第476話 ウインド・エレメンタル

統一歴九十九年五月五日、夕 - マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子は焦っていた。他でもない降臨者リュウイチが使い魔を使ってアルビオンニウムに到着しているはずのルクレティアの様子を確認することになってしまったからだ。

 せっかく一度はリュウイチを安心させたというのに、リュウイチを落ち着かせて余計な事をさせないようにしなければならない筈のリュキスカが、何故か勝手に舞い上がってリュウイチを煽ってしまったのだ。


 自分の役目も忘れて何をやってるんだコイツリュキスカは…


 アルトリウスは内心で毒づいたがもう遅い。ここはせめて次善の策を施さねばなるまい。なるべく目立たない使い魔を選び、発生しうる影響を最小限に抑えるのだ。


「で、では、何をお使いになられますか?

 不測の事態が生じる可能性はなるべく抑えていただきたく存じますが…」


 リュウイチがやろうとしていることにブレーキをかけねばならない…それはともすれば《暗黒騎士リュウイチ》の機嫌を損ねてしまう危険性がある。それで却って暴走を招いては元も子もない。

 アルトリウスはリュウイチの機嫌を損ねないように愛想笑いを浮かべたが、その笑みはどうにも引きつっており、贔屓目ひいきめに見ても苦笑い以上の物ではなかった。


『あ…そ、そうですね…となると、なるべく知能の高いヤツが良いですよね。』


 とは言ってもどのモンスターにどの程度の知能があるか、どの程度言うことを聞かせることができるかリュウイチには分からない。瞼の裏に浮かぶリストには名前と基本的なステータスと簡単なフレグランス・テキストが表示されているだけだ。


『今のところ実績があるのは精霊エレメンタルか…

 サモン・ウインド・エレメンタル』


 リュウイチは《風の精霊ウインド・エレメンタル》を選んだ。精霊は過去に何度か召喚したことがあるが、今までのところ会話も出来ていたし人間程度の知能は期待できそうだった。《風の精霊》ならば実体が無いし、《火の精霊ファイア・エレメンタル》のように光を発するわけでもないから人目に付かずに行動できるだろうと思えた。

 リュウイチたちがいる小食堂トリクリニウム・ミヌスの中につむじ風が巻き起こり、それが一瞬で小さくなって円卓メンサの上あたりに極限した。部屋全体ではもうほとんど空気の流れを感じないが、しかし円卓より少し上の空中に非常に小さな、だが強力なつむじ風が巻き続けている。目を凝らしてみると、そのつむじ風の中に透明な小人の姿がうっすらと見える…それがリュウイチとアルトリウス以外は初めて見る《風の精霊》の姿だった。いや、アルトリウスも以前、リュウイチが召喚する様子を見たことがあるだけで、その時は距離があったため見えていたわけではなかった。不自然な風が吹いていたのを記憶していたに過ぎない。間近で見たのはアルトリウスも初めてだった。


『お呼びですか、主よ?』


 《風の精霊》は例によってリュウイチにだけ念話で話しかけた。他の者たちは《風の精霊》が何か話したことにすら気づけず、ただ部屋の中心で渦巻く不思議なつむじ風を唖然として見守るだけだった。


『ああ…えっと、ちょっと相談したいことがあってね。』


 ここへきてリュウイチ以外の者は、どうやら《風の精霊》がリュウイチにだけ話しかけているらしい事に気が付いた。

 精霊というのは皆そういうものなのだろうか?アルビオン海峡の《水の精霊ウォーター・エレメンタル》アルビオーネは最初からあの場にいた全員にも念話で話しかけていたが、アルビオーネは例外なのだろうか?


『相談ですか?』


『うん、実はここから東、山を越えた…えーっと…ライムント地方だっけ?

