第1086話 ルクレティアの協力

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 マルクスはグッと悔しそうに歯を食いしばり、フーっと長い溜息をついた。確かに、ゴティクスの主張に非は無い。本来、降臨者リュウイチにはその力を不用意に使わせないようにしなければならないのだ。ならば《地の精霊アース・エレメンタル》の力とて同じはず。リュウイチが自らに仕える聖女サクラを守るために《地の精霊》を使うのは例外にすぎず、たまたま《地の精霊》の目的と合致していたがために、その恩恵にあずかれていたに過ぎない。仮に意図して恩恵にあずかっていたとしたなら、むしろ大問題になっていた事だろう。

 冷静に考えればその通りなのだが、肝心なところを見落としていたとはいえ、それをアテにしきっていた身からするとそう簡単に諦めきれるものでもない。《地の精霊》がいとも簡単に力を貸してくれるから、てっきりそれを当たり前のように勘違いしていた……その非はたしかにマルクスの側にあるだろう。だが、そのようにも責められてしかるべきではないのか!?


 ずるい……


 マルクスの胸中に渦巻く感情を一言で表すならそれだった。彼らは《地の精霊》の加護に縋るだけ縋っておいて、自分たちは同じ敵を相手にしているにもかかわらず頼ることすら許されない。不合理と言えば不合理、理不尽と言えば理不尽、マルクスの立場に立てばそう思えなくもないのかもしれない。


「な、ならば……ならば『勇者団』ブレーブスの追撃へも同様に御対応いただいてもよいではありませんか!」


「ですから、アルトリウシア軍団われわれに投入可能な戦力はすべて投入すると申しております。

 ルクレティアスパルタカシア様や《地の精霊アース・エレメンタル》様の御力は、我々が好き勝手に利用して良いものではないではありませんか。」


 さすがに同席する貴族たちはしつこく食い下がるマルクスに引き始めていた。一応、彼はサウマンディア側の代表者でありプブリウスの寄こした使者である。その発言についてどうこうすることはアルビオンニア側の貴族たちには出来ない。何とかサウマンディア側の方で彼を制止してくれないかと期待する視線が同席するバルビヌスらへ向けられ始めるが、バルビヌスとしてもここで下手に介入するとまたぞろ自分の部隊が対『勇者団』に投入されることになりかねず、手をこまねいていた。


ルクレティアスパルタカシア様をそうまでして急いで御帰還いただかねばならんものなのですか!?

 あとほんの数日、せめて我が第一大隊コホルス・プリマがアルビオンニウムから到着するまで……」


 追いすがるマルクスに対し、ゴティクスに代わって今度はアルトリウスが再び説得を試みる。


「先ほども申しましたように、今現在アルビオンニウムに展開中の貴軍第一大隊コホルス・プリマグナエウス砦ブルグス・グナエイに到着するのに、どれだけ早くても五日はかかるでしょう。今はもう午後ですから実質六日後と言ったところです。

 六日も待っていたら五月も後半、いつ雪が降り始めてもおかしくありません。

 グナエウス峠よりこちら側は一度雪が降り始めれば春まで通れなくなります。

 ルクレティアスパルタカシア様の安全を第一に考えねばならぬ以上、御帰りを引き延ばすことはできません。」


「では捕虜が奪還されても良いというのですか!?」


 マルクスは両手をテーブルに突いて身を乗り出した。


「仲間が捕虜として囚われているからこそ、『勇者団』ブレーブスは降臨よりも捕虜奪還を優先させているのです。だからこそ我々も彼らに対応も出来ている。

 ですがその捕虜を奪還されれば、『勇者団』ブレーブスはここらに留まる理由が無くなる。今度は他所で降臨を引き起こそうとするかもしれない!

 我々の手の届かない所へ逃れられれば、降臨を阻止できなくなります!」


 アルトリウスらは再び閉口した。それを言われるとマルクスの要求を突っぱねることも出来なくなる。


「次なる降臨の阻止は大協約の至上命題の筈!!

 『勇者団』ブレーブスが降臨を引き起こそうとしている以上、その対処はこの世界ヴァーチャリアの全貴族にとっての義務です!

