第1053話 貴族の務め

統一歴九十九年五月十日、晩 ‐ マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 ネロについて相談がある……クィントゥスの言葉をアルトリウスは「後で聞く」とあしらい、先を急いだ。降臨があれば降臨者には《レアル》への御帰還を願うが、御帰還が叶わないのであればこの世界ヴァーチャリアへの客人として精一杯の歓待をせねばならない。そして高貴な者の相手を務めるのは常に高貴な者でなければならず、レーマ帝国の上級貴族パトリキならばその役目から逃れること等許されない。そして貴族が客人を歓待するにあたり、客人を一人にするという法などありうるはずもない。

 アルトリウスたちの見たところリュウイチは性格をしているらしく、どうも贅沢というものを好まない。華美な装飾や豪華な御馳走に露骨に嫌悪を示すようなことまでは無いが、しかしそうしたものについて耽溺たんできするようなことは無く、たまの刺激として楽しむのを良しとし、普段はどちらかといえば質素・簡素を好むようだ。そうしたリュウイチの意向もあって、レーマ貴族にとって社交の基本とも言うべき酒宴コミッサーティオも二日に一度のペースに抑えている。リュウイチにとってはそれでも多いのだが……。


 酒宴を二日に一度に抑えたなら酒宴のない日の歓待はどうすればよいのか!?

 アルトリウスたちだって領主貴族パトリキとはいえ暇を持て余しているわけではない。ましてハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱があったせいで領内は復旧復興とハン支援軍への対応でなのだ。この状況でリュウイチの世話に時間を盗られなくて済むというのはありがたい話ではあったが、しかし降臨者が領内に居るのに歓待らしいことをしなかったとあれば貴族としての面目は丸つぶれになってしまう。たとえ本人がそれを希望していたとしてもだ。アルトリウスたち領主貴族が歓待しない日、歓待できない日などあってはならないし、不足があれば埋め合わせねばならない。

 その穴を埋めるのがリュキスカの存在だった。


 贅沢らしい贅沢を望まないリュウイチに対してアルトリウスたちは歓待したいのに歓待する術がないという困った状態に陥っていた。歓待といえば酒と女……このうち酒はさかなと共に領内で手に入る最高の物を用意できもしよう。状況が状況だけに懐が痛くないと言えばウソになるが、豪華な食事は接待の基本中の基本だ。ただ、女については簡単ではなかった。

 高貴な者の相手は高貴な者が勤めねばならない……つまりリュウイチに女を宛がうのなら上級貴族の女でなければならないのだ。しかし今現在アルトリウシアには上級貴族の大人の女といえばエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人しかいない。さすがにいくら上級貴族だからといって異種族(ホブゴブリンやコボルト)の貴婦人を宛がうわけにはいかないし、ヒトの上級貴族で女性と言えばあとはルクレティアを含め皆未成年になってしまう。下級貴族ノビレスの女ならば選択肢は広がるが、降臨の事実とリュウイチの存在を秘匿する必要から大っぴらに人を手配することも出来ない。

 じゃあエルネスティーネをとなるかというとならない。エルネスティーネは現役の女属州領主ドミナ・プロウィンキアエであり、フォン・アルビオンニア侯爵家の当主だ。しかし降臨者に身を捧げるということは巫女サセルダになるということであり、事実上出家することになる。侯爵家当主の座を、属州領主の地位を捨てなければならなくなるのだ。母として、まだ八歳に過ぎない息子カールに家督を継がせなければならないエルネスティーネにとって、それは受け入れがたい選択肢だった。

 というわけで、酒は何とかできても女の方は……となっていたところにリュウイチが自主的に調達してしまったのがリュキスカだった。さすがに本人が自分で調達してきてしまったとあっては「高貴な者の相手は……」という理屈でリュキスカを排除することはできない。というより、降臨者の御手がついてしまった以上、その女がどんな身分のどんな女であろうともその時点で聖女サクラであり、女聖貴族コンセクラータの一員となってしまうのである。

 そういうわけでリュキスカはヴァーチャリア貴族の一員としてリュウイチを歓待する重要な要員の一人となってしまっていたし、本人も息子フェリキシムスを病死から救ってくれた恩と破格の報酬からその役割を果たす気ではいた。という既成事実が出来てしまった以上、周囲もリュキスカを便利に使うつもりでいた。リュウイチも他にはもう女は要らないとまで言っていたし、アルトリウスたちもリュキスカ以外の女の調達は機密解除になってからと考えていた……が、甘かった。リュキスカに生理が来てしまい、夜伽よとぎを務められなくなってしまったからだ。


 リュウイチ様を一人にしておくわけにはいかない……


 アルトリウスはその一念からティトゥス要塞カストルム・ティティでの予定をキャンセルして駆け付けた。もちろんアルトリウスがリュキスカの代わりにリュウイチのシモの世話をしようというわけでは断じてないが、かといって一人で放置するわけにはいかない。一人で放置すればリュウイチがまた、第二のリュキスカを調達しに行かないとも限らないからだ。せめて晩酌の相手を務めて、リュウイチが一人にならないようにしよう‥‥‥そうした思いから馬車を走らせて駆け付けたわけだが、しかし先触れでアルトリウスが来ることを知ったリュウイチはアルトリウスを待っているという。


 歓待する側が歓待される側になってしまうなどあってはならないことだ。せめて一分一秒でも早く駆け付け、リュウイチを待たせないようにせねばならないだろう。であるならば、ネロの相談など聞いてこれ以上リュウイチを待たせるなど出来るわけがない。


 アルトリウスはリュウイチの待つ食堂トリクリニウムまで速足で歩き続け、部屋の前で立ち止まって呼吸と身だしなみを整えると、入り口で緊張した面持ちで鯱張しゃちほこばって待っていた奴隷のロムルスに合図した。


「ア、アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子様が参られました!」


 ロムルスがひっくり返った様な情けない声で名乗りを上げ、アルトリウスの到着を告げると食堂の内から「入ってもらって」と返事が聞こえた。ロムルスが扉を開け、アルトリウスは「ヴ、ウンッ」と軽く咳払いをする。


「遅くなり申し訳ありませんリュウイチ様。」

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