第1052話 上がってなかった報告

統一歴九十九年五月十日、夕 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 じゃあ『勇者団』ブレーブスはどうするんですか!? ……ゴティクスは食い下がろうとしたが部屋の前の衛兵が特務大隊コホルス・エクシミウス大隊長ピルス・プリオルクィントゥス・カッシウス・アレティウスの来訪を告げ、アルトリウスが即座に入室を許可したために引き下がらざるを得なくなった。ゴティクスはしかめっつらをして抗議の機会を待っていたが、クィントゥスが入って来るのと同時にアルトリウスがハンドサインで退出を指示したのを受け、ヤレヤレと首を捻って諦めたのだった。

 クィントゥスは執務室タベラリウムに入ると、退室していくゴティクスとすれ違う際に一礼し、アルトリウスの前まで来て右手を高く掲げ敬礼する。


軍団長閣下レガトゥス・レギオニス!」


 声を発するのと同時にクィントゥスは、先ほどすれ違いざまに見たゴティクスの不満そうな表情を記憶の片隅へと追いやった。


「ご苦労、大丈夫か?」


 アルトリウスは答礼もそこそこにクィントゥスに尋ねる。

 アルトリウスは先触れを出してリュウイチの晩餐ケーナに同席する旨を伝えていた。ただ、既に陽は西の水平線に没しており、レーマの習慣に従えば既に夕食の時間は過ぎている。平民プレブスならばとっくに寝床に入る準備をしている時間帯で、貴族ノビリタスなら酒宴コミッサーティオへなだれ込む前に一休みといったところだろう。今頃、ティトゥス要塞カストルム・ティティではサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア歓迎会コンウィウィウムがたけなわとなっている筈だ。もしかしたらリュウイチの夕食もとっくに終わっていたとしてもおかしくはない。何故ならリュウイチはカール・フォン・アルビオンニア侯爵公子と一緒に食事を摂っているはずだからだ。

 アルトリウスは夕食の途中から参加になってしまうことは覚悟していたが、終わってから尋ねるのは少しバツが悪い。夕食後に酒宴が開かれるならそれに参加するという体裁が保てるが、今夜は酒宴の予定はないはずである。リュウイチは酒が嫌いなわけではないようだがどうも贅沢を好まぬところがあり、毎夜のような御馳走や宴会は嫌がる傾向にあるからだ。


「はい、リュウイチ様は軍団長レガトゥスをお待ちです。」


 アルトリウスは何かショックを受けたように目の前の壁の天井付近を見上げた。もしかしたら一番聞きたくなかった答だったかもしれない。


 これでは逆ではないか……


 アルトリウスはリュウイチを接遇するために予定を変更して駆け付けたのだ。それなのに却ってリュウイチに気を遣わせては本末転倒もいいところである。


「閣下?」


 最善を尽くしたつもりだったが何か不味いことでもあっただろうか? ……クィントゥスが怪訝に尋ねると、アルトリウスは何かを振り切るようにクィントゥスを見下ろした。


「いや、良い。

 お待たせしているのなら急ごう。」


 二人はそのまま連れ立って執務室を後にし、リュウイチが待っている陣営本部プラエトーリウムへ急いだ。ハーフコボルトのアルトリウスとホブゴブリンのクィントゥスでは体格に差があるため、アルトリウスが大股で急ぎ足で歩くとクィントゥスは小走りにならないとついて行けない。クィントゥスの具足がカチャカチャと鳴る音が人気のなくなりつつある要塞司令部プリンキピアの廊下に響いた。


「それはそうと何故報告しなかった!?」


 階段を降りながら背後をついて来るクィントゥスにアルトリウスが尋ねる。詰問するような強い口調にクィントゥスはやや怯みながら尋ね返した。別に息が上がっているわけではないが、階段を降りながらだったために声が震えて聞こえる。


「何をでありましょうか!?」


「何をではない!

