第972話 暗号

統一歴九十九年五月十日、未明 ‐ グナエウス街道第五中継基地スタティオ・クィンタ・ウィア・グナエウシイ前/西山地ヴェストリヒバーグ



 目の前で突然起きた交通事故。自分たちの立場と自分たちの置かれた状況も忘れて『勇者団』ブレーブスの面々は事故の処理にあたっていた。

 事故を起こした騎手のほうは死亡が確認されたものの、馬の方は重傷を負ったとはいえまだ生きており、ペトミーを中心にメンバーの半数がその手当てに集中する。ファドと共に落ち着きを無くした自分たちの馬を押さえつけながらペトミーたちの様子を見守っていたティフに呼びかける者があった。


「ブルーボール様!!」


 ただ一人、ペトミーたちの治癒作業に関与することも注目することも無く、死んだ騎手を調べていたソファーキングだった。


「何だ、ソファーキング?」


 死体を漁っていた時と同様、しゃがんだまま上体だけティフの方へ振り返っていたソファーキングは興奮気味に報告する。


「コイツ、レーマ軍の連絡将校ですよ!

 タベラーリウスとかいう奴です。」


「タベラーリウス?」


「馬を乗り継いで手紙を届ける通信兵です。

 手紙を持ってました、ホラ!」


 ソファーキングはそう言うと、ホブゴブリン騎兵の死体が肩から下げていた鞄から取り出した紙の筒を右手に持ち、立ち上がってバトンのように振って見せる。


 みんなが馬を助けている時に何やってんだコイツ?……と思い顔をしかめていたティフだったが、レーマ軍の通信文を入手したことの意味に気づくと表情を変えた。驚き半分、戸惑い半分という微妙な表情で一度周囲を見回し、「ファド、こいつらを頼む。」と自分が保持していた馬のくつわをファドに託して小走りにソファーキングに近づく。そしてソファーキングから丸められた紙の筒を受け取ると、注意深く眺めまわした。


「ホラ、蝋封がされてます。

 この紋章、アルビオンニウムの神殿で見たゴブリン部隊の掲げていた軍旗に描かれていた奴ですよ。レーマ軍のワシの紋章と……」


 ソファーキングが指で指示さししめした蝋封の紋章はたしかにレーマ軍のワシの紋章をアレンジしたもので、ここ数日彼らが何度かぶつかっているルクレティアの護衛部隊……アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの軍旗に描かれたものと同じだった。間違いなくレーマ軍の書類である。

 貴族として育てられたティフは他人の手紙を盗み見ることに忌避感を禁じ得なかったが、それが“敵”の通信であることを思い、わずかな逡巡を経て思い切って蝋封を切った。

 使われている紙はこの世界ヴァーチャリアでは既に一般的になったパルプ紙である。パピルスのように硬くなく、羊皮紙よりも薄くて軽い。ただ、回収された古紙を溶いては濃して再生する作業を幾度となく繰り返したのであろう、ティフの手にした手紙は紙というよりは不織布に近いものであり、硬さはなくて手で支えねばそのまま折れて垂れ下がるほど柔らかくしなやかであった。


「何だコレ?」


 ドキドキしながら開いた手紙だったが、書かれていたのは一見、意味のない文字の羅列られつである。書かれている文字は確かにラテン文字アルファベットなのに、文字の並びはまるで出鱈目でたらめで意味がわからなかった。

 てっきりティフに喜んでもらえると思っていたソファーキングは思わぬ反応に驚き、慌てて横から手紙を覗き込む。


「ああ~~~~、これは暗号ですね。」


「それは分かってる!」


 実際はソファーキングに言われるまで暗号化された文章だとは気づけなかったティフだったが、分からなかったという事実が恥ずかしかったのか分かっていたフリをした。


「暗号化されてたんじゃ内容が分からないじゃないか。

 せっかく手に入れたのに、これじゃ意味がないぞ。」


 ティフは不満げに手紙をソファーキングに押し付けた。ソファーキングはティフに不満をぶつけられたことに気づきもしないかのように受け取った手紙を無反応に見つめる。


 暗号か……そりゃそうだよな。

 軍隊の手紙だって聞いて思わず期待しちゃったけど、一瞬でも喜んで損した……


 性懲りも無く手紙を読み取ろうとするソファーキングを恨めしそうな目で見つめながらティフは溜息をついた。が、今回はティフの方が諦めるのが早すぎたようだ。手紙を見ていたソファーキングの表情が急に歪み始める。


