第873話 罠の可能性

統一歴九十九年五月九日、晩 ‐ 『黒湖城砦館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルク/シュバルツゼーブルグ



「では奥方様ドミナ、これからそのインプのところへ行って手紙を御受け取りになられるので?」


 ルクレティアから事の次第を聞いたリウィウスは少し首を傾げて尋ねた。

 『勇者団』ブレーブスと思しき謎の相手からルクレティア宛の手紙を託されたインプはこの『黒湖城砦館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルクの敷地に侵入、敷地外縁近くの倉庫群ホレアを通り抜けて本館へ向かおうとした途中で《地の精霊アース・エレメンタル》によって取り押さえられた。

 《地の精霊》はもっと早い段階でインプの侵入には気づいていたが、倉庫群にはブルグトアドルフの住民たちが収容されていて人目があったことと、侵入したインプの目的が何か分からなかったことからあえて泳がせていたのだが、倉庫群を抜けて庭園を突っ切ってまっすぐ本館へ向かったことから、本館からも倉庫群からも目に付きにくい場所を選んで拘束魔法『荊の桎梏』ソーン・バインドを使っての捕縛に踏み切っている。そして一応、捕まえたインプに用件を問いただしたところルクレティアへの手紙を預かっていると答えたらしい。


「ええ、そうしようと思っています。

 《地の精霊アース・エレメンタル》様のことを知っていて、私に手紙を寄こそうとする相手と言えば『勇者団』ブレーブスの方々を置いて他にありません。

 どのような用件かは分かりませんが、『勇者団』ブレーブスからの手紙とあれば無視するわけにはいかないでしょう?」


「それで、奥方様ドミナお一人で行かれるおつもりで!?」


 リウィウスのこの質問にはさすがにルクレティアもムッとした様子で閉口した。まさかさすがのルクレティアもそんなつもりはない。最初からリウィウスたちに護衛してもらうつもりでいたのだ。

 インプがどういう存在なのかは文献で知っているが、どの程度の戦闘力を備えているかまでは誰も知らない。野生のインプなんてものは滅多にお目にかかれるものでは無いからだ。もし、手紙を受け取りに来たルクレティアを目の当たりにした途端、暴れ出しでもしたらルクレティアでは撃退できないかもしれない。一応 《地の精霊》は守ってくれるはずだが、もし《地の精霊》が暴れ出したインプを攻撃しようとしたとき、人目があれば《地の精霊》の存在が他人にバレてしまう可能性もある。だから《地の精霊》以外の護衛をと期待してリウィウスたちを呼んだわけだが、肝心のリウィウスたちはというとほろ酔い状態。ヨウィアヌスに至ってはほぼ泥酔状態で半開きの目は座り、フラフラと身体全体を揺らしている。まともなのはカルス一人という情けない状況。


 これなら連れて行かない方がマシかしら?


 ルクレティアが失望を禁じ得ないのも無理はなかったかもしれない。そのルクレティアの視線から彼女が自分の質問をどう受け止めたかに気づいたリウィウスは慌てて打ち消した。


「あっ!いやいやっ、アッシらぁ別に行きたくねぇっていうんじゃねぇんで!」


「そうですか?

 別にいいんですよ?

 私には《地の精霊アース・エレメンタル》様がついてくださいますから。」


「いやいやっ!

 そうじゃねぇんでさ!

 そうじゃねくって、奥方様ドミナにゃあ絶対ぇそれだきゃぁしねぇで欲しくってお聞きしたんでさぁ。

 あーっ……」


 酔ってるせいかリウィウスはいつもより訛りが酷い。それどころか話している途中で何を言おうとしたか分からなくなったらしく、額に手を当てて言葉を探し始める始末だ。


「とにかく、手紙は受け取らなければなりません。

 リウィウスさんたちの都合が悪いのなら、カルスさんだけでも構いま!?」


 ルクレティアはリウィウスを突き放そうとしたが、その言葉は途中でさえぎられた。リウィウスは相変わらず手で額を抑えて何か考え込んでいる様子だったが、もう片方の手をルクレティアに向かってかざし、制止する。


