第967話 やって来たのは……

統一歴九十九年五月十日、未明 ‐ グナエウス街道第五中継基地スタティオ・クィンタ・ウィア・グナエウシイ前/西山地ヴェストリヒバーグ



「ティーフッ!!

 ティーフッ!俺だーっ!

 デファーグだぁ、デファーグ・エッジロードだぁーっ!!

 攻撃するなぁーーーっ!!」


 思わぬ窮地きゅうちに追い込まれ危機感を極限まで高めていたティフたちの耳に、思いもかけず聞き覚えのある声が届いた。


「デファーグだって!?」

「まさか!?」


 驚いたティフたちは思わず互いに顔を見合わせた。デファーグはスモルやペイトウィンと共にシュバルツゼーブルグに残ってアルトリウシア遠征の準備を手伝っている筈だ。こんなところに居るはずがない。


 ひょっとしてこれが罠だとしたら、アレは偽物!?

 そんなこと……あ!?


 もしレーマ側が用意した偽物だとしたら、レーマ側が『勇者団』こちらのメンバー構成を、デファーグ・エッジロード二世が含まれていることを把握しているということになる。そんなことはまず考えにくいのだが、『勇者団』ブレーブスは既にメークミー・サンドウィッチとナイス・ジェークという二人の捕虜を出していた。

 二人が口を割っていたとすれば『勇者団』に誰が居るのか、レーマ軍は把握しているだろう。だとすればレーマ軍が偽物を用意してくる可能性は否定できなくなる。ティフは舶刀カットラスの柄を握ったまま霧の向こうを睨み、キュッと唇を噛んだ。


「ティフ、偽物だと思うか?」


 相手がデファーグを名乗った瞬間から既に警戒を解いていたペトミーは、いまだに警戒を解かないティフに不安を覚え問いかける。しかし、ティフは身構えたまま動かなかった。騎馬集団のひづめの音とデファーグを名乗る男の呼び声はあいもかわらず徐々に近づいてきている。

 ペトミーは応えないティフからファドに視線を移す。ファドは内心では警戒を解きながらも、態勢だけは戦闘に備えたままだった。そのファドがペトミーの視線に気づき、しばし見つめ合った後で小さく低い声でジェットを呼んだ。


「ジェット!」


 その声に応え、どこからともなく黒妖犬ブラック・ドッグが現れる。姿を現したジェットはファドの横に並び、ファドの顔を見上げてアイコンタクトをとるとブフンッとクシャミをするように鼻を鳴らし、尻尾を揺らした。それを見てファドは構えを解いた。


「ブルーボール様、あのエッジロード様は本物のようです。」


 ファドがそう報告すると、ティフはチラリとファドを見、それから少し苛立たし気に顔をしかめたまま躊躇ためらいがちに戦闘態勢を解いた。


「なんでデファーグあいつが……」


 ティフはデファーグにはペイトウィンの御守り役を期待していた。

 シュバルツゼーブルグに残してきた仲間の内の三人のハーフエルフ……スモル・ソイボーイ、ペイトウィン・ホエールキング、そしてデファーグ・エッジロードのうちスモルとペイトウィンは以前から仲が良くない。スモルは『勇者団』のサブリーダーであり実質的な取りまとめ役を務めているが、何かに取り組み始めると周りが見えなくなって一直線に突っ走る傾向があった。そしてペイトウィンは元々周囲に対する態度が良くないのだが、特にスモルのそういう部分を“脳筋”と呼んで馬鹿にすることが多かったのだ。

 豊富な魔力で肉体を強化し、盾役として前衛に徹するスモルと豊富な魔力をすべて魔法に投じて後衛を極めようとするペイトウィンでは、そもそも志向が正反対だ。しかもどちらもがそれぞれの方向で高い実力を誇っている。志向の異なる者同士が反目し合うのは多少は仕方ないとはいえ、それが互いの実力を認め合っているからこそ融通が利かなくなっているのは皮肉と言えるかもしれない。

 ともあれそのスモルとペイトウィンの間をこれまで取り持っていたのはティフとペトミーだった。他のヒトのメンバーではハーフエルフ同士のいさかいに積極的に介入できないし、しようともしない。必然的にティフかペトミーが宥めるしかなかったのだが、そのティフとペトミーが共にスモルとペイトウィンを残して離れるのだから何か問題が発生した場合に誰も対処できなくなってしまう。そこでティフが着目していたのがデファーグだったのだ。

 デファーグもペイトウィンにとってはスモルと同様の“脳筋”だが、それでも『勇者団』に加入して日が浅いデファーグはペイトウィンとの間にまだ確執が無い。四方八方に敵を作ってしまう傾向にあるペイトウィンに対し、他のどのメンバーよりもニュートラルに接することのできる貴重なハーフエルフだ。そのことは前々からデファーグには話してあったのだが……


 おそらく何かあったであろうことは疑いようがない。そうでもなければ、わざわざシュバルツゼーブルグからこんなところまで来はしないだろう。しかし、それでもティフにとっては、そうした懸念以上にデファーグに期待を裏切られたという印象の方が強かった。……いや、それも今回の追跡行の失敗に対する不満を無意識のうちにデファーグへ転嫁しただけだったかもしれない。


「おーい、ティーフッ!!

 俺だー!デファーグ・エッジロードだぁ!!

 攻撃するなぁー!!」


 姿はまだ見えないが近づいて来るにつれて声はよりはっきり聞こえるようになってきている。ティフは小さく舌打ちするとファドに命じた。


「ファド、迎えに行ってやれ。

 それで声を抑えるように言ってこい。

 あれじゃレーマ軍に気づかれちまう。」


 彼らの背後にあるレーマ軍のグナエウス街道第五中継基地スタティオ・クィンタ・ウィア・グナエウシイはさほど離れていない。このままではデファーグの無思慮な大声がレーマ軍の中継基地ステーションにも届いてしまうだろう。ファドは「ハッ」と短く返事をすると、脇に居たジェットの背中にヒョイと飛び乗り霧の中へ消えていった。


「ティフ、きっとシュバルツゼーブルグで何かあったんだよ。」


 機嫌の悪そうなティフを宥めようとペトミーが声をかける。ティフはペトミーに気を遣われたことに……いや、気をことに苛立ち、被っていた頭巾をとって「あああ~~~」と言葉にならない声を漏らしながら頭を掻いた。外気に触れた長い耳が急に冷やされ、思わず身震いしてしまう。


「分かってるさ。

 そうでなきゃデファーグあいつがこんなところまで来るもんか……」

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