第87話 家で待つ妻たち

統一歴九十九年四月十日、夕 - セーヘイム/アルトリウシア



 インニェルとメーリの二人が港に面した広場を後にし、自分たちの新たな戦場であるキッチンへと赴いた後、ヘルマンニが所有する臥與レクティカが引っ張り出された。

 臥與は船から降りた女性二人を乗せると重装歩兵ホプリマクス百人隊ケントゥリアに囲まれてティトゥス要塞へと向かった。

 暗くなるにつれ、桟橋の上や周辺、そして『ナグルファル』の甲板上には松明や篝火かがりびが焚かれ、灯は使うなという領主ルキウスからの指示のせいで真っ暗なセーヘイムとは対照的にその周辺だけがやたらと明るくなっている。

 しかし、『ナグルファル』号の周辺には軽装歩兵ウィギレスが相変わらず厳重な警備を敷いて中の様子はさっぱり分からないままだった。



 臥與がティトゥス要塞へ向かった直後くらいにサムエルが一人で家に戻ってきたと思ったら、酒とツマミになりそうなチーズや干物や漬物をかごに詰めはじめる。

 それに気付いたインニェルはさすがに呆れて声をかけた。


「ちょっと、サムエル。あなた船で酒盛りしてるの!?」


「ああ、母さんインニェル

 えっと、飯まで時間があるし、その間お客さんを・・・」


 いかにも悪戯いたずらを隠してる子供のようなサムエルの態度に、インニェルのカーチャンモードのスイッチが入った。


「大事なお客さんなら家に来てもらったらいいじゃないの!」


「いやっ、そういう訳にはいかないんだ。」


「何言ってんの!?

 せっかくセーヘイムに帰って来てるのに船の上じゃお客さんに失礼じゃないの!」



 セーヘイムのブッカにとって他所から来た客を精いっぱいの歓待ヴェイスラで持て成すのは常識である。それが貴人だろうが貧民だろうが関係ない。他の民族には理解しがたい事だが、たとえ親の仇が一夜の宿と食事を求めてきたとしても精いっぱい歓待するのがブッカの風習だ。

 だがそれを船の上でだなんていうのは非常識極まりない。

 客は船旅で疲れている筈・・・だったら上陸させてまず地を踏ませて安心させるのが歓待の最初の一歩のはずだ。そこを無視しては歓待も何もあったもんじゃない。



「ああ、大丈夫!その辺は・・・」


「何が大丈夫なもんですか!

 失礼になるじゃないの!!」



 サムエルは何とか誤魔化したかったがインニェルは引き下がらないし、何にも他に上手い言い訳が思い浮かばない。

 サムエルとしてもインニェルの言いたいことは分かるし、自分でも家に招くべきだと思っている。ただ、ルクレティアががんとして聞き入れてくれなかった。理由もハッキリとは教えてくれなかったのだが、とにかく家に招くのはまずいらしい。決してセーヘイムのブッカにとって、サムエルの家にとって悪い意味があってのことではないとは繰り返し言うのだが、どうにも都合が悪いらしい。

 まあ、男にはよくわからない理由があるらしいぐらいの説明しか受けられなかったからそれならいっそ無視して済崩なしくずし的に家へ招いてしまおうとも思ったのだが、リュウイチが「じゃあここで食べる」と言い出してしまった以上はそうするより外なくなってしまった。

 サムエル自身、ホントに納得できているわけではないのでインニェルの言い分は凄くよくわかるのだが、かといってその理由を言うわけにはいかない以上サムエルとしてもひたすら誤魔化すしかないのだ。



「いや、ホントに大丈夫なんだよ。

 ああ、あと晩飯あとどれくらいかかるかな?」


「まだ少しかかるわよ、なんたってなんですからね。」


「わかった、じゃあ出来たくらいに取りに来るよ。」



 さすがにこの一言にはインニェルも目をいた。

 冗談じゃない、そんなことをしたらセーヘイムのヘルマンニは客のもてなし方も知らぬ田舎者と世間に笑われてしまう。いや、セーヘイムのブッカ全体にとっての恥になる。

 とてもではないが郷士ドゥーチェの妻として、族長の妻として、一家の女主人として、母親として到底認めることなど出来はしない。



「何ですって!?

 まさかお夕食まで船で食べるつもりなの??」


「ああ、えっと、ごめん、色々都合があるんだよ。」


 母のあまりの剣幕にたじろいだサムエルは次の瞬間、一瞬の隙を突いて駆け出した。


「どんな都合があればわざわざ船でお客さんに御馳走振る舞うっていうの!?

 コレッ!ちょっと、サムエル!待ちなさい!!」


「ごめん、後で話す!!」



 サムエルはそう叫ぶと、籠を持って『ナグルファル』へ駆けて行った。いや、逃げて行ったと言った方が正しい。


 まったく、何て子かしら、自分の嫁も子供もほったらかして!

 あとで食事を取りに来た時にメーリと一緒にしっかり問い詰めてやるんだから。



 だがインニェルのその目論見は外れた。

 サムエルかヘルマンニかどちらの悪知恵かは知らないがさすがに気まずかったのだろう、軍団兵に食事を受け取りに来させたのだ。



 まったく、軍団兵よそ様をこんな風に利用するなんて、一体全体どこでこんな小ズルいやり方を覚えたのかしら?



