第86話 ポーションの使い方

統一歴九十九年四月十日、夕 - ティトゥス要塞/アルトリウシア



「これがポーション!?」


 場違いなエルネスティーネの黄色い声がひびきわたる会議室は、さながら宝飾品の品評会のような様相を呈していた。

 本来ここはティトゥス要塞カストルム・ティティ要塞司令部プリンキピアに設置されたハン支援軍アウクシリア・ハン叛乱被害対策本部、アルトリウシアの安全保障を担う重鎮じゅうちんたちが集合しハン支援軍の叛乱によってこうむった甚大な被害の対応を指導する中枢司令部である。

 にもかかわらずその機能が一時的にとは言え停止してしまっているのは、突如舞い込んだ降臨者来訪の知らせと、その降臨者リュウイチ本人が被災者救済のために寄付したというヒーリングポーション故だった。


 まるで宝石箱のように美しく仕上げられた美麗びれいな木箱の中に納められた、一箱あたり六十本のガラス瓶。縦長の八角柱の瓶は上端と下端部の角を丸くカットされており、細く締まった首の両肩に取っ手のような耳が二つ対角方向についている。

 蓋もガラスで出来ていてグラディウスポンメルのように大きな頭がついているが、これに細かいカッティングが施されていてどの角度から見ても必ずどれかの面が光を反射して絶えずキラキラと輝きを放つのだ。その頭の根元にはやはり二つの耳が対角方向についており、瓶本体の耳と蓋の耳が金の糸で結ばれて蓋が外れないように封がされているようだ。

 しかも、瓶本体も蓋も全く濁りの無い無色透明のガラスで出来ているのである。


 この世界ヴァーチャリアではガラスは貴重品であり、宝石に分類される。

 無論、ガラスの存在も加工技術も《レアル》から伝わっているが普及していない。理由は《火の精霊ファイア・エレメンタル》の存在があるからだ。

 大きすぎる火や強すぎる火には精霊エレメンタル憑依ひょういし、《火の精霊》となって暴れまわる。ゆえに、ガラス加工に必要な火をこの世界ヴァーチャリアの人間は自在に扱う事が出来ないのだ。

 同じ理由で鉄も普及していないし、磁器も普及していないし、陶器も高温で焼しめる類のものは普及していない。


 鉄は同じ重量の金とほぼ同じで銀のほぼ四倍の価値がある(昨今の金貨の異常な高騰を考えなければの話だが)。ガラスを加工するためには鉄より高い温度の火が必要であり、それでいて鉄ほどの需要(利用価値)が認められていないため加工する職人自体が非常に少なく、ゆえに鉄を遥かに上回る価値があるのだ。

 しかもこの世界ヴァーチャリアで作られたガラスは混じり物があって白濁していたり色がついていたりして、反対側が綺麗に見えたりすることは先ずない。

 不純物を含まないガラスはだいたい《レアル》から降臨者によって持ち込まれた物か、降臨者(特に生産系のゲイマーガメル)によって創られた物・・・いわゆる聖遺物に限られる。



 このガラス瓶一つで、要塞カストルムが建つほどの価値がある。それも大砲付きで。


 彼らが言葉を失うのも無理は無かった。

 今、彼らの目の前にある箱にはこの世界ヴァーチャリアの並の国の年間予算を数倍から数十倍に達する価値を有する宝石ガラスビンが詰まっているのだ。しかもそれが十箱ある。



「こ、このようなものは、さすがに受け取るわけには・・・」


「い、いかにも、いくらなんでも高価すぎる・・・」


 降臨者の恩寵おんちょうは独占してはならない。にもかかわらず、これほどの物を受け取ったらアルトリウシア子爵領のみならずアルビオンニア属州が丸ごと世界から糾弾されかねない。


 エルネスティーネもルキウスも相次いで辞退すべきだとの意向を示すが、その声も態度もすっかり落ち着きを失ってしまっている。この部屋にいる誰も、自らが仕える領主ドミヌスたちがこのように狼狽うろたえた姿を見た事が無かった。


「わ、我々もそのように御説明申し上げたのですが、その・・・『容器が要らないなら容器だけ返してくれればいい』と申されまして・・・」


 クィントゥスが言いづらそうに説明する。

 無理もない。これらがどれだけの価値を持つか鑑定できなくとも、とんでもなく高価な物だということくらいは分かるはずだ。ただ、あげると言われてハイそうですかと何も考えずに受け取ってくるなど、物を知らぬ子供かよほどの世間知らずだけだろう。

