第1087話 見逃していた機会

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 会議は結局、今日唐突に持ち込まれた案件……すなわち『勇者団』ブレーブスの対応とリュウイチの相談の件については実質的には何も決まらないまま終わった。ペイトウィン・ホエールキング二世をはじめとする『勇者団』捕虜の扱いは最初からカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子の管轄下に収まっていて今更こちらで云々するようなことでもなかったし、今後ルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアにどうして貰うべきかは会議の出席者たちが決めてよいようなことでもなかった。既に降臨者リュウイチに捧げられた聖女サクラとなった彼女の行動について何事かを決めることが出来るのは、彼女の主人となったリュウイチだけなのだ。そして新たな聖貴族コンセクラートゥスとなったリュキスカの子フェリキシムスについても、そのとされた《風の精霊ウインド・エレメンタル》についても、出席者たちは何も言えない。彼らは魔力についても精霊エレメンタルについても専門的な知見など持ち合わせてはいなかったからだ。

 結局、リュウイチがいなければ決めようのない事柄が結論を出せないまま残ったことになる。あの会議は明日リュウイチに報告する内容について決めるためのものなのだからリュウイチが参加しないのは当たり前だったし、リュウイチがいなければ決められないような事柄について議論し、結論を下すような場でもないのだから、リュウイチがいない場で結論が出せないのは当然だっただろう。

 しかし、当事者という者はそういった本質的な部分については案外気づかないものである。実際、彼らがそのことに気づいたのは会議が終わった後だった。答えの出ない話をあーでもないこーでもないと捏ね繰り回し、結局頭と心を疲れさせるだけ疲れさせて、時間も来たことですし保留にしましょうと誰かが救いの手を差し伸べたことで参加者たちはようやく解放されたのだった。


養父上ちちうえ!」


 会議から解放された貴族たちは大会議室を出ると一旦休憩とのために別室へ向かう。その途上、ルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵は甥で養子のアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子に呼び止められた。


「アルトリウスか……」


「少し、お時間をよろしいでしょうか?」


 ルキウスは従兵に用意させた車椅子に乗っていたのだが、アルトリウスにそう言われると抱え込むように持っていた杖を手に取り、背後で車椅子を押していた従兵に見えるように振って見せた。従兵はそれを見ると車椅子から手を放し、一歩下がってお辞儀する。アルトリウスはルキウスの後ろに回り込むと、そのまま従兵に代わって車椅子を押し始めた。


「今日は、何やら随分急いでおったようだな。」


 車椅子が動き始めると、ルキウスは再び杖を両手で抱え込むようにし、視線は何を見るでもなく前へ向けたまま背後のアルトリウスへ語り掛ける。


「余裕が無いのは否定しません。急いでいたのは確かです。

 しかし養父上ちちうえ、どういうつもりです?」


 アルトリウスの声は本人が言うようにいつものような余裕がなく、どこかなじるような響きがあった。


「どうとは?」


「ルクレティアの事です。

 彼女には一日でも早く戻ってきてもらわねばなりませんというのに……」


「ふーむ……」


 ルキウスは何か苛立ちでも抑え込むかのように、手で持っていた杖で自らの額をコツンコツンと軽く叩き始める。


養父上ちちうえ?」


「いや」


 アルトリウスに呼ばれて我に返ったルキウスは額を叩くのを止め、杖を降ろして抱え込むと背後のアルトリウスと会話しやすいように頭を少し上げた。


「お前こそ、今日はどういう方向へ話を持っていくつもりだったのだ?」


「どうと言われましても……ルクレティアの一日でも早い早期帰還を……」


 そこまで話したところで二人はルキウスにあてがわれていた控室へたどり着いた。入り口に立っていた従兵にアイコンタクトで扉を開けるように命じ、中へ入る。ルキウスの妻、アンティスティアは居なかった。エルネスティーネの娘たちと別室で一緒に過ごしていたからだった。


「それだけか?」


「それだけですが?」


 ルキウスはウーンと小さく唸りながら俯き、額を揉んだ。


「予定を変更してリュウイチ様の御時間を御用意申し上げたのは?」


「それはもちろん、ルクレティアの早期帰還を認めさせる説得材料として……」


 車椅子から手を放し、話しながらルキウスの前へ回り込んだアルトリウスはそこで言葉を切った。気づけば俯いていたルキウスが顔をあげてアルトリウスの方を向いていたのだが、その顔には失望に染まっていた。


「フェリキシムス様が魔力を持ち、《風の精霊ウインド・エレメンタル》様をに付けたという話を、ルクレティアの帰還を認めさせる材料にするつもりだったというのか?」


 アルトリウスは目をパチクリさせた。ルキウスが何にそんなにガッカリしているのか想像も出来なかったからだ。


「ルクレティアが留守の間、リュキスカ様は着実に聖女サクラとして力を増し続けています。

 彼女の赤ん坊、フェリキシムス様が魔力を得たことでも明らかでしょう?

 このままルクレティアの帰還が遅れれば二人の差は広がる一方になってしまうでしょう。

 出自の不確かなリュキスカ様ばかりがこのまま力を得ていくのを、貴族ノビリタスは歓迎いたしますまい!?」


「ア~~~~……」


 ルキウスが小さく嘆きの声を漏らすと、アルトリウスはどうやら自分が失敗したらしいことを悟った。顔を歪め、フゥ~と鼻を鳴らしながら前傾させていた身を起こす。


「私は何か失敗していましたか?」


 その態度にルキウスは自分がまた養子に期待しすぎていたことに気づき、ペシッと額を叩く。


「私はてっきり秘密を教える範囲を広げたいのかと思ったのだ。

 おそらく、他の貴族たちも同じように考えてただろう。」


「秘密を!?」


「そうだ。

 そしてリュキスカ様に謁見できる人物の制限を緩和する。

 多分、みんな賛成しただろうな。」


 そんなこと考えても見なかったアルトリウスはルキウスが何を言っているのか理解できず、眉間にシワを寄せて周囲に視線をしばしの間泳がせた。が、相変わらず分からない。貴族としての立ち居振る舞いが全く身についていない元・娼婦の女を貴族たちと会わせたところで何かいいことがあるように思えない。むしろ会った相手会った相手全員を不愉快な想いをさせ、リュキスカの評判を貶めるだけではないか? まさか既にリュウイチという決まった相手がいる娼婦に貴族相手のをさせようというわけでもあるまい。


「そ、それは……何のために?」


「何のために?

 そりゃ御乳をもらうためさ!」


「御乳を!?」


 ルキウスは「まだ分からんか」とばかりにもう一度溜息をつくと、情けない様子のハーフコボルト青年を見上げた。


「考えても見ろ、フェリキシムス様は血筋も定かならぬ貧民パウペルの子ぞ!?

 それなのにリュキスカ様から御乳を貰い続け、半月かそこらで精霊エレメンタルを使役するほどの魔力を得たのだ。

 ならばリュキスカ様から御乳を分けて貰えば、我が子も聖貴族コンセクラートゥムになるのではないか!? ……あの場にいた貴族は皆そう考えただろうさ。

 私はてっきり、お前もアウルスに御乳を貰おうと狙っていたのではないかと思ったのだがな?」


 アルトリウスは話を聞いているうちにアッとばかりに眉をあげ目を剥き口を開け、その後一生の痛恨事と言わんばかりに顔を歪めて自らの額に手をやった。


「それは! ……まったく考えていませんでした。」


「そのようだな……」

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