第894話 失言

統一歴九十九年五月九日、夜 ‐ 『黒湖城砦館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルグ倉庫ホレウム/シュバルツゼーブルグ



 アロイスの率いる大隊コホルスは、構成する軍団兵レギオナリウスの半数以上が入隊間もない新兵だ。基本的な号令に対してどう動けばいいかぐらいは身についているから、一応戦列歩兵せんれつほへいとしては戦えないこともない。だが、盗賊団が相手ではそのような戦列歩兵戦術を使う機会はほぼ無いだろうと考えられていた。

 彼ら盗賊たちの最大の長所は神出鬼没な機動性だ。だいたい、彼らは自分たちが戦闘に関しては素人だと言うことは誰よりも自覚しているのだ。本物の軍隊を相手に本気で戦って勝てるなんて誰一人思っちゃいない。だからヤバい敵と出くわしたなら全てを投げ出して“逃げ”を打つ。逃げ遅れた味方さえ見捨てて我先にとバラバラに逃げていく盗賊たちを捕まえるのは至難の業だ。

 これに対して戦列歩兵にとって最も苦手なのが戦場での高速機動である。射程の短い前装式マスケット銃で火力を最大化するため、歩兵は緊密な陣形を組むことが要求される。隣り合う戦友たちと常に一定の間隔を保ち、太鼓の音に合わせて集団で運動する戦列歩兵はそうであるがゆえに機動力はあらゆる兵科の中で、攻城砲のような大型砲を用いる砲兵に次いで遅いのだ。当然、そのような戦列歩兵のような密集隊形を保ったままでは、雲を霞と逃げる盗賊どもを追いかけることなど出来るはずもない。

 だから今回、アロイスは戦列歩兵としての基本がようやく身に付きかけてたばかりの新兵に軽装歩兵ウェリテス用の装備をさせていた。軽装歩兵は重装歩兵ホプロマクスと違い戦列歩兵戦術はとらない。小集団ごとに本隊から離れて独立して戦場を駆け回り、遊撃的に散兵戦術さんぺいせんじゅつで戦う兵科だ。装備は短小銃マスケートゥム投擲爆弾グラナートゥムこそ共通だが、それ以外の装備は重装歩兵用の物より軽く、機動力を重視したものとなっている。

 素人の集まりに過ぎない盗賊団を追い散らすにはこの方が良いだろうという判断だった。実際、逃げ回る盗賊団を追いかけるには、陣形にこだわる必要のない軽装歩兵の方が絶対的に適している。

 だが、半人前の新兵に軽装歩兵用の装備を与えたからといって即座に軽装歩兵として戦えるようになれるわけではない。重装歩兵/戦列歩兵にはいかなる状況であろうとも戦友たちと連携し、陣形を乱さず号令に従い続ける協調性が何よりも重要だが、軽装歩兵/散兵には状況を的確に判断し適切に行動する状況判断能力が求められる。協調性は訓練で身に着けることが出来るかもしれないが、状況判断能力は一朝一夕で身につくようなものではない。実際、ブルグトアドルフやアルビオンニウムの戦いではベテランの兵士たちでさえ、あまりにも見事な逃げっぷりを見せる盗賊団を深追いしすぎて本隊と連絡が取れないほど戦場に離散してしまう事例が発生していた。それが全体の三分の二が新兵という、もしもそれが自分の率いる部隊の実態だと知れば如何なる猛者でも顔色を無くすであろう編成の部隊を戦場に投入して何も問題が起きないはずがない。


 だからアロイスは大隊を本格的な戦闘に投入するつもりは最初から持っていなかった。彼の部隊は実力は無くても程度のことはできる。軍装に身を包み、統率が取れている風に見える集団が現れれば、誰だって軍隊が来たと思うだろう。盗賊たちなら軍隊の姿を見ただけで逃げだすのが普通だ。つまりアロイスはハッタリで盗賊団を追い払えればよいと考えていたのだ。人手不足で盗賊団に対処しきれない警察消防隊ウィギレスのコルセット役が務まりさえすれば十分……要は盗賊団がルクレティアに危害を及ぼし、その結果 《地の精霊アース・エレメンタル》がその力を使ってしまうような事態さえ防げれば良かったのだ。『勇者団』ブレーブスなどという、ヴァーチャリア世界における人類最強と目される戦闘集団に対処することなど、まったく想定していなかったのである。