 仮に預かって運んでいる最中に落としてガラス瓶を割りでもしたら、誰にも弁償なんかできない貴重な品だ。

 提示された時点で断らない方がおかしい。

 その程度の常識はクィントゥスもわきまえていたし、そうだからこそ無責任にも何も考えず受け取ってきた愚か者と思われたくはないのだ。



「中身のポーションだけは受け取って役立ててほしいとの仰せでした。」


 全員が重々しくため息をついた。

 料理にかける塩が欲しいと言ったら、博物館に飾られてるような世界に数点しかない貴重な文化財の壺に入れられて寄越されたようなものだ。中身を使いたくてもおいそれと触る事さえできやしない。



「も、持っても大丈夫かしら?」


 しばらく続いた沈黙の後、エルネスティーネが尋ねる。


「はい、どうぞ。」


 クィントゥスが一つを右手で摘まんで躊躇ためらいもなく持ち上げると、瓶の下に左手を添えて差し出した。

 貴重な品をあまりにも無造作に扱うその行為に周囲の者たちは思わず目を剥き、息を飲んだ。

 二、三秒ほど、何か信じられないものを見るような目で瓶とクィントゥスの顔を交互に見てから、エルネスティーネはゆっくりと両手で瓶を受け取る。

 同じようにクィントゥスはもう一本取り出して、今度はルキウスへ差し出した。


「これがポーション?」


「濁ってないな・・・色は青か?」



 ガラス瓶の中身を透かし見ながらエルネスティーネとルキウスがそれぞれ疑問を口にした。はっきりと青と言い切れないのは色が薄いのと、ロウソクの灯りに透かして見ているからだった。

 この世界ヴァーチャリアで作られるポーションは緑色をしていて濁っている。劣化すると黄ばんできて腐ると濃い茶色になるが、ずっと濁ったままだ。

 二人の領主が観察している間に、クィントゥスは他の幕僚にも一本ずつ手渡していく。



「おそらく《レアル》で創られた物か、リュウイチ様がスキルで創られたものかと思われます。つまり、真物しんぶつです。

 この世界ヴァーチャリアで複製されたものが濁っているのは、精製が不完全だからだと言われています。」


 ルキウスの言った「濁ってない」という感想に対して、ヴァナディーズが所見を述べた。


「真物ならば効果もローポーションとは比べ物にならない筈。

 そのようなものを出回らせて大丈夫なのか?」


「効果は、まだ誰も試してないのでわかりませんが、リュウイチ様はこれをローポーションだとおっしゃってました。」


「「「ローポーション!?」」」


 ローポーションという言葉には二つの意味がある。

 一つはゲイマーガメルのポーションの中で効果が低く安価な物。もう一つはこの世界ヴァーチャリアで複製されたポーションである。前者の方は現物が残っていないので、歴史研究や薬物の専門家を除けばそちらの意味で使うことはあまりない。

 この世界ヴァーチャリアではゲイマーのもたらしたレシピを元に様々な物の複製が試みられており、そのいくつかは一応成功している。ポーションもその一つではあるのだが、精製が不完全らしく品質がかなり劣った物しか生産できていないのが実情だ。

 このため、この世界ヴァーチャリアで精製されたポーションを、ゲイマーが創る真物オリジナルより劣る物という意味からローポーション、あるいはレッサーポーションと呼んでいた。


「ローポーションと言ってもこれは違うだろう?」


 さすがに呆れたようにルキウスは笑った。


この世界ヴァーチャリアのローポーションは真物のローポーションの十分の一から二十分の一ほどの効果だという説があります。

 水で十倍から二十倍に薄めれば、おそらく我々が知っているローポーション程度の効果に納まるのではないかと愚考します。」


 ヴァナディーズがそう言うとルキウスは笑うのをやめ、感心したように眉を上げると改めてヴァナディーズの方を見た。


「なるほど、容器から出して薄めてから避難民のところへ持って行けばいいわけか・・・だが、薬液の見た目の違いはどうにもなるまい?」


「夜のうちであれば気づかれないかと存じます。」



 確かに今のうちなら難民たちのところにはろくな灯りが無い。暗ければこれが通常のポーションとは異なる事に気付く者はいないだろう。いや、どうせ平民たちの多くはポーションを目にしたことも無いのだ。怪しまれる可能性は限りなく低い。

 貰ったポーションの使用に現実味が帯びてくると、今度は量が気になって来る。

 エルネスティーネが瓶を眺めながらクィントゥスに尋ねた。



「それで、これは何本頂いているのですか?

