第810話 エーベルハルト・キュッテル(1)

統一歴九十九年五月十一日、午前 ‐ アルトリウシア子爵邸/レーマ



 レーマ帝国インペリウム・レーマにおける上級貴族パトリキのもつ爵位は五つ。公爵ドゥクス侯爵マルキオー伯爵コメス子爵ウィケコメス男爵バロの五つだ。その中で子爵は下から二番目と下位ではあるが、爵位を持つすべての貴族の内で男爵は全体の半数以上に達するため、子爵であっても上位貴族全体からすれば確実に上位半数に入る。とはいっても上には上がいるのであるし、上級貴族とはいえその家族ともなると本人より一段下がる地位と見なされてしまう。

 大グナエウシアグナエウシア・マイヨルことグナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨル子爵令嬢ウィケコミティス・フィリアの場合さらに立場は複雑だ。彼女は「子爵令嬢」ではあるが、彼女は先代子爵であるグナエウスの娘であって現当主であるルキウスからみると姪にあたる。大グナエウシアの兄アルトリウスはアルトリウシウス子爵家の正式な跡取りとしての立場を確固たるものとするためにルキウスと養子縁組をしていたが、大グナエウシアの方は妹の小グナエウシアグナエウシア・ミノールともどもルキウスとは養子縁組をしていないので、彼女はあくまでも先代子爵の令嬢でしかないのだ。

 現アルトリウシア子爵家当主ルキウスにとっては娘ではなく姪であるため厳密には「アルトリウシア子爵令嬢」ではない。が、先代アルトリウシア子爵家当主グナエウスの娘であり、同時に現アルトリウシア子爵公子のアルトリウスにの実の妹であるため「アルトリウシア子爵令嬢」という肩書はあながち不適当というわけでもない。

 レーマ帝国の制度上、その点はどうなのかは明確ではなかった。大グナエウシアが子爵令嬢を名乗ることに疑義を挟む人物がいないわけではないが、現当主のルキウス本人が特に問題視していなかったし、他の子爵家の者たちを含め彼女を子爵令嬢として扱っていたがために、なあなあで「子爵令嬢」を名乗ることが許されているというのが現状だ。これはルキウスが家督を相続した際の御家騒動を丸く収めるために、あえてあいまいなままにしていたせいでもある。


 ともあれ、大グナエウシアの上級貴族としての立場は少しばかり微妙であった。通常、貴族ノビリタスの家族となれば貴族本人の代理としての役目を務めることも出来る。正式な跡継ぎである「公子」ともなれば猶更なおさらで、その言動は事実上当主本人のものと見做みなされるのが慣例となっている。が、先述した通り大グナエウシアは直接の家族とは言い難い。ましてや公子どころか令息れいそくですらなく、ただの令嬢れいじょうだ。男尊女卑社会であるレーマ帝国において、彼女は子爵本人よりも一段も二段も下がる立場と見做されざるを得ない。

 本人もそれは理解していたし、それはそれで却って「家の代表」「領国の代表」という重責から逃れられるので気楽なものだった。貴族令嬢らしくオホホと社交界を楽しみ、人脈を広げつつあわよくば結婚相手を見つけられれば御の字くらいの、かなり恵まれた立場だったと言っていいかもしれない。


 しかし、アルビオンニアで降臨が起きたと一報が入ってしまった。そして間の悪いことに現在、帝都レーマに居るアルビオンニア属州出身の上級貴族は彼女しかいなかった。アルビオンニア侯爵家は現当主エルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人が家族ともどもアルトリウシアに居たし、エルネスティーネの義弟で先代アルビオンニア侯爵マクシミリアンの実弟レオナード・フォン・クプファーハーフェン男爵に子供は無く、本人は妻共々クプファーハーフェンに居る。アルトリウシア子爵家は大グナエウシアがレーマに留学中だが他はアルトリウシアに居た。残る上級貴族は聖貴族コンセクラトゥムであるスパルタカシア家のみで、当主もその一人娘もアルトリウシア在住である。必然的に大グナエウシアが唯一のアルビオンニア属州の代表者という立場にならざるを得なかったのだ。

 そしてその彼女に昨日から面会の申し込みが殺到している。彼女はお気楽貴族令嬢から一転、属州の代表、子爵家の代表、領国の代表という役割やら立場やらを突然求められるようになってしまったのである。


ごきげんようサルウェー、キュッテルさん。

 ご無沙汰しておりましたが、お元気そうで何よりです。」


 大グナエウシアはレーマのアルトリウシア子爵邸の応接室タブリヌムで早速客人を迎えていた。

 相手はエーベルハルト・キュッテル。キルシュネライト伯爵家の御用商人であるキュッテル商会の当主であり、同時にエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人とアルビオンニア軍団軍団長レガトゥス・レギオニス・アルビオンニイアロイス・キュッテル、そしてアルビオンニア侯爵家御用商人グスタフ・キュッテルの実の兄でもある人物だ。


