第814話 明かされた叛乱の事実

統一歴九十九年五月十一日、午前 ‐ アルトリウシア子爵邸/レーマ



 エーベルハルト・キュッテルが視線をあげると、その先には大きく見開かれたグナエウシア・アヴァロニア・アルトリウシア・マイヨル子爵令嬢の潤んだ瞳が揺れているのが見えた。


 さて……言うべきか、伏せるべきか……


 皇帝陛下インペラートルは今エーベルハルトの目の前にいる子爵令嬢ウィケコミティス・フィリアに対し、アルトリウシアで起きた叛乱事件について何も教えなかった。その意味を考えると不吉な予感しか湧き起らない。もちろん、大グナエウシアグナエウシア・マイヨルを不安にさせないため、大聖母グランディス・マグナ・マテル他ムセイオンの聖貴族コンセクラトゥムたちにきちんと話をさせるため配慮だけであった可能性も考えないではないが、それはどうも楽観的に過ぎるような気がしてならないのだ。

 もしもここで大グナエウシアにすべてを話してしまったら、どのような影響があるだろうか?大グナエウシアはこの後再び『黄金宮ドムス・アウレア』に参内し、皇帝に謁見する予定になっている。アルトリウシアで起きた戦禍を想い、大グナエウシアが取り乱すようなことがあれば、子爵家は、そしてアルビオンニア属州に連なる上級貴族パトリキたちは皇帝の不況を買ってしまうかもしれない。

 しかし、もし本当に皇帝が意図してハン支援軍アウクシリア・ハンに叛乱を起こさせアルビオンニア侯爵家に害をなそうというのであれば、その企みを何とか妨害し、アルビオンニア侯爵家存続の途を模索せねばならないだろう。


 だが、その立ち回りを御歳十四の子爵令嬢ウィケコミティス・フィリアに託すのは……


 さすがに無理に決まっている。


「キュッテル殿」


 エーベルハルトの逡巡を見て取った大グナエウシアはふと表情を引き締め、背筋を伸ばして鋭い眼光をエーベルハルトへ向ける。


「確かに女の身にはまつりごとなど殿方とのがたのようには理解が及びません。

 まして私はまだ十四の子供です。

 ですが、私は子爵家の娘ウィケコミティス・フィリアです。」


 その声にはしっかりと力が籠っていた。エーベルハルトの目を見返す視線にも迷いは見られない。


「失礼しました、子爵令嬢ウィケコミティス・フィリア。」


 彼女なりの覚悟を見て取ったエーベルハルトは、そう言いながら自分も上体を起こし、姿勢を正した。そして改めて大グナエウシアを見据えると、大グナエウシアは表面上は毅然とした態度を保ってはいたものの、その目にわずかに変化を生じさせる。どこか恐れるような、あるいはすがるような……おそらく、エーベルハルトの態度から答えを察したのであろう。そこに覚悟の揺らぎを認めたエーベルハルトは、やはり眼前の少女にすべてを話し、すべてを託すのは荷が重すぎると判断した。しかし、ここまで来て全く話さないわけにもいかない。


「あ~……まず、このことはもちろん皇帝陛下インペラートルも御存じです。

 伯爵コメス侯爵夫人マルキオニッサから御受け取りになられたお手紙に書かれていたことは、皇帝陛下インペラートルへの御報告の内容と全く同じであるはずですから……」


 エーベルハルトは無意識に大グナエウシアから視線を逸らし、言葉を選び始める。大グナエウシアは膝の上に置いた両手をギュッと握りしめはしたものの、それ以外はそのままの姿勢で全神経をエーベルハルトの次の言葉へと向けた。


「つまり、皇帝陛下インペラートルは御存知ではありますが、あえて子爵令嬢ウィケコミティス・フィリアにはお話になっておられません。

 ですから、子爵令嬢ウィケコミティス・フィリアもこれから私がお話し申し上げることを、聞いていないフリ、知らないフリをしていただかねばなりません。

 よろしいですか?」


 確認を求めるエーベルハルトが向けた視線に大グナエウシアは一瞬身をひるませたが、すぐに胸を張る様に上体をわずかに前のめりにして頷いた。


「お約束します。

 ここだけの話にすればよいのですね?」


 その真剣な眼差しに、エーベルハルトは改めて自分の中であきらめがつくのを感じた。なんだかんだ言って、未だに迷いがあったのだ。思わずフーッと息を吐く。そして、気合いを入れなおすように深呼吸すると、改めて言葉を紡ぎだした。


