第837話 滞っていた通知

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ キルシュネライト伯爵邸/レーマ



 オットマー・フォン・キルシュネライト伯爵の焦燥しょうそうもっともな話である。

 アルビオンニア属州で降臨が起きた。これからレーマは、そして世界ヴァーチャリアは迅速に対応せねばならない。降臨者が初めての世界に混乱し、暴走して災厄や戦乱を巻き起こしたりしないようにいち早く接触し、可能ならば《レアル》へ御帰還願わねばならない。それが叶わぬならばせめて良好な関係を構築し、世界の安定と秩序を保つように色々と調整せねばならぬのだ。その中でオットマーはアルビオンニア属州を代表する元老院議員セナートルとして、アルビオンニア属州の利益を最大化を図りつつ、周囲との軋轢あつれきが生じないよう数多くの貴族ノビリタスたちと折衝を繰り返し、事態を収束へと向かわせねばならない。

 だというのに彼が降臨の事実を噂で聞いたのが一昨日、報告書で事実を確認したのが昨日なのである。それ自体はまだいい。この世界ヴァーチャリアの通信速度を考えれば最速で最新の情報を手に入れたと誇ってよいだろう。

 だが状況はそうした彼の情報収集能力をはるかに上回る速度で展開している。


 レーマに居るキルシュネライト伯爵家よりもムセイオンの大聖母グランディス・マグナ・マテルフローリア・ロリコンベイト・ミルフが既に対応にあたって、ここレーマまで来ている……

 聞けばグナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨル子爵令嬢を召喚し、現地の情報を集めつつ現地へ派遣する使節団の準備を既に始めてしまっているそうではないか。こちらがまだ情報収集以上のことを何もできていないと言うのに!!!


 既に後れを取っているどころの話ではない。後手に回るどころか置いてけ堀を食っているのである。ここ帝都レーマにいる上級貴族パトリキの中で最もアルビオンニア属州に関して責任ある立場だというのにだ。今のこの伯爵家の状況が世間に知られれば、それだけで貴族の面目は丸つぶれになりかねない。


「このまま……このまま手をこまねいておるわけにはいかんのだ……」


 そう言うとオットマーは再び爪を噛み始めた。だいぶ苛立っている様子である。


「おっしゃる通りです伯爵閣下オイア・エクスツレンツ・グラーフ。」


 オットマーの激昂に怯んでしまったヴェルナーに替わり、エーベルハルト・キュッテルが咳払いを一つしてから話し始めた。


大聖母様グロースアイティヒ・ハイリヒ・ムターのことは伏せねばならぬとはいえ、降臨のことは既に世に広まってしまっているのです。

 いずれアルトリウシアで起きた叛乱のことも知れましょう。

 ムセイオンの使者がアルビオンニアに到着する前に、その下地を作らねばなりません。」


 ギロッと眼前のエーベルハルトを見上げたオットマーは爪を噛むのを止めた。口元と爪を噛んでいた指の間に唾液の吊橋が出来、それがダラリと落ちて消える。


「そんなことは分かっておる!

 だがどうしろというのだ!?

 既にやるべきことはやっておる。

 情報の収集はもちろん、南部属州に関係する上級貴族パトリキにはすべて面会を申し込んである。」


 オットマーとて無能というわけではない。これでも父カミルが死んで家督を継いで以来、十年も元老院議員セナートルを務め続けてきたのだ。


「こちらから皇帝カイザーへのお目通りを求めてはいかがでしょうか?

 降臨という事態に際し、閣下に召喚が無いと言うのはおかしく思います。」


 エーベルハルトがそう言うとヴェルナーはオットマーと互いに目を見合わせ、それから何か気まずそうにエーベルハルトを見た。


「?……なんです?」


 二人の視線に疑問を覚えたエーベルハルトが問いかけると、オットマーは不満げにフーッと鼻を鳴らして目を伏せた。その様子を横目で認めたヴェルナーがオットマーに代わって答える。


「伯父殿、実は陛下カイザーからは召喚があったのです。」


「何です!?」


 理解が追い付かないエーベルハルトは彼には珍しいことに顔をしかめ、ヴェルナーとオットマーを交互に見比べる。


 召喚があった!?……あったのなら何故、参内しないのだ!?


 困惑するエーベルハルトに残念がる様にヴェルナーは続けた。


「伯父殿が来られる前に、ウァレリウス伯爵から手紙が届いたのです。」


「ウァレリウス伯爵!?

 ウァレリウス・レマヌス伯爵ですか?」


 ウァレリウス・レマヌス伯爵とはマグヌス・ウァレリウス・レマヌスのことであり、サウマンディア属州の代表を務める元老院議員セナートルだ。サウマンディア属州領主プブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵とは同じウァレリウス氏族の親戚同士であり、南部属州に関わる上級貴族たちの取りまとめ役でもある。


「ええ、皇帝カイザーはウァレリウス伯爵に、南部属州に関わる元老院議員セナートルをまとめて参内するようお命じになられておられたようなのです。」


「ああ……」


 アルビオンニアに降臨が起きたのにキルシュネライト伯爵家に対して何の音沙汰も無い。そのことに納得がいかなかったのだが、その説明でエーベルハルトはその背景を理解した。

 そのエーベルハルトの理解を裏打ちするかのようにオットマーが苦々し気に説明する。


「ところが、ウァレリウス伯は兵学校の修学旅行へ付き添ってレーマを離れておられる。レーマに戻って来るのは明日だそうだ。

 それで帰って来次第、参内するから準備は整えよとのことだ。」


 昨日今日とずっとヤキモキしていたのがマグヌス一人のために重要な連絡が滞っていた……そのあまりにみっともない理由にオットマーは機嫌を悪くしていたのだ。


「では、明日参内なさるので?」


「馬鹿を言うな!」


 エーベルハルトの質問にオットマーは拳でドンと机を叩き、声を荒げた。オットマーがエーベルハルトに対して声を荒げるのは非常に珍しい。自分でもエーベルハルト相手に大きな声を出したことに驚いたのだろう、オットマーは少し気まずそうな表情を作り、その後顔を背けて愚痴るように溢した。


「明日は日曜だぞ!?

 礼拝の日だ!

 キリスト者たる私が、日曜に参内など、しておれるか!」

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