 アルビオンニウムっていう廃墟になった都市があるんだが、そこにルクレティアという女の子が行ってるんだ。で、その近くで大規模な盗賊が発生しているらしくて、その子の身に危険が及ぼうとしているらしい。

 一応、ルクレティアを護るために護衛が付けられているんだが、念のためにルクレティアが無事かどうか様子を見てきてほしいんだ。』


『私に?』


『うん、《風の精霊》なら人の目に付かずにどこまでも飛んでいけるんじゃないかと期待したんだけど…』


 ブワッ…ブワッ…と、つむじ風が強くなったり弱くなったりを繰り返し、円卓の上をフラフラと揺れる。


『行けと言われても私も主様から魔力を受け取らねばならぬ身…主様からそれほど遠く離れることはできかねます。』


『そ、そうなのか?』


 リュウイチは意外な制約があるらしいことに驚いた。


『何か主様との繋がりを維持するためのしろとなる物でもあれば別でしょうが、あったとしてもそれを現地に持って行かねばなりませんねぇ』


『ああ…』


 リュウイチはここへきてルクレティアに渡した『地の指輪』リング・オブ・アースの事を思い出した。

 リュウイチ自身は『地の指輪』をルクレティアが地属性の魔法を使えるようにするための魔道具マジック・アイテムとして装備させたつもりだった。ルクレティアは元々 《地の精霊》との相性が良いというような話を聞いていたし、ルクレティアが聖女として魔法を使えるようになるなら地属性の魔法が良いだろう。ならば地属性魔法を使うのをサポートさせるのと、ルクレティアの護衛のために《地の精霊》を指輪に宿らせて与えれば都合がいいじゃないか。

 そしてリュウイチは《地の精霊》を召喚し、『地の指輪』に宿らせてルクレティアに与えた。これによりリュウイチは《地の精霊》と召喚主であるリュウイチとの繋がりは切れて、《地の精霊》は指輪の宿った独立した存在として、指輪の持ち主であるルクレティアのものになると勝手に思い込んでいた。が、そうではなかった。

 どうやら《地の精霊》はリュウイチに繋がったままで、『地の指輪』は《地の精霊》が遠隔地に行くための依り代として機能しているようだ。


 だからルクレティアの『魔力共有の指輪』リング・オブ・マナ・シェアリングを介さずに《地の精霊》から直接魔力が抜かれるのか…


 ポカンと口を開けて間抜け面を晒すリュウイチに《風の精霊》が軽やかな調子で助言する。


『使い魔を使って様子を見に行かせるか、御自身が直接行かれる方が良いでしょう。確実なのは主様が直接行かれる方だと思いますが?』


 リュウイチはハッと我に返った。


『いや、自分で行くわけにはいかないんだ。

 私はここに留まらなきゃいけない。』


 リュウイチの言葉にアルトリウスとリュキスカが一瞬ビクッとする。


『じゃあ使い魔を使うしかありませんね。

 しかし、使い魔はそのルクレティアなる女の子を知らないでしょう?』


『ああ、それは大丈夫だ。

 ルクレティアには魔道具を身につけさせていて、私が召喚した《地の精霊》がついてるから、多分すぐに見つかるんじゃないかと…思うんだけど…できるよね?』


 円卓の上でフワフワと揺れていたつむじ風がピタッと止まった。


『《地の精霊》ですか?』


『え!?…う、うん…あれ、離れていたところにいるゴブリンとか軍勢とか探せていたくらいだから、《地の精霊》を探すくらいできるんじゃないの?』


 リュウイチがヘルマンニたちの船に乗ってアルトリウシアへ来る途中、《風の精霊》はハン族の『バランベル』号をいち早く見つけていた。そしてゴブリンが乗ってるだの、こっちを攻撃するつもりだだのと面白がって伝えてきたのだ。

 ゴブリンが見つけられるんだから、もっと強力な魔力を持った《地の精霊》ならもっと簡単に見つけられるんじゃないか?…リュウイチのその疑問はもっともなように思える。

 しかし、リュウイチの疑問に対する《風の精霊》の答えは全く予想外のモノだった。


『《地の精霊》がいるなら《地の精霊》に直接訊けばよいのではありませんか?』

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