「……降臨のあったその日、アルトリウシアで戦がありました。」


 エーベルハルトの押し殺したような声に、大グナエウシアの目がわずかにピクリと動き、眉が寄ってすぐに戻った。エーベルハルトは続ける。


ハン支援軍アウクシリア・ハンが叛乱を起こし、船で逃亡したのです。」


ハン支援軍アウクシリア・ハン!!」


 何故か大グナエウシアもエーベルハルトと同じように声を潜める。


「はい、逃亡した後のハン支援軍アウクシリア・ハンがどうなったかは不明です。

 街には被害が出たようですが、どの程度の被害かは書かれていませんでした。

 おそらく、一刻も早く降臨を報告せねばと、叛乱のことは二の次にしたのでしょう。」


 予想外の話に大グナエウシアは思わず身を起こし、胸元に下げたロケットペンダントを握った。中には家族の細密画が収められているものだ。もしも彼女の顔が体毛で覆われて無かったら、血の気が引いて真っ青になった様子が露わになっていた事だろう。だがコボルトの血を引く彼女の表情は真っ白な体毛によって覆い隠され、外からは瞳孔が小さくしぼむのが見えるくらいだ。そして、エーベルハルトはその表情の変化に気づくことなく、話を続ける。


「ですがご安心ください。貴族ノビリタスに被害が出たという情報はありません。

 御領主様方は要塞カストルムに被害を受けた領民たちを収容し、被害の復旧に努めておられるそうです。」


 エーベルハルトが話し終えると大グナエウシアは二度、三度と瞬きを繰り返し、潤み切った瞳を震わせるとスッと俯いた。胸元のペンダントを握る手にギュッと力が入る。


「へ、陛下も、ひとまず、家族のことは安心するがよいと、おっしゃっておられました。」


 そうか、あれはそういう意味だったのね……気づけなかった自分が不愉快なくらいに馬鹿に思えて仕方ない。


「はい、ハン支援軍アウクシリア・ハンは既に逃げ去っております。」


「でもっ!

 これからハン支援軍アウクシリア・ハンを討伐することになるのでしょう!?

 レーマは叛乱を許しません。ランツクネヒト族もそうなのでしょう!?」


 安心させようと宥めるエーベルハルトに対し、大グナエウシアはムキになったように反論した。今、自分の未熟さに気づかされたばかりの大グナエウシアには、エーベルハルトの優しさは却って馬鹿にされたかのような反発しか呼び起こさない。

 大グナエウシアの顔は、目元だけだが涙に濡れていた。ここのところ緊張続きで涙もろくなっていたのかもしれない。戦が起きたと聞き、居ても立ってもいられないような感情の昂ぶりを抑えきれなくなっていたのだ。


 戦は終わっていない。女で、そして子供な自分でもそれくらいは分る!


 しかしエーベルハルトはそんな大グナエウシアに優しく微笑んだ。


「たしかに、叛乱軍は討伐されるでしょう。

 ですが、それがいつのことなのかはわかりません。

 叛乱軍は逃げてしまいましたし、まさか降臨者様の御前で戦をするわけにもいかないでしょう?」


 その指摘に大グナエウシアは息を飲む。

 言われてみれば確かにそうだ。世界を破滅に導くほどの力を持つとされるゲイマー、その眼前で戦をするなんて火薬庫の前で火遊びをするようなものだ。


「だからこそ、御領主様方は連名で皇帝陛下インペラートルに御相談申し上げたのです。如何いかにすべきかと……

 皇帝陛下インペラートルもきっとお考えが御有りです。

 子爵令嬢ウィケコミティス・フィリアに叛乱のことをお知らせしなかったのもそのためでしょう。」

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