第1406話 ルキウスの説明(4)

統一歴九十九年五月十二日・午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 リュウイチは顔をしかめた。それはルキウスや軍人たち、そしてネロやリュキスカたちも見た事無いほど不快そうな表情だった。


 ルキウスが言ったことは選民思想そのものだ。たしかにこの世界ヴァーチャリアは民主主義社会ではない。レーマ帝国は貴族社会、身分制社会だ。身分の上下は否応も無く存在する。だがそれでも、奴隷セルウスにも一定程度の人権を認め、貴族ノビリタスと言えども平民プレブスいたずらに害すれば罰せられる。自由主義や平等主義といった考えは、確かに《レアル》から伝わってはいるし、それ以前からストア派哲学はレーマ帝国でも定着していたのだ。リュウイチも、身分制社会の負の部分を目の当たりにせずに済んでいた。だからそれほど深刻に考えていなかった。

 しかしそれは貴族たちがリュウイチから負の部分を隠していただけだったのかもしれない。グルギアのような少女は、リュウイチの目の前の届かないところではもっとひどい目にあわされていた事だろう。現にルキウスも、『勇者団』ブレーブスのしでかしたことを、数百人もの被害者を出した彼らの罪を、まるで不問にしようとしているかのように見える。


『では彼らを、「勇者団」の犯した罪を、そのまま無視するつもりなのですか?』


 それは許されていいことではない。それが誰であれ、そんな理由があれ、人の命を奪ってそのまま許されていいとは、リュウイチには思えなかった。ルキウスは表情から笑みを消し、少し残念そうな目をしながら首を振った。


「そうではありません」


『でも、彼らの身が大事だと、損なわれてはならないとおっしゃったでしょ!?』


「それは言いました。

 ですが、罪を問わぬとは言っておりません」


 リュウイチはルキウスを睨むように見据えながら閉口した。ルキウスは小さく溜息をついて、手に持った茶碗ポクルムをテーブルに戻す。


「彼らは許されざる罪を犯しました。

 それは事実ですし、それを追求しないでいるつもりはありません。

 ええ、もちろん償ってもらいますとも。

 ですが、彼らの身は、彼らの身体に流れる血は、我々の世界の発展には絶対に必要不可欠なものなのです。

 我々が独断で、彼らをどうにかすることは、できません」


『では、どうするのです?

 カエソーさんは「勇者団」を捕まえているのでしょう?』


「彼も伯爵も、『勇者団』ブレーブスを罰することは出来ません。

 彼らに、そして私たちにできるのは、『勇者団』ブレーブスの身柄を、そしてことだけです」


 リュウイチは一度軍人たちを見回した。彼らもそれで納得しているのかと……だがルキウスが言っていることはこの世界の常識だ。リュウイチが疑うまでも無く、彼らは全員がそれがだと受け入れていて、誰も疑問を持っていない。リュウイチは再び視線をルキウスに戻す。


『それは、事実上彼らを許すと言ってるようなものでは?』


「確かに、リュウイチ様からはそのように見えるかもしれません。

 ですが私はそうは思っていません。

 彼らはムセイオンで、相応の処分を受けるでしょう」


『アナタ方によってではなく、ですか?』


「それは仕方ありません。

 我々は自分たちの領土を守る権能はありますが、彼らを罰する権能はないのです」


 リュイチはボリボリと頭を掻いた。ルキウスたち当事者がそれで納得しているのなら、リュウイチはそれ以上何かを言えるわけではない。リュウイチは先ほど、自分が部外者だと確認させられたばかりなのだ。だが、だからといって納得できる話でもない。


『彼らが、数百人もの人々の命を奪った彼らが、そんなに大事ですか……』


 目を閉じ、額に手を当てて嘆いたその言葉は、リュウイチは誰かに言ったつもりはなかった。独り言だった。


「大事なのは、彼ら自身ではなく、彼らの血です。

 彼らは確かに数百人の命を奪いました。

 ですが彼らが子を残してくれれば、彼ら自身はダメでも彼らの遺した子が、この世界を発展させてくれます。

 今は数百人の犠牲でも、のちに数百万人もの人々が、その恩恵を享受する……それが期待できるからこそ、彼らは高貴とされているのです」


 リュウイチは手を降ろし、ルキウスの顔を再び見た。てっきり笑っていると思ったルキウスの表情は、どちらかというと冷めたような、何かを残念がるような表情だった。リュウイチの前ではいつもどこか飄々ひょうひょうとしているルキウスにしては、随分珍しい。


