第966話 窮地

統一歴九十九年五月十日、未明 ‐ グナエウス街道第五中継基地スタティオ・クィンタ・ウィア・グナエウシイ前/西山地ヴェストリヒバーグ



「何か来る!?」


 かすかに聞こえていたひづめの音が次第に大きくなり、明らかに何者かがこちらへ近づいてきていることを確信したペトミーは警告を発しながらティフとファドを見た。


 どうする!?


 普通なら道の脇へ寄って息をひそめるだけでやり過ごすことができただろう。この濃霧は道路の真ん中からは左右のどちらの端も霞んで良く見えないくらいなのだから、道路の端によって動かなければ背景に溶け込んで気づかれずに済む。ペトミーも馬が近づいて来ると気づいた時点でティフとファドにそう促し、自ら道の端へ避けたはずだ。だが、ペトミーがそれをしなかったのは明らかな異常を察知したからであった。

 まず馬の数である。こんな夜中に街道を走る馬など、早馬など特殊なものに限られる。そして早馬なら通常は単騎の筈。なのに近づいて来る蹄の音は一騎や二騎ではない。かといって車輪の音は聞こえないから馬車ではない。騎馬の集団ということだ。馬に乗って良いのは貴族か軍人に限られるから、騎馬が真夜中に集団で移動するなど余程の異常事態と言える。

 そして何よりも魔力だ。蹄の音の主と同じ方向から魔力が感じられるのだ。そしてそれは音と共に近づいてきている。つまり、今近づいている騎馬集団の中に相当な魔力の持ち主が含まれているということだった。


 この魔力量……並大抵の奴じゃないぞ!?


 ペトミーが顔を強張こわばらせた最大の理由はそれだった。

 ペトミーたちはルクレティアがこちらへ来ていると勘違いしてシュバルツゼーブルグからここまで来てしまった。そして、実際にはルクレティアはこちらへ来ていないことが明らかになった。そのタイミングで現れた謎の騎馬集団……怪しまない方がおかしい。


 まさか俺たち、レーマ軍の罠にハマったんじゃ!?


 ティフは……ペトミーもだが、ルクレティアがこちらへ来ていると勘違いした。そしてルクレティアを追いかけて来てしまった。しかし、彼らが実際に追っていたのはルクレティアではなく、クプファーハーフェン男爵家の馬車だった。そして、シュバルツゼーブルグからグナエウス峠を通らずにアルトリウシアへ行こうとすれば、遠回りだがクプファーハーフェンを経由して船に乗るしかない。


 クプファーハーフェンの領主が協力してスパルタカシアがグナエウス峠へ行ったように見せかけ、『勇者団』おれたちをこっちへ誘き出した?


 ペトミーの想像は自分たちがかなり危機的状況に追い込まれていることを示していた。

 今、彼らは街道上にいる。街道の南側は断崖だし、北側は岩肌も露わな絶壁だ。街道上を東へ進めばレーマ軍のグナエウス街道第五中継基地スタティオ・クィンタ・ウィア・グナエウシイがあり、その前を通り過ぎた先はどうなっているか皆目見当もつかない『勇者団』ブレーブスにとって未踏みとうの地、アルトリウシアだ。そこへ西側から騎馬集団が接近している。騎馬集団は強力な魔力を発しており、戦闘力はティフやペトミーたちに優るとも劣らぬであろう。つまり、ペトミーたちは袋のネズミと化してしまっているのだ。

 もし状況がペトミーの想像通りで、中継基地スタティオにいるクプファーハーフェン男爵家の馬車が『勇者団』を誘き出すための偽装だとしたら、あの騎馬集団は『勇者団』を討ち取るための対聖貴族戦力である可能性が高い。レーマ軍にそんな戦闘集団が居るとはこれまでの常識からすればちょっと考えにくいが、ここ数日で目の当たりにした強大な精霊エレメンタルたちと彼らの使役する強力な魔物モンスターやゴーレムたちの存在を考えれば、決して安易に否定など出来ないはずだ。


 イザとなったらグリフォンやペガサスで空から脱出すれば……けど……


 ティフがペトミーを連れて来たのは彼の使役する騎乗モンスターで緊急脱出を図るためだ。ペトミーは実際にペガサスやグリフォンを持っているから、イザとなったらそいつらを出して空を飛んで逃げればいい。ペトミー自身もそのつもりでいた。だが、それが本当に可能なのかどうか、ここへ来て当初の想定には無かった不安材料が出てきている。この濃霧だ。


 こんな夜中にこんな濃霧の中を飛んだことなんかないぞ!?

