拝謁の儀……肖像画

第1091話 セレモニー

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 この世界ヴァーチャリアには正確な時間を計ることのできる時計は存在しているが、いずれも高価で普及はしていない。権勢盛んな上級貴族パトリキが自らの財力を誇るために、領地の都市に大きな時計塔を立てたり屋敷ドムス邸宅ヴィラに華美に装飾された時計を飾ったりはしているが、残念ながらアルビオンニア属州には稼働状態のまともな時計は存在していなかった。一応、アルビオンニア侯爵家は置き時計を一つ持ってはいるのだが、一昨年の火山災害の折にアルビオンニウムから持ち出して以来、分解状態で保管されたままになっており、再組み立てはされていなかった。組み立てられる職人の手配がつかなかったからである。

 このため、アルトリウシアに限らずアルビオンニウムでは今でも日時計を基準にした不定時法が定着しており、一定の時間ごとに鐘を鳴らしたり大砲を撃ったりして領民たちに時間の経過を報せていた。大砲で空砲を撃つのは正午、それ以外は鐘を鳴らしている。

 そしてアルトリウシアの街々では同時に鐘が五回打ち鳴らされた。時刻はちょうど第十一時ホーラ・ウンデキマ……今の季節なら午後三時半から午後四時の間といったところである。各々が豪華に着飾り、テーブルが撤去されてだだっ広い広間に模様替えした大会議室に再び集まっていた貴族ノビリタスたちは窓の外から聞こえて来た時刻の到来を告げる鐘の音と共に緊張を新たにした。


「それでは皆様、そろそろ時刻となったようです。

 御来臨をたまわってもよろしいでしょうか?」


 心なしか上ずった声でエルネスティーネが会場の貴族たちに尋ねると、貴族たちはエルネスティーネの方を向いてうやうやしくお辞儀して見せた。誰からも異論は出ない。それを確認したエルネスティーネは部屋の入口に控える、やけに立派な装束に身を固めたホブゴブリンに向き直って合図した。ホブゴブリンはサッと小さくお辞儀すると、扉の向こうへ向けて静かにノックする。それから一分、いや二分かもしれない……やけに長く感じられた沈黙ののちに扉の向こう側から控えめなノックが返されると、ホブゴブリンはキッ姿勢を改め、声を張った。


「リ、リュウイチ様の、お成ぁ~り~!」


 車椅子に座っていたはずのルキウスも含め、全員が起立して姿勢を正すと、静かに扉が開かれ、そこから降臨者リュウイチが姿を現す。


「こちらへどうぞ……」


 先ほど入り口で名乗り人ノーメンクラートル役を務めたホブゴブリン……ネロが打合せに従ってリュウイチを玉座に誘導する。リュウイチは緊張しすぎているのかどこか困った様な半笑いを滲ませつつも、リュウイチよりももっと緊張しているネロの誘導に従って歩を進め、玉座に腰かけた。

 腰かけてから改めて顔をあげると、いかにも偉そうな着飾った貴族たちがリュウイチの方を向いて頭を下げている。思わずリュウイチはギクッと驚き、立ち上がりそうになる。


 アレ、俺、先に座っちゃってよかったの!?


 リュウイチは救いを求めるように脇に控えるネロを見るが、ネロはネロでテンパっていた。カチンコチンに緊張し、正面を向いて棒を飲んだように直立不動の姿勢を保っている。


 ア、コイツもダメだ……


 しかし、リュウイチがネロに頼るのを諦めて他へ視線を移す前に、挨拶の口上が響いた。


「本日は降臨者リュウイチ様も御機嫌麗しく、御尊顔を拝する栄に浴したてまつること、深く御礼申し上げます。」


『えっ、あっ……うん?』


 エルネスティーネが代表してあいさつの口上を述べることは聞いていたものの、別にリハーサルをしていたわけでも台本を見せて貰えていたわけでもなかったリュウイチは唐突に始まった式次第に取り乱しそうになる。


「この度は盟邦サウマンディア属州より属州領主ドミヌス・プロウィンキアエプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵が名代、サウマンディア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥム・レギオニス・サウマンディイマルクス・ウァレリウス・カトゥス殿、リュウイチ様への御使者としてまかり越しましてござりますれば……」


 これまでになく格式ばったやり方にリュウイチは戸惑いを隠せなかった。もちろん、リュウイチ本人がこのようなやり方を望んだわけではない。これはエルネスティーネやルキウス等、アルビオンニア貴族たちが望んだ結果、このようなやり方になっていた。目的としてはあえてこのようにイチイチ大袈裟にすることで、他の貴族たち……特に他属州の貴族がリュウイチへの謁見をしにくくするためである。


 リュウイチはこの世界ヴァーチャリアで最も強大な力と莫大な財産とを持っている。おまけにお人好ひとよしで命令違反を犯して処刑されそうになった兵卒を救うために莫大な金貨をしげもなく出そうとするほど価値観も金銭感覚もズレている。取り入ることが出来ればそこから得られる利益は計り知れないだろう。

 そのようなリュウイチに下手な人物が取り入り、そこから不相応な利益をあげられては世が乱れることにもなるだろうし、リュウイチの接遇をせねばならない侯爵家や子爵家は世話役としての責任も問われるだろう。貴族としての見識も疑われることになるに違いない。彼らはリュウイチの身の回りの世話をするのと同時に、《レアル》の恩寵おんちょうが氾濫することのないように警備する責任もあるのだ。

 だが、彼らも貴族である以上、他の貴族との関係を壊すわけにはいかない。他地域の貴族もまたリュウイチの存在を知れば、立場上少なくとも挨拶ぐらいはせねばならぬであろうし、それを下手に阻めばその貴族の面目を潰してしまうことにもなりかねない。そうした挨拶などの接触は防ぐことはできないが、誰彼構わずホイホイと簡単に会わせるわけにもいかない……ではどうしたらよいだろうか?


 その結果として有効なのがこういう格式ばったセレモニーにしてしまうことだ。

 幸い、リュウイチはこの世界で最も高貴とされる降臨者である。誰でも気安く会える存在ではない……いや、気安く会えてよい存在であってはならない。であるならば、このように格式ばった儀式・手続きを経ることでようやく会えるという前提条件を創り上げることで、木っ端貴族たちは安易に接触できなくなるのと同時に、謁見できた時のを増すのだ。

 貴族に限らないが、人間は誰でも“特別”が大好きだ。特別扱いされることが好きだし、特別な体験をすることが大好きだ。

 であるならば、リュウイチ特別な相手に会うという特別な体験を、さも特別なことであるかのように演出されて悪い気のするわけがない。むしろ、こういう格式ばった儀式を通じてリュウイチ特別な存在に謁見することは、相手を喜ばすことになるだろう。

 それでいて特別な儀式を経る以上、その準備には一定の時間と手間が必要になるのだから、簡単に何度も会うというようなことはしにくくなる。必然的に、リュウイチへの謁見を制限することが出来るようになるのだ。


 リュウイチ自身に対してはそのような背景は説明されてはいない。もしも説明されていたなら、本人は納得しなかっただろう。しかし、降臨者は特別高貴な存在として扱われなければならないというこの世界の事情を踏まえれば、いくら納得できなかろうとリュウイチにはそのやり方に合わせてもらう他ない。

 ではリュウイチに対してどう説明し、納得してもらったのか?

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