第835話 エーベルハルトの報告

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ キルシュネライト伯爵邸/レーマ



 皇帝インペラートルマメルクス・インペラートル・カエサル・アウグストゥス・クレメンティウス・ミノールの召喚により『黄金宮』ドムス・アウレア参内さんだいしたというアルトリウシア子爵令嬢グナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨルから宮殿での話を聞いたエーベルハルト・キュッテルの報告は、キルシュネライト伯爵父子にとってまったく予想を超えたものだった。

 元々、彼らは降臨について市中に流れる噂話という形で第一報を受け取った。当初は何ということもない馬鹿話として受け止めはしたものの、彼らも一応元老院セナートスではアルビオンニア属州の代表者という位置づけで活動している元老院議員セナートルである。何の意図があって流された噂かはわからないが、アルビオンニア属州が関わっている以上はそこにどのような背景があるか調べないわけにはいかない。

 守旧派議員グループがその日の午前中に意図的に流し始めた噂の調査をその日の午後には始めていたのだから、伯爵家の対応の早さはかなりのものだったと評価して良いだろう。もっともそれはオットマーの危機管理能力の高さと言うよりは、社交の場において武器にも燃料にもなる噂話ゴシップのネタはいち早く収集しておきたいという貴族ノビリタスらしい要求によるものだったが‥‥‥。


 とまれ、一体全体どこの物好きがどんな理由でそのような馬鹿げた噂話を流しているのかと配下の者たちに探らせてはみたものの、たかが半日ではさすがに噂の背景も発生源も一切特定することはできなかった。噂されることが一部なりとも真実であるならば一大事ではあるが、事が事だけにあまりにも信憑性しんぴょうせいとぼしいうえに、詳細を告げる続報もない。

 実を言うと噂の拡散に最も貢献してしまったのはキルシュネライト家だった。噂を流し始めた張本人である某守旧派議員はしっぽを掴まれるのを恐れたため、被保護民クリエンテスたちに噂を流させるのを最初の数時間だけに絞っていたのだが、その後キルシュネライト家の家臣たちが方々で聞き取り調査を行ったために却って噂が拡散しつづけていたのだ。自分で広めてしまっている噂の後を追いかけたところで、それは子犬が自分で自分のしっぽを追い続けているようなものなのだから、その正体にたどり着けるわけもなかったのである。

 事の真相はともかく、結果的に噂を流した張本人を特定できなかったことから、おおかた誰かが酒でも飲みながらしていた馬鹿話を誰かが勘違いして尾ひれをつけて広めたんだろう。まあ半日やそこらでは調べたところで知れることなど限られたものだ。明日にはより詳しいことがわかるだろうし、どうせ一週間もすればおのずと事の真相も明らかになり、そのしょうもないオチに苦笑いする羽目になるだろう。

 オットマー・フォン・キルシュネライト伯爵もその長男ヴェルナー・フォン・キルシュネライト伯爵公子もその程度に考え、その日はそれぞれの予定通りに社交へと出かけて行ってしまった。もしもアルトリウシア子爵邸の使いの者がもう少しばかり早ければ、オットマーもヴェルナーも予定を中断して子爵邸へ駆け付けたかもしれなかったが、アルトリウシア子爵邸から大グナエウシアグナエウシア・マイヨルが『黄金宮』へ参内するよう皇帝から直々に御召がかかったがどうしたらよいかと問い合わせる使者が来たのは、彼らが懇意こんいにしている他の貴族の屋敷ドムスへ出かけて行った後のことだった。翌日、伯爵邸を訪れてそのことを知ったエーベルハルトが失望を隠しきれなかったのは言うまでもあるまい。


 一応上級貴族パトリキとはいえ、未成年の令嬢が単独で指名されて参内するなど滅多にあることではない。すっかり気持ちよく酩酊めいていした状態で帰宅してから家人に大グナエウシアが召喚されたことを聞かされたオットマーは一発で酔いから醒めてしまった。

 享楽の園でこの世の春をたのしみつくしたオットマーはその夢のような余韻から突然現実の世界に引き戻された思いだっが、それはあまりにも遅かったと言わざるを得ない。既に真夜中では何もできず、現に慌てて子爵邸へ使いの者を走らせたが「子爵令嬢ウィケコメス・フィリアは明日の参内に備えて既に御就寝であらせられます。」と門前払いを食らってしまった。


 なんだ、いったい何が起こっている!?

 アルトリウシア子爵令嬢が何で『黄金宮』へ名指しで召喚されるんだ!?


 キルシュネライト伯爵家にとって事態はまったく理解不能だった。

 貴族が何かをする際はそれなりに事前に根回しがあるものである。大グナエウシアが召喚されるのであれば、大グナエウシアはアルビオンニア属州の領主貴族パトリキの令嬢なのだから、キルシュネライト伯爵家に何らかの根回しがあってしかるべきだった。ところが今回、そのようなものは全くなかった。完全に寝耳に水の事態である。


 ひょっとしてあの降臨の噂が関係してるのか!?


 だとすれば余計にキルシュネライト伯爵家へ何らかの打診が無ければおかしい。大グナエウシアは確かにアルビオンニア属州の上級貴族だが、未成年な上に女性である。しかも公女ですらないのだから、領主の代理としてふるまう資格もなければ、領主の代わりに何事かを要求される責任も無いはずだ。アルビオンニアで起きた出来事について説明なり相談なりするために召し出されたというのなら、大グナエウシアよりオットマーの方が立場的には間違いなく適しているはずなのである。


 アルビオンニア属州からのエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人とルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵の連名による報告書が届いたのは、大グナエウシアが『黄金宮』へ参内しているであろうその時であった。

 そこには降臨の噂が事実であることが示されていた。


 アルビオンニアで降臨があったというのならオットマーとしては無関心ではいられない。彼はアルビオンニア属州の代表者であり、元老院や社交界において浴びせられるであろう質問の数々に応える責任があり、そのうえでアルビオンニアの利益を追求しなければならないのだ。オットマーはアルビオンニア属州に関しては帝都レーマにおける第一人者であり、そして第一人者であらねばならない。

 早速、各方面へ遣いを走らせて情報収集等に当たらせ、そのうちの一人が大グナエウシアを訪ねたエーベルハルトだったわけだが、事態は誰もが認識していたものより遥かにずっと先へ進んでいたらしい。


「すると、もうムセイオンは動いているというのか……?」


 唖然と……という表現がもっとも適しているであろう、ともすればだらしない表情を露わに、オットマーは溢した。


 降臨の噂が流れ始めたのが一昨日……つまりレーマに降臨の第一報がもたらされてわずか二~三日しか経っていないはずである。オットマーのところへアルビオンニアからの手紙が届いたのが昨日なのだ。レーマからムセイオンまでだいたい一か月半、手紙だけならもっと早いが軍の早馬タベラーリウスを使っても半月はかかるはず……その距離を考えればムセイオンへ連絡が行って、ムセイオンからレーマへ使節団が送り込まれるまで二~三か月はかかる計算だ。降臨者の元へ向かう派遣団はレーマを経てから約三か月をかけてアルビオンニアへ行くことになるはずだから、降臨者とムセイオンの代表者が直接接するのはどれだけ早く見積もっても半年後……その半年の猶予でもって出来得る限りのことを成さねばならない。……そのはずだった。

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