ごきげんようサルウェー子爵令嬢ウィケコミティス・フィリア

 本日はキルシュネライト伯爵閣下の遣いとして参上いたしました。」


 褐色の肌とは対照的に髭も髪の毛も真っ白になった五十代の老人は孫ほど歳の離れた大グナエウシアに朗らかな笑顔を見せつつ挨拶を返す。対する大グナエウシアの方はガチガチといっていいくらいに緊張していた。


 エーベルハルトは爵位など持たない商人であり、世間的には単なる下級貴族ノビレスの一人でしかない。しかし属州女領主ドミナ・プロウィンキアエの実兄であり、アルビオンニア属州の代表者として活動する元老院議員セナートルオットマー・フォン・キルシュネライト伯爵の義兄であり御用商人であり今日は伯爵の代理でもある。年齢も祖父ほどの相手となれば、身分はこちらが上でも立場は向こうがずっと上であると認識せざるを得ない。実際、オットマーにしろエーベルハルトにしろレーマに来てから様々なサポートをしてくれる貴重な支援者である彼らに、大グナエウシアは決して頭が上がらないのだ。


伯爵コメス閣下はシュテファニ様への子爵令嬢ウィケコミティス・フィリアのお誕生日プレゼントを大変なお喜びようで、くれぐれも御礼申し上げるよう仰せつかっております。」


 シュテファニはオットマーの長女であり、つい三日前の五月八日に十七歳になったところだった。大グナエウシアにとってはレーマに来て一番最初に仲良くなった同性の上級貴族であり、レーマに居る間は何かと世話になっている人物の一人である。


「キルシュネライト様にアルビオンニアの銀細工をお送りするのはいかがかと迷いましたが、お喜びいただけたのでしたら私としてもうれしい限りです。」


 大グナエウシアが送ったのはネックレスのアクセサリーだった。アルトリウシア特産の真珠をアルビオンニア特産の銀細工に嵌め込んだネックレスである。キルシュネライト家は元々、大戦争時に啓展宗教諸国連合側からレーマに亡命してきたランツクネヒト族の代表として活動してきた政治家の家系であり、アルビオンニアが新たな属州に加わってからは同じランツクネヒト族の貴族が領主を務めていたこともあってアルビオンニア属州の代表として元老院セナートスで働いている。その立場上、アルビオンニアの銀細工などいくらでも手に入る立場にあり、むしろ帝都レーマでアルビオンニアの特産品を宣伝しなければならない立場であった。

 そのキルシュネライト家の令嬢にアルトリウシアの真珠が使われているとはいえアルビオンニアの銀細工を送ったのだから、いささか相手の立場を軽んじるものになったと思われても仕方がない。人によっては「無礼」と看做すこともあり得るだろう。


「その銀細工もアルトリウシアの真珠によって一段と素晴らしいものに仕上がっておりました。伯爵コメス閣下もシュテファニ様も、これほど粒の大きな真珠は見たことが無いと大層なお喜び様です。」


 幸い、エーベルハルトから大グナエウシアに対する言葉にとがめるような要素は全くなかった。しかし、大グナエウシアの気がホッと緩んだ瞬間を見計らうかのように話題が唐突に変化する。


「そういえば、アルトリウシアでは最近やに伺いましたが?」


 アルトリウシアでは真珠が特産品ではあるが、主に養殖であって天然物でもない以上そのような規格外の真珠が獲れるということは無いし、また大グナエウシアもそのような話は聞いていなかった。つまり、これは文字通りの表現ではない。

 最近、いつもとは異なる大きな存在がアルトリウシアに現れたとなれば、その意味するところは一つしかなかった。


「はい、私も詳細までは存じませんが、大きすぎて持て余しておるやに伝え聞いております。」


子爵閣下ウィケコメスが持て余すほどとなると、相当大きいのでしょうね?

 噂を聞いて伯爵閣下コメスも御興味をお持ちになられたようです。」


「はい、あまりにも大きいので侯爵夫人マルキオニッサ子爵閣下ウィケコメスもどうしてよいかわからず、皇帝陛下インペラートルに御相談もうしあげたところ、皇帝陛下インペラートルもご興味をお示しになられたのだそうです。」


「そうでしょうとも。

 ですが、伯爵閣下コメス皇帝陛下インペラートルに御相談申し上げる前に、こちらに一言あってもよかったのではないかと残念がっておいででした。」


 エーベルハルトの笑みはそのままだったが、大グナエウシアの方はその一言に愛想笑いを強張こわばらせてしまう。

 降臨の報告が皇帝にはあったのに、アルビオンニア属州代表の立場であるはずのオットマー・フォン・キルシュネライト伯爵には届いていない……それは伯爵家に対しても元老院に対しても顔に泥を塗ったようなものである。大グナエウシアとは直接関係のないことではあるが、今の大グナエウシアは好むと好まざるとにかかわらずアルビオンニアの、そしてアルトリウシアの代表としての立場にある以上、自分は関係ないと突っぱねることなど出来なかった。


「それは……不徳の致すところです。

 決して伯爵閣下コメスを軽んじたわけではないと思うのですが……」

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