第165話 謎の上客

統一歴九十九年四月十六日、晩 - 《陶片》満月亭/アルトリウシア



 店内は光に満ちていた。

 いちピルム(約百八十五センチ)ごとに立っているすべての柱に据え付けられた壁掛けランプは上質な植物油を燃やしながら穏やかな光を放っている。ランプの炎は風で消えたりしないよう紙で覆われていたが、使われているのは分厚い安物の紙ではなく薄絹のような高級紙であり、しかも火の背面・・・つまり壁側には真鍮製の反射板が取り付けられていて火の灯りをより強いものにしてくれている。反射板は上部が半円形の傘のように炎の上側に斜めにかかっていて、天井へ逃げる灯りの一部を床へ反射してもいた。


 真昼のような・・・店を初めて訪れる者たちが口をそろえてそう形容するほどの明るさは店の自慢の一つであり誇りだった。

 これほどの明るさは貴族の酒宴コミッサーティオでも滅多にあるまい。この店では店内のどこへ行っても、人の顔が見えなくなることは無いのだ。

 もっとも、それはあくまでも食堂スペースとなっているフロアの話であって、貸出用の部屋や部屋へ通じる廊下や階段、トイレや厨房などの裏方となると話は別だ。そこまでこの明るさを期待するのは愚かと言っていいだろう。


 ともかく、この明るさの中で夜を過ごす・・・それだけでもこの世界ヴァーチャリアでは大変な贅沢だった。酒場とは庶民にとっての王宮なのである。


 しかし、その贅沢な光を享受する客はさほど多くなかった。

 先週のハン支援軍アウクシリア・ハン叛乱事件以来の不景気真っただ中の店内には、客はいつもの半分も来ておらず、今も客席は三分の一ほどしか埋まっていない。その顔触れは地元客ばかりだ。

 店の売り上げは採算ラインぎりぎりと言ったところで、経営者としてはもう無駄な灯りは消したいくらいだったが、さすがにそういうわけにもいかない。水商売では見栄が大事なのだ。特にこういう「ひとときの贅沢」を売りにしている商売では、イメージが悪くなれば客は寄り付かなくなる。

 そこはギリギリのヤセ我慢の上に成り立っている虚栄の空間だった。



 そんな一見華やかながらもどこか物悲しい退廃的な雰囲気漂うこの店に、その客は突然音もなく現れた。

 もちろん客と言うのは突然現れるものだ。しかし、この店は通りに面した外側が木の床板を張ったテラスのようになっているため、客が入って来るときは必ず足音がする。だから、店の出入り口の扉が開けられる前に、誰かしら「あ、誰か入って来るな」と気づくものなのだが、今入ってきた客にはそうした前兆のようなものが全くなかったのだ。

 気づけば扉が開かれ、そこにいた・・・そんな感じだ。


 そしてその恰好・・・恐ろしく身なりが良い。

 何を使って染めればそんな色になるのか想像もできないような、夜目にも鮮やかな緑色のマントには無数の雨粒が丸い形を保ったまま張り付き、まるで細かく砕いたエメラルドを一面にまぶしたかのようにキラキラと輝きを放っている。

 その下の丈の短いトゥニカは眩しいくらいに真っ白に漂白され、まるで晴天の雪原のようにきらめいて見える。

 右肩からベルトでタスキ掛けに下げた恐ろしく細い片手剣のハンドガードは金色に輝き、グリップに巻かれた赤い布はまるでルビーのようだ。

 そして足に履いたブーツはツヤツヤに磨き抜かれ、皺もクスミも見られない。最高級の漆器のように滑らかな光を反射しており、泥ハネひとつついていない。


 何故か店中の視線が集中する事に戸惑ったその客は、微妙に気まずそうにマントの水を払うと、マントに張り付くように乗っていた水玉はコロコロと転がるように落ちていき、あっという間に水気が切れてしまった。

 いったい、どれほど高級なフェルトを使えばそこまで水弾きがよくなるというのだろうか?

 宝飾品の類は指輪くらいしか付けていないようだったが、そこらの下級貴族ノビレスなんか太刀打ちできない程の御大尽おだいじんであることに疑いようがない。



「い、いらっしゃ~い」


 その時、フロアにいた唯一のヒト種の娼婦リュキスカが声をかけたが、さすがに少し声が上ずっていた。


『ああ、少し遊んでいきたいんだけど・・・』


「「「!?」」」


 ラテン語じゃないのに意味が分かる!?

 これは、噂に聞く精霊エレメンタルの加護!?

 ということはこの客は相当上位の聖貴族!!!



