第971話 事故

統一歴九十九年五月十日、未明 ‐ グナエウス街道第五中継基地スタティオ・クィンタ・ウィア・グナエウシイ前/西山地ヴェストリヒバーグ



 なんだ!?

 銃声!?

 ひょっとして見つかったのか!?


 ティフ、ペトミー、デファーグ、ファド、スワッグ、ソファーキングの六人と黒妖犬ブラック・ドッグのジェット、そして五頭の馬たちは一斉に銃声が聞こえた方向へ注意を向ける。濃霧と風によって高周波成分を大きく減衰させた銃声はあちこちで反響して発生源を特定できないが、やけに低くくぐもって彼らの耳に届いた銃声はおそらく西北西から北西にかけて……彼らが居るところから街道を降った先の方で鳴ったように聞こえた。

 銃声が鳴ったであろう方向へ視線を走らせるが、彼らの暗視魔法や暗視スキルをもってしても霧のカーテンにさえぎられた先の様子は何も見えない。レーマ軍が中継基地ステーションの前で焚いている篝火かがりびの灯りが、かすかにぼんやりと見えるくらいだ。


「俺たちを撃ったってわけじゃ、なさそうだな?」


 霧で視界を遮られているせいか、夜中の山中で、しかも敵基地のすぐ近くだということを忘れたティフとデファーグが割と大きな声で言い合う様子を心配していたペトミーが誰に訊くともなくつぶやくと、脇に控えていたファドが即座に応える。


「銃声は一発だけでした。

 レーマ軍なら、部隊単位で一斉射撃してくるでしょう。」


 その前に警告とかしてくるだろうとティフが突っ込もうとした時、彼らの耳に馬のひづめの音が届き始める。


 カカカッ、カカカッ、カカカッ、カカカッ……


 最初、かすかに聞こえていたその音は明らかにこちらを目指して急接近してきていた。その異常さに気づいたメンバーが次々と驚きの声をあげる。


「馬!?」

「おい、嘘だろ?

 この霧の中でなんて速さだ。」

「しかも夜中だぜ!?

 見えてるはずがない!」


 まだ姿が見えないその馬は音からして明らかに全力疾走していた。この真夜中の濃霧の中でだ。『勇者団』ブレーブスたちはスキルや魔法によって暗闇を見通すことも出来るので明るさだけならこの夜中でも問題ないが、しかし霧はどうにもならない。先ほどよりは晴れてきたとはいえ、闇夜を見通す暗視魔法を使っても十メートルも離れれば人の顔を見分けることもできなくなる霧の中で馬を全力疾走させるなど正気の沙汰とは思えなかった。


「もしかしたら馬が暴走してるのかもしれん。

 みんな、避ける準備をしろ。

 道を開けとくんだ。」


 一瞬、《地の精霊アース・エレメンタル》と繋がりのある何者かの奇襲を疑ったペトミーだったが、特に敵の存在や危険を察知した様子のないジェットを見て純然たるアクシデントであろうと判断してメンバーに警報を発すると、彼らは最寄りの馬のくつわをとって道路の端へ寄り始めた。

 その間も馬は霧の中をものすごい勢いで迫って来る。そして、その馬に乗っているであろう男の声も聞こえ始めた。


「助けてくれぇ!!

 ダイアウルフだ!!

 誰かいないかーっ!?」


 迫りつつあった馬は中継基地スタティオの前を通り過ぎ、そのままティフ達の居る方へ駆けてくる。


 ラテン語……やっぱりレーマ軍か?

 ダイアウルフ???


 思わぬアクシデントにより却って冷静さを取り戻したティフはおびえる馬を押さえつけながら慎重に身構える。その彼らの耳に届く馬の蹄の音が極限まで大きくなった次の瞬間、霧のカーテンを破ってそのホブゴブリン騎兵は現れた。


 ブヒヒィ~~~ンッ!!

 ブフィヒヒンッ!!