 暗いのはともかく、霧の中でも飛べるもんなのか???


 ペトミーもそんな無茶をした経験はなかった。そしてペトミーのその不安を裏付けるように、彼の内からグリフォンやペガサスたちの「無理」「やだ」という否定的な思念が伝わってくる。

 短くため息をついたペトミーは腰に下げた鞭に手を掛けながら、近づきつつある蹄の音の方へ注意深く視線を送るティフに告げた。


「ティフ、悪いがグリフォンもペガサスもこんな霧の中じゃ飛べない。

 今は空を飛んで逃げるのは無理だと思ってくれ。」


 それを聞いたからというわけではないだろうが、跪いていたファドが立ち上がって舶刀カットラスに手をかけた。刀身が光を発して敵に気づかれるのを防ぐため、まだ抜かずに身構える。


「ブルーボール様、ペトミー様。」


 ファドは音の方を睨んで身構えたまま、その身を盾にすべく二人の前に進み出るのと同時に指示を仰ぐ。逃げ隠れするのなら急いでそうすべきだし、戦うのなら戦うでどこでどう迎え討つのか方針を決めてもらわねばならない。


 どうする?

 レーマ軍の中継基地ステーションが近いから、戦えば絶対に気づかれる。

 あの中継基地ステーションにどれほどの戦力がいるか分からないが、援軍が出てくるだろうな。

 かといってあの魔力量だ、とっくにこっちの存在に気づいているに違いない。

 今更隠れるのは無理だ。

 それでいて逃げるのも無理か……


 悩むティフにれたように、ファドに続いてペトミーも指示を催促した。


「ティフ!多分もう気づかれてるぞ!?

 今更隠れるのは無理だ!!」


「分かってる、戦うしかないだろ。

 支援攻撃できるモンスターは出せるか、ペトミー?」


 ティフにしろファドにしろ武器攻撃職だ。どちらもアサシンであり、俊敏な動きで敵の攻撃をかわしながら武器で敵を攻撃する戦闘スタイルである、そして二人ともメイン・ウェポンは舶刀カットラスだった。

 もちろん、ファドのはティフが練習用として使っていたスチール・カットラスので魔法効果も何もないのに対し、ティフのは父から受け継いだ付帯効果付きのミスリル・カットラスだったので全く同じというわけではなかったが、戦闘スタイルや間合いリーチはほぼ同じである。そして舶刀は狭い船上で振り回して斬撃を加えることを目的とした片手持ち片刃曲剣であり、元々リーチが短い。騎兵を相手取るには全く向いていない武器と言っていいだろう。

 そのようなリーチの短い武器を使う戦闘職が騎兵相手に前衛に立つのだから、ハッキリ言って「盾役」としては全く期待できない。いや、攻撃職として敵にダメージを与える役割すら果たすのは難しいだろう。何せこの霧の中では投擲武器もほぼ役に立たないであろうからだ。つまり、彼ら以外に騎兵にダメージを与える攻撃役が必要なのだ。

 しかしペトミーが返した答えはあまりかんばしいものでは無かった。


「逃げる魔力を考えなくていいなら……」


 ここに来るまでの間、ペトミーは全員が乗っている馬たちに支援魔法や回復魔法を繰り返し使っていたせいでかなり魔力を消耗していた。緊急の際にペガサスやグリフォンを出す分くらいは残してあるが、モンスター・テイマーとしてモンスターを出して戦わせるとなると、脱出用として残してある分の魔力を使わなければならないだろう。

 だがそれを使ってしまえば脱出手段をほぼ喪失することになる。土地勘の全くない土地で彼らがあえて追跡を強行したのは、ペトミーの騎乗モンスターを使えば空から逃げることが出来るからだったというのに、それを放棄するのは自殺行為に等しい。


「なんてこった……」


 ティフはようやく、自分がとんでもなく危機的な状況に追い込まれてしまっていることを理解した。

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