第735話 新たな難問の気配

統一歴九十九年五月九日、昼 ‐ ティトゥス要塞司令部プリンキピア・カストリ・ティティ/アルトリウシア



 エルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人は手元に置かれていた手紙をアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子へ差し出した。アルトリウスが小さな声で「拝見します」と言って受け取った羊皮紙には、既に解かれてはいるがクプファーハーフェン男爵家の紋章の蝋封が残っている。軽く一瞥いちべつしてそれを確認すると、アルトリウスはさっそく広げて目を走らせた。

 それによるとエルネスティーネが説明した通りで、レオナード・フォン・クプファーハーフェン男爵は体調を崩してはいたらしい。タイミング的にはエルネスティーネからの手紙を受け取った日にアドルファス司教がクプファーハーフェンに到着しており、そちらの対応で忙しくしていたようだ。そんな中でエルネスティーネの手紙を読んだわけだが、エルネスティーネの相談内容(降臨のことと思われる)について秘匿したままアドルファス司教の一行への対応をせねばならなくなり、またその後すぐに体調が急激に悪くなったこともあってこちらへの対応ができなかったとのことだった。


 フーッ……読み終えたアルトリウスは無言のままため息をつきつつ、手紙を丸める。


「どう思って?」


 アルトリウスから手紙を返してもらったエルネスティーネは、どこかうれうような表情を浮かべながらアルトリウスに尋ねる。


「どう、と申されましても……」


 大まかな事情は分かった。が、納得できるかというと難しい。

 こちらからの手紙がクプファーハーフェンに届くまで、そしてレオナードの手紙がこちらに届くまでそれぞれ五日ずつかかったとしても、間に二十日近くの時間があったはずだ。アドルファス司教が来ていたからと言って四六時中一緒にいたわけでもあるまいし、こちらに一通の手紙を書く時間すらなかったとは思えない。

 それにこちらへ直接来るつもりらしいが、何故日付やルートを全く書いてないのか……アルビオンニアでも最上級の上級貴族パトリキの一人が来航するとなれば、迎える側はそれなりの準備を整えなければならないのだ。まさかレオナードほどの人物がそれを理解していないとは思えない。


 困ったように苦笑いを浮かべるアルトリウスの反応はエルネスティーネの予想した通りだった。昨日、アルトリウスの養父ルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵やルクレティウス・スパルタカシウスにも手紙を持参して相談したのだが、二人ともやはり同じような反応を示していたからだ。


「昨日、子爵閣下にもお見せして相談したのですけど、あまり考えたくない状況を想定していらっしゃいましたわ。」


 エルネスティーネの嘆息するような声にアルトリウスはエルネスティーネに視線を向ける。


 レオナード・フォン・クプファーハーフェン男爵は貴族ノビリタスである。レーマ帝国の貴族制度の中では最下級の爵位とは言え、立派な領地持ちの領主貴族パトリキだ。南蛮から奪った土地を支配する初代領主ではあるが、元々侯爵家の生まれであるため成り上がり者の新興貴族というわけではない。貴族社会の何たるかについては人後に落ちはずがない。

 貴族とは……少なくともレーマ帝国において貴族は、何よりも名声によってその威光と権勢のいしずえとするものである。人に知られない、目立たない貴族などという者は存在しえないのだ。それはたとえ自前の領土を持つ領主貴族パトリキであろうと、唸るような財力を誇る大商人であろうと変わらない。何かにつけて世間の注目を集め、一挙手一投足さえも人々の噂になるほどの存在感を得て初めて貴族と言えるのである。

 であるからこそ、貴族は人目を忍ぶということを決して良しとはしない。下手に人目を忍んで隠れて何かをしようとすると、貴族の癖に何か人に言えないようなやましいことをコソコソとやっている……と悪い噂になって広まってしまい、それだけで貴族としての体面を傷つけてしまうほどなのだ。

 である以上、レオナードほどの上級貴族が他人の領土であるアルトリウシアへ赴くというのであれば、今回のように行程を不明瞭にすることなどあり得ない。むしろ予定をハッキリと示し、沿道に一行を見物しようと人が集まるくらいにせねばならない。


 にもかかわらず、今回の手紙には詳細が一切書かれていない。いつ、どこから来るのかヒントになるようなことさえ記していない。これはつまり、行程を意図的に隠そうとしていることに他ならなかった。

 そして貴族があえてそれをするとすれば、その理由は限られてくる。


「男爵閣下に、何か身の危険が及んでいる……ということですか?」


 アルトリウスの質問にエルネスティーネはアルトリウスの目をまっすぐ見つめ返したままコクリと頷いた。


「もちろん、断定できることではありませんわ。

 でも、そうなのではないかと……子爵閣下はお考えよ。」


 これまでエルネスティーネからの手紙に返事すら書かなかったというのも、本当に書けなかったということなのだろうか?

 ひょっとして、体調を崩していたというのも、実は毒を盛られていたということなのかもしれない。例えばカールのように……


 そこまで考え、エルネスティーネの方を見たままのアルトリウスの表情がスッと曇る。


 まさかアドルファス司教が関係している!?


 ここのところ、複数回にわたってカールに毒を盛っているのが教会の内部か、あるいは教会に近い人間らしいということは分っている。まだ特定には至っていないしその目的すら予想もついていなかったが、もし教会が組織的に関与しているとすれば、アドルファス司教がレオナードに毒を盛った可能性も否定できないのではないか?


 アルトリウスのその予想に気づいているかどうかわからないが、エルネスティーネは首を振る。


「これは、子爵閣下が想像を膨らませただけの話よ。

 根拠は何もないし、もしかしたら男爵はまだ体調が思わしくなくて、それでこんな手紙になってしまっただけなのかもしれないわ。」


 アルトリウスが予断や憶測で行動するほど軽率だとは思わないが、それでもエルネスティーネは釘を刺した。アルトリウスは一瞬、口をへの字にゆがめてから笑みを浮かべる。


「もちろんです、侯爵夫人。

 ですが、我がアルトリウシアは状況が状況ですから、男爵の警備には万全を期さねばなりません。」


 考えられるルートは二つしかない。クプファーハーフェンから陸路を進み、グナエウス街道を通って来るか、あるいは海路でアルトリウシア湾に入って来るかだ。

 海路ならまだ良いが、陸路を来られるとかなり面倒なことになる。グナエウス街道には今ダイアウルフが出没しているし、おまけにアルビオンニウムへ行っていたルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアもそちらから帰ってくるのだ。しかもカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子と捕虜になったムセイオンの聖貴族が同行している上、その聖貴族の奪還を目論む『勇者団』ブレーブスが追跡してきている公算が大きい。


 アルトリウスはこれからルクレティアにカエソー、そして捕虜になった聖貴族たちの安全を確保しなければならない。その相手はハン支援軍アウクシリア・ハンのダイアウルフ、そして『勇者団』ブレーブスと非常に厄介だ。

 そこにさらにレオナードと、レオナードの命を狙っているかもしれない謎の存在が加わることになる。


「ええ、今は貴方が頼りです子爵公子閣下。

 今、閣下がとても大変だとは理解しているのですけれど‥‥‥」


 そういうエルネスティーネの声も表情も憂いに満ちていた。

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