 驚いた馬たちが一斉に悲鳴を上げて逃げようとするのを、『勇者団』の一同は強引に押さえつけた。ホブゴブリン騎兵の馬も突然目の前に現れた一団に驚き、急に針路を変え、そして山側の土手に全速で突入する。


 ドガッという鈍い音を立てると馬はその巨体を空中におどらせ、背に乗せていた騎手を跳ね飛ばし、グルンと前転して背中から地面に落ちた。振り落とされた騎手は土手の壁面に頭から激突し、身に着けていた具足同士がぶつかるグシャッという鈍い音を響かせると、そのまま糸の切れた操り人形のように地面へ転がり落ちる。

 『勇者団』の一同は突然起きた事故の衝撃に言葉を無くし、ただ目を丸くして霧にかすむ惨状を見続ける。その彼らの視線の先で、背中から落ちた際に人間でいえば腰に相当するであろう場所をしたたかに打った馬が苦しそうに悲鳴を上げて悶えている。騎手の方はすでにこと切れているのであろう、ピクリとも動かなかった。苦しみ悶えながらもなんとか立ち上がった馬は左前脚を浮かせながらヒョコヒョコと騎手の方へ歩み寄り、心配そうに動かなくなった騎手に鼻を押し付ける。よく見れば馬の左前脚は折れてブラブラと揺れていた。


「お、おい……」


 誰かが躊躇ためらいがちに声をあげると、それを合図に全員がハッと我に返る。


「おい、生きてるか!?

 死んだんじゃないのか?」

「自分がます!」

「馬が邪魔だ、退けろ!」

「ペトミー、馬をてやってくれ!」

「まかせろ!」


 正気に返った『勇者団』たちは互いに声をかけあいながら倒れた騎手と事故を起こした馬に駆け寄っていく。


「おい、大丈夫か!?おい!…うっ」

「どうだ、生きてるか!?」

「ダメです。首が変な方へ曲がってる……頭から岩にぶつかったんだ……」

「馬はどうだ!?」

「脚が折れてる……フーマン様!」

「治癒魔法をかけてみる、抑えててくれ。

 他の馬が邪魔だ!

 ファド!馬をそっちへ連れて行け!」


 残念ながら騎手のホブゴブリンは既に死んでいた。馬の全力疾走の勢いそのまま頭から岩にぶつかったのだから助かるのを期待する方がおかしかったのかもしれない。

 ホブゴブリンは人間よりも骨格が頑丈で筋肉が発達しており、ヒトに比べて身体は非常に強い。筋力では常人でもヒトより二倍以上あるのが普通だ。しかし、その分体重が重い傾向にあり、こういう事故ではヒトよりも重症化しやすい傾向にある。筋肉量がある分、上手く受け身をとるなどして衝撃を吸収したり逃がすことができれば、ヒトよりもずっと強い衝撃に耐えられそうな気はするのだが、予想外の事故では鍛錬を重ねた武道家でも咄嗟の受け身は取り損ねることは珍しくないのだ。ましてそんな武術など身につけても居ないただの騎兵に受け身など期待する方が無理であろう。豊富な筋肉量はこういう事故では慣性エネルギーを増す結果になり、ぶつかった個所にかかる負荷を増大させ、それがそのまま身体にダメージを与える破壊エネルギーと化してしまう。

 ホブゴブリン騎兵にとって落馬事故は、ヒトのそれよりもより容易に死へ直結しやすい危険なものだった。


 デファーグとスワッグの二人によって騎手から引き離された馬の方は、振り落としてしまった騎手の死を悟ったのか悲し気ないななきを繰り返していたが、次第に自分自身の身体の痛みが強くなってきたのであろう、二人に抵抗するのをやめて次第に大人しくなっていく。

 そこへペトミーが駆け付け、馬を宥めながら怪我の具合を確認すると、治癒魔法をかけ始めた。NPCの聖貴族が使うような、ただ対象の自然治癒力をブーストするだけの劣化治癒魔法レッサー・ヒールなどではなく、ゲーマーの息子に相応しい強力な治癒魔法ヒールである。ただ、それでも馬の骨折ともなると一度では治癒しきれず、二度三度と立て続けに掛ける必要があった。

 事故に気が動転したペトミーはいざという時にグリフォンやペガサスを召喚して逃げるためにとっておいた魔力まで費やしてしまった。そのことにペトミーやティフが気づくのは事故の処理が落ち着いた後のことだったが、その甲斐あってか馬の怪我の方は何とか全快まで回復させることができていた。

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