 だがそれならそれでやり方がある。

 インニェルは今運びやすいように鍋に分けてるからと軍団兵を待たせた。その間にヘルマンニの部屋からヘルマンニ秘蔵の酒を勝手に持ってきて軍団兵に渡すと、インニェルは世間話を始めた。


「御勤めご苦労様です。

 これは皆さんへの差し入れよ。」


「おお、これは!

 奥様ドミナありがとうございます。」


「いいのよ。

 ところでウチの人ヘルマンニは今ナグルファルに居るのよね?」


「ええ、ですが・・・その・・・」


 兵士は余程警戒しているのか目を泳がせ、口ごもる。

 だが、それくらいで諦めるインニェルではない。


「大丈夫よ、あなたたち話しちゃいけないんでしょ?

 だから訊かないわ。

 私が訊きたいのはウチの人ヘルマンニ息子サムエルの事よ。

 いいでしょ?」


「はあ、その・・・」


「何か大切な御客様を接待してるのは知ってるのよ。

 ただ、ホラ、船の上でしょ?

 それだけでも失礼なのに大丈夫かしら?

 ちゃんとやれてるの?」


 質問が秘匿事項ではないと理解した兵士は少し安心したようだった。表情から緊張の色が消え、幾分声が明るくなる。


「ええ、その点はご安心ください。」


「ホントに?

 あの人ヘルマンニったら普段口下手だから、ちゃんと御客様の御相手できるかどうか心配なのよね。」


「大丈夫ですよ、奥様。

 近くで聞いてる限りでは打ち解けていらっしゃるご様子です。」


息子サムエルも?」


「ええ、三人で賑やかに楽しんでおられるご様子でした。」


 三人・・・ということはは一人。


「お酒とか食べ物とか大丈夫だったかしら?

 あの子サムエルったら、そこら辺にある物を適当に勝手に持って行ったから、の口には合わなかったのではなくて?」


「いえ、そんなことは無いご様子でした。

 お昼もサムエル様たちが料理されたものをお召し上がりでしたが、御身分が高いにも関わらず大変ご満足いただけたと伺っております。」


「まあ、あの子サムエルの料理なんてろくなもんじゃないでしょうに!

 御客様に無理して食べさせたてしまったのではなくて?」


「そのようなことは無いと思います。

 特にフジツボで出汁を取ったスープや蛸のソテーが大変お気に召したそうで、ゲップを二回もしたと、料理した船乗りたちが自慢気に話しておりました。」


「そう・・・それは良かったわ。

 不味かったらゲップするほど食べないものね?」


「もちろんですよ。

 一つも残さず見事に平らげられたそうです。」


 というのはカマかけだったが否定しないし、船乗りたちが自慢気に話をしていたという事は実際にかなり高貴な身分に違いない・・・上級貴族パトリキか。


「そう、じゃあ食べ物の心配は無いわね。

 でもやっぱり心配だわ、あの人ヘルマンニったら海か魚か船の話しかできないじゃない?

 下手するとおんなじ話を何度も繰り返すんですもの、御客様を困らせたりして無いかしら?」


「いえ、リュ・・・御客様は航海中もずっとヘルマンニ様の御話を楽し気に聞いておられました。

 どれも初めて聞く話ばかりで、御興味を抱かれたようです。」


 今、名前を言い掛けた。最初は「リュ」で始まる名前。


「まあ、本当に?

 ちょっと信じられないわ、じゃあウチの人ヘルマンニったら夢中になって話ちゃってるんじゃなくて?」


「ええ、あんなに上機嫌なヘルマンニ様は見た事がないと船乗りたちも言ってました。」


「まあ、いやだわ。ウチの人ヘルマンニ、調子に乗りすぎて失敗しなきゃいいけど。

 あの人ヘルマンニお酒に酔うと同じ話をずっと繰り返しちゃうから。

 でも、海に馴染みのない方だと色々珍しいのかもしれないわね。」


「そうですね、船に乗り慣れておられないらしく、船の説明をイチイチ驚異深く聞いておいででした。」


 この調子で世間話を続ける事で、料理の運び出しの準備が整う小一時間ばかりの間にインニェルは様々な情報を得る事が出来た。しかし、兵士たちは自分たちが降臨者の情報をどれだけ漏らしてしまったか全く気付いていない。



 夕食が終わって食器や料理を運ぶのに使った鍋釜や籠を軍団兵が返しに来てしばらくしてから、ティトゥス要塞からヘルマンニの臥與と領主様の馬車二台とが大勢の護衛を引き連れて戻ってきた。

 住民たちが遠巻きに見ている中で桟橋に横付けされた馬車の中からエルネスティーネとルキウスが降りて来ると、そのまま『ナグルファル』号の後甲板へ揚がり、テントへ入って行った。

 それからしばらくして、エルネスティーネとルキウスは一人の見た事もないくらい派手で豪華な服を着たヒトらしき大男を伴って出てくると、そろって侯爵家の馬車に乗り込んだ。

 それから馬車は護衛を伴ってティトゥス要塞へと戻って行き、それと共に『ナグルファル』号の警備体制は解かれた。

 その後、叛乱軍の来襲の危険性は無くなったからは普段どおり使って良いというお達しがあった。


 一行を送り出したヘルマンニとサムエルは、港に接する広場から人気ひとけと灯りが消え去ってからようやく家路についた。

 したたかに酒に酔い、おぼつかない足取りで上機嫌のまま我が家にたどり着いた彼らが目にしたのは、玄関前で仁王立ちになって待ち構えていた二人の女房の姿だった。

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