「もちろん、かまやしないよ!?

 ここはだからね♪

 さあ、どうぞどうぞ、こちらへおいでなさいな。」


 店中に走る動揺を他所に、リュキスカは艶めかしく歩きながらリュウイチを一番良さそうな席へ案内した。


「さあ、どうぞ。この席が店で一番いい席さ。」


 一辺が半ピルム(約九十三センチ)の正三角形の卓面に三本の脚の生えたテーブルにはクロスもかけられていないが綺麗に片付けられてはいる。

 背もたれ付きの椅子を引いて客を座らせたリュキスカは渾身の営業スマイルを作って注文を訊いた。


「注文を聞こうじゃないか、何にする?」


 水もオシボリも無いんだなぁ・・・なんて思いながら店を見渡すが、どうもメニュー表のようなものは無いらしい。


『何があるかな?』


「んー、ここらで出される酒や料理なら何だって出せると思うけどねぇ・・・」


 リュキスカは考えるフリをしながら身体をくねらせてさりげなく客に肢体をアピールする。

 去年、子供を産んだばかりのリュキスカだったが、肌の透けたトゥニカ越しに見えるダンスで鍛えた十八の身体は、出るところは出て締まるところはギュッと締まっていて女性らしさが極端に強調された体形をしている。残念ながらこの世界ヴァーチャリアの男たちはデブ専が多数派なので娼婦としての人気はイマイチだったが、女神像にたとえて褒めてくれる男性客は決して少なく無かった。

 現に今目の前に座っている客もチラチラとリュキスカの肉体に目をやっているから、勝算はあるはずだ。


『んー・・・そうは言っても、ここらの料理ってのがわからないんだ。』


 ひょっとして、今サウマンディアから来てるっていうレーマの元老院議員セナートルか!?


「アタイもレーマとかには行った事ないんでねぇ。

 上級貴族パトリキ様がどんな料理を御存知かわかんないんだ。

 何か適当に見繕みつくろってみるかい?」


 またクイッと腰を回してしなを作ると、また客の目がリュキスカに引き寄せられた。


 よし!この客は太った女が好きなわけじゃないね。

 絶対ににしてやるよ!


『じゃあ、何か一番うまい酒と、軽く摘まめる物を・・・これで。』


 そう言って客は銀貨をテーブルに差し出した。


 デナリウス銀貨!?


 思わず目を疑ったリュキスカはそのまま客の顔を見る。客は客で「何?」とでも言いたげにリュキスカの目を見つめ返す。

 二、三秒それが続いて、間違いなくこの客は他の貨幣と間違えたんじゃなくてデナリウス銀貨を払ったんだと確信したリュキスカは、パッとひったくるように銀貨を取るとふたたび営業スマイルを作った。


「一番おいしいお酒と、軽く摘まめる物でいいのかい?」


『ああ、夕食はもう摂ってきたんだ。』


 夕食食べた後で酒のつまみにデナリウス銀貨使うなんて、普段どんな物を食べてるんだか常識を疑いたくなるところだったが、その疑問は置いといてリュキスカは大事な質問をする。


「チップもこの中から貰っていいのかい?」


『あ、ああ、そうか・・・』


 客はそう言うとどこからともなくデナリウス銀貨をもう一枚取り出した。


『はい、チップ。』


 リュキスカは信じられないものでも見たかのように驚きの表情を作り、息を鼻から大きく吸い込んだと思ったらパッと銀貨をひったくる。

 そして左右の手で銀貨を一枚ずつ持って頭よりちょっと上にあげると、ランプの光に照らしてそれが間違いなく本物のデナリウス銀貨であることを確かめた。


『えっと、あの・・・何か問題?』


 リュウイチが戸惑いの声をあげると、リュキスカは一枚ずつ銀貨を持った手を胸の前に持ってきて客の方へ向き直る。


「ホントにこんなに貰っていいのかい!?」


『あ?・・・ああ、もちろん。』


 リュキスカの顔から営業スマイルが消え、本物の半分とろけたような笑顔が浮かび上がる。


「やった!!」


 飛び上がって喜ぶと薄いトゥニカの下で、出産で膨らんだまま未だ縮んでいない豊満そのものと言っていい乳房が勢いよく跳ねる。


「まかせとくれよ!

 一番いい酒に一番いい料理を持ってくるからね♪」


 そう言うとリュキスカは満面の笑みのまま客に投げキッスをし、身体を艶めかしくくねらせながら厨房へ消えて行った。


『・・・・・すげぇな、モンロー・ウォークかよ。』

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