 リュキスカ様の体調だ。」


 踊り場で折り返しながらクィントゥスは訳が分からないという風に眉を寄せ、首を小さく左右に振る。


「リュキスカ様の体調が思わしくないことは御報告申し上げたはずですが!?」


 アルトリウスは階段を降りきる前に立ち止まるとクィントゥスを振り返った。クィントゥスは追突しそうになるのを辛うじて踏みとどまり、顔をあげる。階段の高さの差で本来の身長差が埋まったため、クィントゥスのちょうど眼前にアルトリウスの顔があった。


「何を言っている!?

 体調が思わしくないどころではないだろう!?

 報告してもらわねば困るではないか?!」


 責めるアルトリウスの不満顔にクィントゥスは思わず息を飲み、目を泳がせた。アルトリウスの表情を少しでも読み取ろうと眼前にある左右の目を見比べるが、そこからは何か怒っているようだという程度のことしかわからない。


「も、申し訳ありません閣下。

 小官には何のことだか……」


 やっと絞り出された答にアルトリウスは眉をギュッと寄せた。


「聞いてないのか!?」


「……何をで……ありますか?」


「んっんんん~~~~~」


 どうやら本当に知らないらしいことに気づくとアルトリウスは片手で顔面を覆い、うつむきながら喉の奥で何かを押し殺すように唸った。


「か、閣下!

 小官は昨晩、リュキスカ様が体調を崩されたことは報告を受けました。

 御病気かと報告してきた者に確認を求めましたが、そうではないと……健康上の問題は無いが、ただ体調を崩されたと……寝ていれば大丈夫とだけ報告を得ました。

 そして今朝もまだ思わしくないとは報告を受けておりますが、御病気では無いと聞いております。

 小官は……!?」


 堰を切ったように説明を始めたクィントゥスをアルトリウスは手をかざして制止する。


「閣下?」


「いや、状況は理解した……」


 クィントゥスはリュキスカについて体調が崩れたとは聞いていたが生理だとは聞いていなかった。女性の生理の話など大っぴらにして周囲が騒ぎ立てて良いようなものではない。まして相手は先月まで娼婦だったとはいえ今は事実上唯一の現役聖女サクラ、尊ぶべき聖貴族コンセクラータである。貴婦人の生理について周囲の男たちがやいのやいのと騒げるわけもない。それは種族の異なるホブゴブリンたちであっても同じことだ。

 リュウイチやその周辺で何が起きているか……それをクィントゥスやマルシスに報告するのはネロら奴隷たちだ。報告者が男なら報告を受けるクィントゥスも男……リュキスカに対して遠慮のようなものが働いたのだろう。遠回しに、どこか有耶無耶うやむやにするような報告は実際に有耶無耶になってしまい、クィントゥスに正確に伝わらなかったのだ。

 対してルクレティウスに報告を送ったのはルクレティアの侍女たちだった。彼女たちもルクレティウスと同じように、リュキスカをルクレティアが座るべき椅子を横取りした女と見做みなしており、リュキスカに対して対抗心のようなものを持っていたこともあって、そうした男なら遠慮してしまうような内容も正確に報告されたのだ。


 アルトリウスは言うか言うまいかしばらく躊躇ちゅうちょし、階段から見渡せる一階の廊下やホールへ視線を走らせ、クィントゥスの他に誰も聞く者のないことを確認すると改めてクィントゥスに視線を戻した。そして今更ながらのように「あー」と小さく声を漏らしながら言葉を探し、再び視線を外して躊躇ためらいながら事情を説明し始める。


「リュキスカ様は……そのぅ……になられたのだ。」


「……は?」


 そんな説明で分かるわけがない。実際、クィントゥスはアルトリウスが何を言い出したのか分からず顔を顰めた。

 言いにくいことを言うために言葉を選んだのにその言葉が伝わらず、それどころかこちらの頭の方を心配されることほど苛立つこともなかなか無い。アルトリウスは自分の説明が悪いことは自覚していたが、それでも苛立ちを我慢しきれなかった。何かを誤魔化すように手首をグルグル回すように意味のないジェスチャーを繰り出しながら、それでもクィントゥスの方を見ないままクィントゥスの理解力に救いを求める。


「ほらっ、あるだろ?