「ムセイオンは、今回のことで我々に配慮をせざるをえなくなるでしょう」


 そう言ったルキウスの口元は笑っていたが、目元は笑ってはいなかった。どちらかというと静かな怒りか、あるいは冷徹な何かを秘めている。リュウイチはようやく、ルキウスも損得勘定で住民の命を切り捨てているわけではないのかもしれないと気づいた。


『本当に、それでいいのですか?』


「我々はそれで納得するしかありません。

 ですが……」


 リュウイチの一言はルキウスの心情に寄り添う気持ちの表明のつもりだったのだが、しかし藪蛇だったかもしれない。ルキウスはリュウイチに視線を向けると、悪戯っぽくニィッと口元に笑みを浮かべたからだ。


『ですが?』


「もっと良い方法もあります。

 彼らに、十分以上にむくいる方法がね?」


 先ほどまでと打って変わったルキウスの表情にリュウイチは少し悪い予感がした。


『何です?』


「リュウイチ様が、御子を残してくださることです」


 満面の笑みを浮かべたルキウスの一言にリュウイチは閉口した。その横で、ずっと我関せずの態度を決め込んでいたリュキスカがピクリと反応する。フェリキシムスとの遊びに熱中するフリをしながら、実はずっと聞き耳を立ててはいたのだ。


「リュウイチ様が御子を残してくだされば、相対的に彼らの血の“価値”は低下します。

 何せあの《暗黒騎士ダークナイト》様の血筋ですからな。

 リュウイチ様の遺された御子はきっと素晴らしい魔力を引き継がれるに違いありません。

 必ずや『勇者団』ブレーブスなどよりも、ずっと世界に貢献してくださることでありましょう。

 そんなリュウイチ様の御子と、《暗黒騎士ダークナイト》様に一方的に蹴散らされた者たちの血を引く『勇者団』ブレーブスなど比べるまでもありますまい。

 他の王侯貴族たちとて、我もリュウイチ様の御子を授かれるやもしれぬと知れば、誰がリュウイチ様の不興を買ってまで『勇者団』ブレーブスを守護し奉ろうとするでしょうか!?

 さすれば、アルビオンニア属州領民も納得できる形で彼らを罰することも容易に叶うことでありましょう」


 それですべてが万々歳……ルキウスは満足そうに一人頷く。だがそれはリュウイチの望む未来ではない。成人する前に事故で両親を失ったリュウイチには、親を失った子供の気持ちを無視することはできない。いずれ《レアル》へ戻るリュウイチがこの世界に子供を残せば、その子供は父親に“捨てられた”経験をすることになるのだ。事故により本人の意思に関係なく消えた両親の子供でさえ、あれだけの喪失感を抱いたのだ。自らの意思で自分を残して親が消えたらその子はどんな気持ちになるか……それを思うからこそ、リュウイチは子供を残す気にはなれない。そのことはルキウスにも伝えてあったはずだ。が、ルキウスは今あえてそれを言っている。

 困り顔のまま閉口しているリュウイチに、ルキウスは寂し気に笑みを消すと小さく溜息をついた。


「冗談ですよ、リュウイチ様」


 リュウイチは顔を逸らし、気まずげに頭を掻いた。


「リュウイチ様にその気が無い事は、既に伺っております。

 ですが今一度ご理解ください。

 我々は《レアル》の恩寵おんちょうを欲しております。

 そしてリュウイチ様の御子こそ、その最たるものです。

 ですが、リュウイチ様に無理強いするつもりは、我々にはありません。

 我々はリュウイチ様の御意思を、最大限に尊重しております。

 そのことはどうか、ご理解ください」


 それは結局のところ、本気でこの世界に関わる気の無い余所者リュウイチに、それ以上踏み込まないでほしいという意思の表れだった。そしてリュウイチには、それに反論するだけの覚悟は無かった。

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