第893話 アロイスの決意

統一歴九十九年五月九日、夜 ‐ 『黒湖城砦館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルグ倉庫ホレウム/シュバルツゼーブルグ



アルビオンニア軍団軍団長閣下レガトゥス・レギオニス・アルビオンニイ!今はそういうことを言っている時では……!?」


 カエソーはアロイスの拒絶を翻意ほんいさせるため、あえて役職名で呼んだ。一レーマ正教信徒としてではなく、レーマ帝国の軍人として考えるならば、ここで異教の存在かどうかなどに囚われるべきではない。ならばここは軍人としての立場に立ち返ってもらいたい……そういう期待を込めてのことだったが、アロイスは両手をかざして首を振った。


「申し訳ありません伯爵公子閣下。

 悪魔ディーモンと関わることはできません。」


「ですが、先ほどまでインプに尋問なさっておいでだったではありませんか!?」


 驚いて疑問をぶつけてくるルクレティアにアロイスは頬をポリポリと掻いて答えた。


「事情が異なります。

 私は当初、インプはハーフエルフ様の使い魔だと思っていました。

 それが誰かの従魔だというのなら、その誰かの道具や家畜、奴隷として看做みなすことも出来ます。

 誰かが信仰する神や聖霊だというのなら、その誰かとの友情のために敬意を払うことも出来ます。

 ですが話を聞くとどうやらあのインプはハーフエルフ様のものでは無かった。もちろん、インプを信仰している者など居るはずもない。

 誰のものでもなく、誰の信仰の対象にもなってないディーモンは、我らキリスト者にとって狩られるべきモンスターでしかないのです。」


 神は自分に似せて人間を創り、他の動物たちを支配する権利を与えた。その権利の対象には究極的には異教の神々とて含まれるのだ。異教徒の友人が所有する物、異教徒の友人が信仰する神々ならばあえてこれを尊重し、一定の敬意を払いはするが、それはその異教徒の友人がいずれキリストの教えに目覚め、改宗し、キリストの教えに帰依するようになるまでの猶予に過ぎない。教会の究極の目的はあくまでも神の教えを広め、神の国を作り上げることに他ならないのだ。

 当然、誰の物でもなく、誰の信仰の対象でもない野良のインプごときが、このような猶予の対象となる筈はなかった。


「ならば何故、あのインプが野良だと知った時にすぐ始末しようとなさらなかったのです!?」


「伯爵公子閣下があのインプと契約を結び、一時的とはいえ従魔とする可能性があったからですよ、ルクレティア様。

 だがあのインプはアジトの場所はタダで教えると言った。結果的に契約は成らず、あのインプは野良のままで居続けることとなった。

 ならば、これ以上あのインプとかかわりを持つ理由はありません。

 アジトの場所さえ聞き出せば、あとは用無しです。」


「アジトの場所を聞くのはいいんですか?」


「それは伯爵公子閣下が聞き出し、我々は伯爵公子閣下から情報と御指示を受けて『勇者団』ブレーブスのアジトを探るのです。

 あのインプも私にではなく伯爵公子閣下に話します。実際、伯爵公子閣下の恩に報いるためと言っていたのでしょう?」


 インプの協力を得ることについて、アロイスはどこまでも消極的だ。思い返せばアロイスはこれまでインプを脅しつける時を除けば、決して自分からインプへ近づこうとはしていなかった。インプが触った手紙にも、奇妙なくらい触れようとしなかったくらいだ。どうやらインプを忌むべき存在と見做みなしているのは間違いないらしい。

 ルクレティアとしてもインプに対しては嫌悪感しか抱いていなかったが、しかしせっかく《地の精霊アース・エレメンタル》が提案してくれたことを無下むげにされても困る。そこで攻め口を変えることにした。


『勇者団』ブレーブスの本隊からはぐれたハーフエルフ様を追跡できるかもしれないのですよ?」


 盗賊団のほとんどを失ったとはいえ、《地の精霊》に手も足も出なかったとはいえ、それでも『勇者団』が強力な武力集団であることは疑いようがない。その戦力の中核をなしているのはハーフエルフたちだ。カエソーの推理が正しければ、そのハーフエルフの一部が本隊から逸れて孤立している可能性が高い。

 今は『勇者団』の中核戦力の一部を、孤立しているうちに各個撃破かっこげきはする千載一遇せんざいいちぐうの好機なのだ。軍人ならば、このチャンスがどれだけの価値があるか理解しているハズ。


「ルクレティア様のおっしゃる通りだキュッテル閣下。

 あのインプを利用しない手は無いと思うが?」


 カエソーはすかさずルクレティアを援護するが、アロイスは片眉を持ち上げて苦笑いを大きくしつつ首を振った。


「好機であることは認めましょう。

 ですが、我々にその好機を掴む腕はありません。」


「どういうことですか?」


 困惑するルクレティアが質問すると、アロイスは無言のまま苦笑いを貼り付けた顔で暗い天井を見上げ、それから溜息をつきながら視線をルクレティアに戻した。


「私は私の部下をハーフエルフ様と対峙させるつもりはないのです。」


 これには隣で聞いていたカエソーも不可解そうに顔をしかめた。が、アロイスはそれに構うことなくルクレティアに説明を続ける。


「私の率いる部隊は新兵が半分以上を占める臨時編成の大隊コホルスです。

 盗賊どもが相手なら何とか戦えるかもしれませんが、『勇者団』ブレーブス相手に本格的な戦闘はできません。当たれば十中八九じゅっちゅうはっく、こちらが負けます。間違いなく大損害をこうむるでしょう。」


「では何故、あれほど捜索隊を出すことに熱心だったのですか?!」


 今度はカエソーが尋ねた。


「それはもちろんシュバルツゼーブルグの街を守るためです。

 あの手紙にはシュバルツゼーブルグの街を焼き払うような脅し文句が書かれていた。私はアルビオンニア軍団軍団長レガトゥス・レギオニス・アルビオンニイとしてそれを阻止する責任があります。

 ですが、同時に兵たちの命を守る責任もあります。強力すぎる敵を追い詰め、反撃を食らって大損害を出す愚を犯すわけにはいきません。

 要は私としてはシュバルツゼーブルグを守るために、『勇者団』ブレーブスを追い払えればいいのです。シュバルツゼーブルグの近くに『勇者団』ブレーブスのアジトがあるなら、潰さねばなりません。ですが、シュバルツゼーブルグを離れて追い詰めることまではするつもりはありません。その実力も準備も我々にはありません。

 今の我々に必要なのは『勇者団』ブレーブスと本格的に対峙するための戦力が整うまでの時間稼ぎです。」


 そこまで言うとアロイスは右手をかざした。器用に小指だけを曲げ、親指から薬指までの小指以外すべての指を伸ばした手を見せつける。


「一週間!

 一週間後にはズィルパーミナブルグから増援部隊が到着します。

 これは本格的な戦闘部隊です。

 それが到着するまで、私は今の大隊コホルスには時間稼ぎ以外させるつもりはありません。

 一兵たりとも無駄死にさせることなく、このシュバルツゼーブルグの街を守り抜くつもりです。」

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