 ルクレティアスパルタカシア様がいくらリュウイチ様の聖女サクラになられたとはいえ、その責務から逃れることが出来るとは思いません!」


 既に降臨してしまった降臨者への対応、これから引き起こされる降臨の阻止……どちらも大協約によってこの世界の全ての貴族が、為政者が、軍人たちが、優先的に対処しなければならないことが定められている。だが、そのどちらを優先すべきかは明確ではなかった。そもそも降臨はそんなに頻繁に起きるものではないのだから、降臨に次いで次の降臨の危機が迫るなどというような今の状況など誰も想定していなかったのだ。

 聖貴族であるルクレティアにも確かに次なる降臨を阻止する責務はあるだろう。だが彼女には既に降臨してしまったリュウイチの身の回りの世話をするという、聖女として決しておろそかにしてはならない役目もあった。まして、リュキスカが聖女としての役割を果たせなくなっている今、リュウイチの世話を焼ける聖女はルクレティア一人なのである。


 参ったな……マルクスウァレリウス・カストゥス殿がここまで強硬に出てくるとは思ってもみなかった。

 今更、《レアル》恩寵おんちょう独占禁止を持ち出したところでマルクスウァレリウス・カストゥス殿は納得すまい。既に我々だけが恩寵に浴していると思っているようだし……

 くそっ、ルクレティアには明日にでも戻ってきてもらうつもりだったのに……このままではルクレティアは本当に春まで帰ってこれなくなりかねないぞ。


 アルトリウスは反論にあぐね、救いを求めるように同席の貴族たちの顔を見渡した。ゴティクスですら「これは・・・」と困った様な様子で口元を歪めている。


「あ~~、ウホンッ」


 わざとらしい咳払いで沈黙を破ったのはルキウスだった。

 ルキウスは肘掛けに肘を置きながら両手を腹の前で合わせ、左右の親指でまるで目に見えない糸でも巻き取るかのようにグルグルと動かしつつ、視線はどことも知れぬ天井のどこかを彷徨さまよわせながら、記憶の中にある詩文でも唱えるかのように語り始める。


マルクスウァレリウス・カストゥス殿、サウマンディア側の要求はよく理解しました。」


 何人かの貴族たちはその言葉にギョッとした様子でルキウスに注目する。


「ですが、先ほどウチのが申しておりましたように、ルクレティアスパルタカシア様は既にリュウイチ様に仕える聖女サクラであって我々の領袖にはありません。」


 今度はマルクスが表情を険しくしてルキウスを睨み上げた。この態度は外交官としては完全な勇み足だが、ルキウスはそれに気づかぬ様子で相変わらず天井に視線を泳がせながら続けた。


「つまり、我々にはルクレティアスパルタカシア様に対し、ああせよこうせよと指示することなど出来ぬのですよ。」


 そこまで続けるとルキウスは目だけを動かして視線をマルクスへと向けた。ルキウスを睨んでいたマルクスはギョッと驚いたかのように思わず視線を逸らす。


ルクレティアスパルタカシア様に一日でも早くお戻りいただくというのは我々の方針ではありますが、しかしルクレティアスパルタカシア様御本人がその方針に従ってくださるかどうかは彼女の意思次第です。

 お分かりかな?」


 マルクスはテーブルの上に視線を泳がせていたが、ルキウスのその一言にハッとなる。同時にアルトリウスを始め何人かのアルビオンニア側貴族らは慌てた様子でルキウスの顔を見た。


 ここでルクレティアに下駄を預けてしまうのか!?


「おそらく、ルクレティアスパルタカシア様御本人は我々の要望ではなく、よりリュウイチ様の御意に沿うことを御選びになられるでしょう。

 我々はリュウイチ様の御意を予想し、なるべくそれに沿うようにとおもんぱかった上でルクレティアスパルタカシア様には一日でも早くお戻りいただいた方が良いと、判断してはおりますがね。」


 ヒントを貰ったマルクスは今度は顔に喜色を浮かべてルキウスを見上げた。


「つまり、私はまずリュウイチ様の御判断を仰ぐべきだったと、そう言うことですな!?」


 そう、順序が逆だ。ルクレティアはアルトリウスらの指揮下で行動しているわけではない。そもそも、ルクレティアが自らの意思でアルビオンニウムへ向かったのであり、アルトリウシア軍団はその護衛をしていてたまたま『勇者団』の騒動に巻き込まれたに過ぎないのだ。そのルクレティアはリュウイチの聖女……言ってしまえばなのだから、その行動をどうにかしたければ本人か、あるいは主人であるリュウイチに先に話を通すべきだったのだ。そしてマルクスらはこの後、リュウイチに謁見することになっている。この場で騒いだところで意味はない。

 ルキウスはようやく落ち着きを見せたマルクスに対し、どこか諧謔かいぎゃくを感じさせるような笑みを浮かべながら顔を横に振った。


「おっと、勘違いをなされては困りますぞ?

 リュウイチ様に力を借りるようなお願いをなされては、明確に大協約に反することになるのですからな。」

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