引きつらせながらも理を説き続ける。


「ルクレティア様を利用しようというのではありません!

 まして《暗黒騎士リュウイチ》様を利用するなど、考えも及ばぬことです!」


「利用しようとしているではないか!?」

「そうだ!確かに聞いたぞ!?」


「静まりなさい!!」


 怒号に近い声が溢れかえる中、エルネスティーネの声が響き渡った。

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