 月に一度の……あれだ……」


「!……ああ……」


 そこまで言われてようやく理解したクィントゥスの声に、アルトリウスは改めてクィントゥスの方を見た。別にクィントゥスに落ち度があったわけではないが、心情的にどうしてもクィントゥスを責めたい気持ちが抑えきれない。


「『ああ』じゃない!

 リュキスカ様は一週間か十日ほどはを果たせんのだ。

 それがどういうことか、わかるだろ?」


 理不尽といえば理不尽な言い様ではあったが話が分かってしまえばアルトリウスの内心も察することもでき、同時に同情もできてしまう。クィントゥスも先ほどまでの焦燥やら不満やらも忘れ、むしろ自分より若い軍団長の置かれた立場や気持ちを察してやることのできなかった自分に対し、悔恨やら忸怩じくじやらといった感情が沸き起こった。


「ああ、すみません閣下。

 小官はその……いえっ、報告は待つのではなく、自分で確認しに行くべきでした。」


「いや、分かってくれたならそれでいい。」


 アルトリウスはそう短く言うと、きびすを返して陣営本部への歩みを再開する。

 そこまで責める必要のない者にこうして素直に反省されるとアルトリウスとしてもそれ以上強くは言えない。むしろ言いすぎてしまったことに内心で後悔を抱き始めていたが、かといって彼の立場でそれを安易に口にすることもできなかった。

 アルトリウスから一応許しを得られたとはいえ、クィントゥスは気になることがあった。少なくとも軍団レギオーでもっともリュキスカに近い位置にいるはずの自分が知りえなかったことを、遠く馬を走らせても一時間くらいかかるティトゥス要塞カストルム・ティティに居たはずのアルトリウスが知っていたその理由である。クィントゥスは速足で進むアルトリウスに小走りで追従しながら背後から問いかけた。


「閣下は、しかしそのようなことをどこで御知りになられたのですか?」


「あ?……ああ、スパルタカシウス様だ。

 ルクレティア……スパルタカシア様の侍女から報告を受けられたらしい。

 あっちは、検閲してないのだろう?」


 現在、陣営本部に居る者……ネロらリュウイチの奴隷たちや特務大隊コホルス・エクシミウスの将兵、そしてアルトリウスが送り込んでいる使用人たちの出す手紙はすべてクィントゥスが検閲することになっていた。例外はルクレティアとその侍女たちだけである。

 アルトリウスは現状を確認するために質問をしたつもりだったが、クィントゥスは先回りを試みた。


「はい……今後はそちらも検閲なさいますか!?」


 今回の事態はアルトリウスに上がるべき情報が届かず、スパルタカシウス家の者たちを通じて外からもたらされたのがアルトリウスの不興の原因だ。であるならば、情報の出所を絞ってアルトリウスに必ず報告があがるようにするのは一つの解決方法ではある。


「馬鹿よせ!

 スパルタカシウス様の不興を買うつもりか!?」


 アルトリウスは振り返らなかったが、クィントゥスにはアルトリウスが呆れている様子が手に取るようにわかった。もちろんクィントゥスだって本気で言っていたわけではない。アルトリウスもそれが分かっているのでわざわざ立ち止まって振り返るようなことはしなかった。ただ、変な方向へ流れ始めた会話が余計な方へ行かないよう、軌道修正を試みる。


「それよりもお前に報告を挙げた奴隷は誰だったんだ!?」


 問題の本質はクィントゥスに上がるべき報告が適切に上がらなかったことだ。クィントゥスが確認を怠ったというのもあるが、それは本人が一応反省の言を述べているのでこれ以上云々する必要はない。ならば、奴隷たちへ指導を行うべきであろう。

 クィントゥスは話の焦点が奴隷たちに移ったことでアルトリウスに報告すべきことがあらがあったことを思い出した。


「ネロです!

 そう、ネロについて閣下に御相談があるのですが!」

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