 箱は十個あるようですが・・・」


「一箱六十本ですから、全部で六百本を頂いております。」


「一本で一回分かしら?

 だとすると十倍に薄めるとして六千回、二十倍に薄めるとしたら一万二千回分ということになりますね。」


「被災者に含まれる負傷者全員に行きわたらせることもできそうだな。」



 クィントゥスの答えを元にしたエルネスティーネの計算を受けてルキウスがうなった。

 かなりな量である。完全充足状態の一個軍団レギオーの備蓄量を上回るだろう。兵数が定数の半分を下回っているアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアなら数年分をまかなう事が出来る量だ。



 それを聞いた幕僚がおずおずと提案した。


「いっそ、これは使わず備蓄して、軍団で備蓄してあるローポーションを放出してはいかがでしょうか?」


「そ、それは!」

「いいのか、そんなことをして?」

「被災者にと渡されたものだろう?」


 他の幕僚たちから口々に批判するが、皆顔が半笑いであり出来る事ならそうしたいという下心が透けて見える。

 提案した幕僚はそうした同僚の態度に抗議するかのように説明し始めた。


「いえ、ひとまずコレを使わないでおけば降臨者様と降臨の事実を秘匿する事に寄与します。それでいてポーションは負傷者に十分な量が行きわたります。

 それも降臨者様がコレを下されたからこそ可能となるのですから、お気持ちを無駄にする事にはなりません。

 そもそも消耗品は古いモノから使うのは当たり前ですし・・・」


 ルキウスは笑いながらその幕僚を制した。


「まあまあ、貴官の言わんとしている事はわかる。

 だが、問題はこれを下さった御本人がどう思われるかだ・・・どうなんだ、そこのところは?」


 ルキウスがクィントゥス達に話を振ると、エルネスティーネと幕僚たちの視線も自然とクィントゥス達の方へ注がれた。


「つ、使い方については特に何も伺っておりませんので何ともお答えしかねます。

 我々はただ、苦しんでいる被災者のための役立ててほしいとしか言付かっておりませんので・・・ただ、『容器は要らないなら返してくれ』とおっしゃっておられました。その意味するところは・・・」


「なるほど、わけか・・・」



 これを拡大解釈をすれば幕僚の提案した使用方法は認められるという事だ。その意味するところの結果を想像してエルネスティーネが口をはさんだ。



「でも、いくら降臨者様が返さなくていいとおっしゃられたとしても、我々がこれを頂くわけには参りません。

 これらの容器はお返しせねば、我々は降臨者の恩寵を不当に独占したと見なされるかもしれませんよ?」


 当然の指摘だろう。本音では彼女もこの宝物ガラスビンは欲しいのだ。だが貰うわけにはいかないと内心泣く泣く諦めたのだ。

 このような高価で美しい宝物ガラスビンを他人が貰ったと知ったら、彼女だって嫉妬の炎に身を焼く思いをするに違いない。だからこそ、自分自身にそうした嫉妬を向けられるような事を自ら行うわけにはいかないのだ。


「では、ましょう。」


「預かる!?」


 エルネスティーネはルキウスの「預かる」という言葉に耳を疑った。


「ええ、まずは備蓄してるローポーションを放出します。消耗品は古いモノから使うという原則に則ってね。」


 ルキウスが「古いモノから」のくだりを、あえて先ほどの幕僚を見ながら言うと、その幕僚は恭しく頭を下げた。それを見ながらルキウスは続ける。


「ローポーションを放出した後で足らなかったら、コレを使います。」


「・・・随分余りそうではありませんか?」


 どこか楽し気なルキウスに対し、エルネスティーネがいぶかし気に指摘する。


「ええ、かなり余るでしょう。その分は備蓄の補充分が納入されるまでお預かりします。

 使った分はどのみち補充しなければなりませんからな。それが納入され次第順次お返しします。」


「そのような方便が通るのですか!?」


「どのみち、これだけ大量のポーションを頂いた時点で、恩寵独占の批判は免れんでしょう。

 ですが、返すのを前提にあずかり、結果的に使わない方向へ持って行くのであれば、恩寵独占の批判は免れます。

 それでいて、降臨者様のメンツ・・・いや、御好意と言うべきか、それを無駄にせずに済みます。我々は降臨者様からポーションをお預かりしたことで、備蓄ポーションをすべて放出するという本来なら成し得ない事を成し得たのですからな。」

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