第734話 クプファーハーフェン男爵の渡来?

統一歴九十九年五月九日、昼 ‐ ティトゥス要塞司令部プリンキピア・カストリ・ティティ/アルトリウシア



「それで、御召おめしになられたご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 ティトゥス要塞カストルム・ティティの中心に在り、アルビオンニア侯爵家およびアルトリウシア子爵家、二家の領主およびその家臣たちが政務を執り行う政庁として使われている要塞司令部プリンキピアの二階の執務室タブリヌムを訪れたアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子は、自分を召喚したエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人とわずかばかりの世間話を切り上げ、さっそく本題へ移るよう催促する。


 本来ならばもう少しくらい世間話を続けてから自然と本題へ入っていくものなのだが、アルトリウスの方には残念ながらそのような余裕は無かったし、それはエルネスティーネが置かれた状況にしても大差は無かった。むしろ、二人は今現在運命共同体ともいえる間柄であり、お互いの協力なしには今彼らが抱えている危機を乗り越えることなど決してできはしない。したがって、エルネスティーネも特に気を悪くする風でもなく、アルトリウスの要請に素直に応じた。


「ええ、実は昨日、子爵公子閣下がマニウス要塞カストルム・マニへお帰りになられた後のことなのだけれど、クプファーハーフェン男爵から手紙が届きましたの。」


「クプファーハーフェン男爵から!?」


 レオナード・フォン・クプファーハーフェン男爵……エルネスティーネの亡父マクシミリアン・フォン・アルビオンニア侯爵の実弟であり、エルネスティーネの義弟にあたる領主貴族パトリキである。


 一昨年前、フライターク山噴火によりマクシミリアンを失った侯爵家では、まだ火山災害の混乱の最中であるにもかかわらず御家騒動が勃発した。マクシミリアンの跡取り息子であるカールがまだ幼かったうえに病弱であり、エルネスティーネはキルシュネライト伯爵家から嫁いできたとはいえ元々商家の出ということもあって、マクシミリアンの実弟レオナードに侯爵家を継がせるべきだという勢力が現れたのである。そしてその中心にいたのがクプファーハーフェンからアルビオンニウムへ乗り込んできていたレオナードの妻ブリギッタであり、ブリギッタは実家であるバーデン家を始めアルビオンニア侯爵家の出身母体であるハッセルバッハ家を巻き込んでの大騒動を起こそうと画策したのだ。

 夫マクシミリアンをうしなった直後なうえに火山災害はおさまりを見せず、混乱を極めていたエルネスティーネはほぼ孤立状態になってしまい、心身ともに限界まで衰弱していた彼女はもう何もかも諦めかけるところまで追いつめられてしまった。

 しかし、エルネスティーネの手紙によってエルネスティーネを援けるためにアルビオンニウムへ行ったはずの妻ブリギッタが暴走し、勝手に御家騒動を起こしたことを知ったレオナードは急遽アルビオンニウムへ急行、集まっていた親戚を前に自分は侯爵家を継ぐ気が無いことを宣言するとともにエルネスティーネの支援を表明した。反エルネスティーネ派は旗頭にしていたレオナードに相続拒否を宣言されてしまったことで梯子を外されてしまい、御家騒動はその時はそのまま立ち消えてしまっている。


 エルネスティーネの支持基盤はハッキリ言って弱い。エルネスティーネは商家にすぎないキュッテル家の生まれであり、上級貴族パトリキにふさわしくないと見る向きは根強く残っている。また、エルネスティーネの嫁入りによって侯爵家の御用商人の指名を受けた兄グスタフ・キュッテルは、御用商人になって以降アルビオンニアで急速に勢力を伸ばしており、その過程でアルビオンニアの貴族ノビリタスたちから反感も集めてしまっていた。アルビオンニア貴族からすると、エルネスティーネは侯爵家を乗っ取ろうとするキュッテル商会の手先にしか見えないのである。

 このため、キュッテル商会への反感がそのままエルネスティーネに対する反感にもなってしまっており、アルビオンニア貴族の間にはマクシミリアンが亡くなった以上、エルネスティーネは侯爵家から排除されるべきと考える貴族ノビリタスは少なくなかったのだ。


 そんなエルネスティーネが侯爵家を継ぐことができたのはひとえにレオナードの協力があればこそである。彼の支持が無ければ、エルネスティーネもいつ侯爵位を失うかわかったものではない。

 当然、先月のリュウイチの降臨やハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱を受け、エルネスティーネはレオナードに手紙を送って事態の報告と今後の相談をしていた。……が、何故かその返事はこれまで全く返ってきていなかったのだ。


 伝え聞く話ではどうやら体調を崩していたらしいとのことではあったが、レオナード本人はもちろん、その家臣からもまともな返事が返ってこないためクプファーハーフェンの状況はほとんど伝わってきていなかった。また、エルネスティーネにしても、ルキウスらアルトリウシア貴族たちにしても、多忙を極めていたためクプファーハーフェンで何が起こっているかを追求するだけの余裕もなかった。このためクプファーハーフェンとの連絡が事実上途絶してしまっていたのだが、そのレオナードからの手紙が昨日ようやく到着したのである。


「男爵はなんと?」


「詳しいことはぼかされててわからないのだけれど……やはり体調を崩しておられたみたいね。

 あと、アドルファス司教がクプファーハーフェンへ来ておられたらしくて、そのせいで動けなかったとかなんとか……」


「アドルファス司教が?」


 アドルファスはレーマ正教会のアルビオンニア属州の新任司教である。アルビオンニア属州の司教座はアルビオンニウムに置かれていたのだが、アルビオンニウムは火山災害を受けて放棄されてしまったので、新たな司教座を置く場所を決めるべく自ら属州内を巡幸していた。ズィルパーミナブルグへ行ったという話だったが、どうやらその後はクプファーハーフェンへ赴いていたらしい。


「リュウイチ様の御降臨について男爵には御相談していたのだけど、あくまでも内密にということにしていたから、司教様に知られないようにするために何もできなかったのかもしれないわ。」


 それにしたって手紙くらいは書けただろうに……腑に落ちぬところが多々あるエルネスティーネの説明にアルトリウスは眉をひそめる。


「ともあれ、男爵と話が通じたのは幸いでした。

 それで、男爵はなんとおっしゃっておられるのですか?

 まさかこれまで何もできなかったことの言い訳だけではないのでしょう?」


「ええ、こちらへ来るおつもりのようです。」


「アルトリウシアへ?

 それはいつですか!?」


 レオナードは爵位こそアルトリウシア子爵家に劣る男爵位だが、属州内における影響力から言えば侯爵位であるエルネスティーネをも上回る最重要人物である。そのような領主貴族パトリキがアルトリウシアへ来るとなればそれなりの準備を整えねばならない。


「それが書かれてないの。

 いつ、どこから来るのか、さっぱり……」

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