「すいやせん奥方様ドミナ

 奥方様ドミナぁ受け取りに行っちゃぁいけやせん。」


 リウィウスはわずかに顔を上げ、額を抑えていた手もガレアひさしのようにわずかにあげて藪睨やぶにらみにルクレティアの顔を見上げる。その顔は相変わらず酔っていたが、眼光自体に酒酔いによる曇りは無かった。

 一度はリウィウスを突き放そうとしたルクレティアだったが、その視線にいくばくかの真剣味を感じ思いとどまる。


「ではどうしろというの?

 手紙を受け取らないわけにはいきませんわ!」


 リウィウスの言葉に自重を思い出したルクレティアではあったが、逸る気持ちが収まったわけではない。その焦りは苛立ちを生み出し、ルクレティアの態度を悪い物へと変えていく。ルクレティアはリウィウスを見下ろしながら腕組みをして溜息をついた。


奥方様ドミナ、落ち着いて聞いてくだせぇ。

 その手紙が罠かも知れねぇじゃねぇですか。」


「罠!?」


 思わぬ指摘にルクレティアは驚き、眉をひそめる。室内にいるリウィウス本人とヨウィアヌス以外全員の視線がリウィウスに集中した。


「そう……

 その奥方様ドミナがインプから手紙を受取ろうと出てきたところで、奥方様ドミナを襲おうって算段なのかも知れねぇ。

 そのインプって、『勇者団やつら』の身内ってわけじゃぁねえんでしょ?

 おかしいじゃぁねぇですか!?

 そんな大事な用事を、野良の、余所者のインプなんぞに任すなんざぁ……

 今まで『勇者団やつら』の手紙はちゃんとした使い魔が届けてたそうじゃあねぇですか?

 なのに今回に限って使い魔じゃねくって野良のインプを使うなんざ不自然だ。

 だけど、手紙を受け取りにきた奥方様ドミナをインプもろとも害そうってはかりごとなら理屈が通りまさぁ。

 野良のらのインプならいつでも切り捨てられんでしょうからね?」


 腕組みしていたルクレティアの手にギュッと力が入った。いつもヘラヘラしてどこかいい加減で、今も自分の仕事を放り出して酒に酔ってしまったこの老兵を見くびっていたのかもしれない。


「で、でも《地の精霊アース・エレメンタル》様は、街に居たハーフエルフ様は街から出て行って残っていないと……」


奥方様ドミナ、忘れたんですかぃ?

 あのファドの野郎は、その《地の精霊アース・エレメンタル》様に気づかれもせず、奥方様ドミナの目の前まで来て見せたんですぜ?」


 その指摘にルクレティアの表情が一気に険しくなったのはリウィウスの指摘した通りファドの存在を忘れていたからか、それともリウィウスの相貌そうぼうに皮肉な笑みが浮かんでいたからなのかは誰にもわからない。

 目を閉じて二度、三度と深呼吸を繰り返し、自分を落ち着かせたルクレティアは腕組みを解いて《地の精霊アース・エレメンタル》に向き直った。


「ア、《地の精霊アース・エレメンタル》様!」


 他の者たちと同じく黙ったままリウィウスを見下ろしていた《地の精霊》はルクレティアの方へ向きを変える。


「お教えください。

 ファドは……あの男の居場所は、お分かりになられますでしょうか?」


 やきもきするルクレティアの焦燥を知っているかどうかわからないが、《地の精霊》はその場でクルリクルリとゆっくり二回回った。


『いや、分からぬ。』


「近くに居ない……ということでしょうか?」


 縋るように確認を求めるルクレティアだったが、《地の精霊》の答えはその期待に応えるものでは無かった。


『あの者、何らかの方法で己の魔力を隠しておった。

 あの時はそのせいで他の兵どもと区別がつかんかった。

 もし、また同じように魔力を隠して居るとしたら、見つけることは叶わん。

 ここは人間が多すぎるでの。』

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