「ブルーボール様!わかりましたよ!!」


「分かった!?」


 嬉しそうに顔をニヤケさせるソファーキングの報告に、ティフは耳を疑った。


「はい、暗号って言ってもかなり簡単な奴です。

 暗号表とか無くても簡単に解けます。ホラ、見てください。」


 誇らしげなソファーキングが改めて手紙をティフに見せつける。


「ホラ、これって各単語の一文字目は最初ですけど、二文字目は最後なんです。で、三文字目が二番目、四文字目が最後から二番目……文字を並べ替えただけなんですよ。

 だから先頭、最後、前から二番目、後ろから二番目、前から三番目っていう順に外側から読めば本来の単語になるんです。

 ラテン語ですよ。」


 ソファーキングに教えられたとおりに文字を並べ替えると確かに意味が通じてくる。一番最初の行は「AD SATCSAEIAARP CSOESDTU EX TIUOUMRNBR LGOENIE ATRUIISIOR」とあり、意味がまったく分からなかったのだが、教えらえた通りに並べ替えると「AD SPARTACASIAE CUSTODES EX TRIBUNORUM LEGIONE ARTORIUSII(アルトリウシア軍団司令部よりスパルタカシア護衛隊へ)」という文章が現れた。


「おお!

 凄いなお前!?

 何で分かった?」


 素直に感心するティフにソファーキングは自慢気に答える。


「まずレーマ軍のだからラテン語だろうってのは分かってたんです。

 で、“EX”と”AD”の二文字の単語はそのまんま使われてたから、単純な文字の並べ替えだろうって気が付いて……」


 あとは並べ替えの法則を見つけるだけだった。二文字の単語がそのまんまということは、二文字では並べ替えの法則を適用しても並び順が変わらないだろうということだ。つまり一文字目は必ず同じということ。そしてラテン語は日本語と同じように子音と母音が交互に並びやすい特徴があり、子音が連続して並ぶことは少ない。だから一文字目が子音なら次は高確率で母音になる筈なので、母音の位置を探ればいい。すると手紙全体を通して各単語の最後の文字が母音であるケースが目立つことに気が付く。で、先頭文字の次は末尾文字の順で読めばよい、じゃあ三文字目は……とアタリをつけて読んでみたところ、見事に文字が浮かび上がってきたというわけだった。


 おお、読める……読めるぞ!

 凄い、本物の軍隊の通信文だ!!


 暗号としてはかなり初歩的な、単純な方法である。ゆえに読み解きやすいが、前線部隊でも暗号表などの資料と照らし合わせる作業の必要性がない。このため、あまり重要度の高くない通信や急ぎの通信では、こうした単純な暗号が用いられていた。おかげで暗号通信なんていうものに無縁なティフにも読み取ることが出来る。


「悪いソファーキング、ちょっと黙っててくれ!」


 他人の手紙を読むという背徳感、そして敵の暗号を解読するという初めての体験に興奮を抑えられないティフは横から誇らしげに説明を続けていたソファーキングを退けた。いい気になって自分の手柄を誇っていたソファーキングはあまりな仕打ちに失望を露わにするが、暗号に夢中のティフはそれにも気づけない。

 が、ティフが通信文を半ばまで読み終え、ペトミーたちが怪我した馬の治療をおおむね終えた頃、状況は新たな変化を迎えていた。


「ペトミー様!ブルーボール様!!」


 一人で全員分の馬を預かって少し離れたところで待機していたファドが押し殺したような声で鋭く警報を発したのだ。


「レーマ軍が来ます!

 気づかれたようです!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る