 新兵大隊が『勇者団』とぶつかればどうなるか?……そんなの考えるまでもない。


 『勇者団』がシュバルツゼーブルグの街が焼き払おうとしているとなれば、新兵大隊を全滅覚悟でぶつけることも考えねばならなくなるだろうが、街を焼くというのがハッタリで『勇者団』を街の周辺から追い払いさえすれば当面の安全が確保できるというのなら、それ以上のこと等する必要性は一切ない。

 アジトを一つ潰し、あなどりがたい対応力をシュバルツゼーブルグが持っていることを示しさえすれば、現状では十分なはずだ。卑しく邪悪なインプディーモンなんかと手を組み、信仰に背く必要など全くあるはずがないし、無理に急いで『勇者団』を追い詰め、窮鼠きゅうそに噛まれる愚を犯すべきではない。


 アロイスの現状認識と考えはそうしたものだったのである。


「ではキュッテル閣下、私がハーフエルフ様の追跡を命じたとしても?」


「申し訳ありませんが……実行不可能であると申さざるを得ません。」


 既に拒否されることを理解していたのであろう、カエソーの最初から諦めきったような態度の質問にもアロイスの答えは変わらなかった。


「私の大隊コホルスでリュウイチ様の降臨を知っているのは百人隊長ケントゥリオ以上の将校だけです。

 リュウイチ様のことも、『勇者団』ブレーブスのことも秘匿せねばならんのでしょう?」


 リュウイチの降臨も知らされていない兵士たちに『勇者団』のことも知られることなく、あくまでも盗賊団対応として作戦を実行させるのであれば、インプを伴ってハーフエルフを追跡するなどまず無理だ。だいたい、兵士たちは自分たちは盗賊を退治するために作戦していると思っているのに、ハーフエルフが攻撃魔法を撃ってきたらどう説明すればいい?これからしばらくシュバルツゼーブルグの街を拠点に活動しなければならない三百人を超える新兵たちに、秘密保持を期待しろと言うのはあまりにも現実的ではない。

 こうなってくるとカエソーとしてもそれ以上強くは言えなかった。メルクリウス対策……実質的には『勇者団』への対応に関して、異なる属州の軍団レギオーにさえ命令権を行使できるとはいっても、現実の問題を無視できるようになるわけではない。『勇者団』を捕えたいのは山々だが、今はまだリュウイチの降臨を秘匿する方を優先しなければならないのだ。カエソーは苦虫でも噛み潰したように口をつぐんで唸るしかなかった。


「そもそも、あのインプにそこまで期待してよいものですかな?」


 既にカエソーはハーフエルフの追跡を諦めるつもりになっていたが、アロイスはダメ押しとばかりに話を続ける。


「金貨と騙され、黄銅貨を掴まされても気づかなかった間抜けです。

 犬が臭いを辿るように、魔力の痕跡を辿るというのも、ホントにできるかどうか怪しいと小官は思いますがね。」


 アロイスの声にはあざけりの色があった。インプに対して周囲が思っている以上に嫌悪感を抱いていたのだろう。小さく、弱く、醜く、愚かなインプ……それだけでも人々の嫌悪感を掻き立てるのに十分であるというのに、彼の信仰する宗教では忌避すべき対象でもあるのだ。

 通常、生理的に嫌悪感を喚起かんきするような存在ではあっても、仮にも人格を有する存在であるならば少なくとも表面上は最低限度の礼節を保つのが社会人というものだ。貴族ならなおの事、社交辞令を欠かすことなどあってはならない。だが、理性を働かせて礼儀作法にのっとった態度を保ったとしても、内心に抱く生理的嫌悪そのものが消滅するわけではない。あくまでも、内なる嫌悪を抑圧し、外に出さないようにするだけだ。当然、それはストレスになる。

 しかし、もしもそうした内にたまった鬱憤うっぷんを吐き出すことが社会的に容認されるとしたらどうだろうか?それでもなお、内なる嫌悪を抑圧し続ける人間はどれほどいるだろうか?

 今のアロイスにとってインプは生理的嫌悪を喚起させる存在であり、同時に宗教的に忌避すべきとされる存在である。つまり、攻撃することが許される相手だ。内なる嫌悪を、鬱憤を、ぶつけることが宗教的に容認されているのだとすれば、彼がこうして多少、貴族らしからぬ不用心を冒してしまったとしても致し方ないところではあったのだろう。

 だが、アロイスのそうした批判は、インプにハーフエルフを追わせるというアイディアを出した《地の精霊アース・エレメンタル》の神経を逆撫でするものだった。

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