第1169話 そのころのエイー
統一歴九十九年五月十日、夕 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム
二時間ほど前になるだろうか、数人の盗賊たちを引きつれてエイー・ルメオは昼くらいに山荘を発った。そのまま案内役の盗賊の導くままに間道を北へ向かい、途中からブルグトアドルフへ向かう道へと折れ、更にもう一度北へ向かう小路へ入って行く。その道は
「ホントにこっちでいいのか、ダックス?」
間道だというのに太腿を大きく上げて歩かねばならない、獣道と大差ない道を歩かされてレルヒェが不快も露わに問いかける。
「間違ぇねぇさ。
俺ぁ六日の夜はこっから逃げたんだ。」
六日の夜とは、盗賊団が最初にブルグトアドルフを襲撃した日の事である。事件の日付は公式の記録では五月五日だが、民間では慣習的に日没で日付が変わる不定時法が普及しているので彼らの認識では五月六日だ。あの夜、『勇者団』からの指示通りに
「それにしてもかかり過ぎじゃねぇか?」
「ブルグトアドルフに一度かなり近づいたからな。
遠回りになるから五マイルくらいにはなるぜ。」
五レーマンマイルは約九・三キロメートルである。平地でもなかなかの距離だが、これが山道なのだから体力のない者にはキツイだろう。レルヒェはフンッと鼻を鳴らした。
レルヒェは今回、クレーエからエイーの世話を命じられていた。ガラじゃねぇし嫌だと断ったのだが、クレーエから「信用できる奴がお前の他に居ねぇ」と言われたら断ることもできない。
レルヒェは自分が無能だと自覚している。だから自分より有能な人間を見つけ、そいつにくっついて行くことで今まで生きてきたのだ。今はクレーエがレルヒェのついて行くべき相手であり、そのクレーエから必要だと認められることはレルヒェにとってある意味、至上命題なのだ。クレーエから必要ないとか邪魔とか思われたらレルヒェは自分が生きていくのが非常に困難になるだろうという確信があった。ゆえに、クレーエが「お前しか居ねえ」と見込んだうえで何かを頼まれたなら断るわけにはいかない。
クレーエの居る山荘から離れるのはレルヒェにとって非常に不本意ではあったが、それでもエイーと共に盗賊どもを率いて歩いてきているのはそうした理由があるからなのだった。
「随分かかるな。
あの山荘からブルグトアドルフまで徒歩で二時間かそこらじゃなかったのか?」
そう尋ねるエイーの息は弾んでいた。やはりまだ山道は慣れていないのだ。不安定な路面、繰り返す坂道、そして生い茂る草木……そうした悪条件の揃った道を歩くのは、想像するよりもはるかに体力を消耗する。
エイーの質問はさきほどレルヒェとダックスの会話で話されていたことそのままではあったが、エイーはドイツ語が分からないので理解していなかったのだ。レルヒェは面倒と感じる前に、本物の貴族様を相手にすることに対する緊張が優り、上ずった声で返事をした。
「へぃっ!
ダ、ダックスの話じゃ山荘から五マイルほどだそうで……
かれこれ四マイルは歩いてやすから、あと半マイルかそこらじゃねぇかと……
お疲れかとは思いやすが、もうちっとですんで……」
ダックスと話をしていた時とはまるで別人だ。だがそんなレルヒェのことを、他の盗賊たちは笑ったりしない。むしろ同情的ですらある。何故ならここでレルヒェを笑って下手に自分に
そんな盗賊たちの心境にエイーは気づかない。むしろ子ども扱いされているような妙な
「そんなに疲れてない。
平気だ。
ただ、思ったより時間がかかってるから気になっただけだ。」
「へぃ、それならいいんですが……」
愛想笑いを返したものの、レルヒェはエイーが気を悪くしたかと思いダックスを
見ろ、貴族様が機嫌悪くしちまったじゃねぇか!
俺のせいか!? 違うだろ!?
何でみんなで俺を見てんだよ?!
言葉にしないが盗賊たちは互いに目配せし、視線と表情だけでコミュニケーションを交わすが、その様子もエイーには面白くなかった。
それから十分もしないうちに森の出口に差し掛かって来るにつれ、何やら風が臭い始める。最初は厩舎の臭いかと思ったが、この辺はブルグトアドルフの街から相当離れており、厩舎なんてものは無い。いや、厩舎の臭いどころではなくなってきた。森の出口に近づけば近づくほど、臭いがあからさまに強烈になっていく。エイーはもちろん、盗賊になる前は農家で家畜を飼っていたはずの者さえ顔を
「おい、何だこの臭い!?」
「くせぇ……肥溜めか?」
「堆肥の臭いとかじゃねぇのか?」
「おいダックス! 何だこの臭いは!?」
盗賊たちが口々に不平を言い始めるが、しかし案内役の盗賊ダックスはどこ吹く風だ。
「気にすんな、臭いなんてもなぁそのうち慣れる。」
実際、ダックス一人が平気そうな顔をし、それどころか悪臭で苦しんでいる他の盗賊をあざ笑うかのようだ。その態度に神経を逆撫でされた盗賊たちがさらに激しい口調で背後から罵り始めた。
「馬鹿言うな!」
「お前、鼻が壊れてんじゃねぇのか!?」
「だいたいお前、どこに連れて行く気だよ!?
見張りにちょうどいい場所に案内するんじゃなかったのか?」
「おう、見張りにゃうってつけさ!
身を隠せる上に見晴らしがよくて雨風をしのぐことができらぁ。
誰も寄って来ねぇこたぁ
さあ、もう目と鼻の先だぞ!」
一行は森を抜けた。そこは開けており、畑の広がる低い丘であり、三十ピルム(約五十六メートル)ほど先に建物が立っていた。広い倉庫を兼ねた作業場のようであり、その向こうに農家らしき住居が併設されている。
「うっ……臭いが強烈になってきやがった。」
「何だ、あの建物から臭ってやがんのか?!」
「くせぇ、糞と小便を混ぜて煮詰めたみてぇな臭いだ」
「おいダックス! あの建物は何だ!?」
ダックスは振り返ると両手を広げ、まるで自慢でもするかのように紹介する。
「ハッハァーッ!
アレが目的地さ!
あれは
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