ライムント街道の情勢

第453話 後方攪乱作戦の提案

統一歴九十九年五月五日、午前 - エッケ島大本営前/アルトリウシア



 アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアのアルトリウシア救援隊から抽出された臨時編成の大隊コホルスマニウス要塞カストルム・マニを出発したのとほぼ時を同じくして、ハン支援軍アウクシリア・ハンの騎兵隊長ドナートはエッケ島へと戻っていた。昨日の顛末てんまつをディンキジクに報告するためである。


 朝食を終えたディンキジクはドナートからの報告を屋外で受けた。彼らが宮殿と呼んでいる巨大な竪穴式の縦長のドームハウスではハン族の王族たち全員が起居しており、ドナートのような王族以外のゴブリン兵をいたずらに招き入れるのは好ましくない。王族の私的な生活風景をむやみに晒しては、王族の権威に傷がつきかねないからだ。


「ディンキジク様におかれましては、ご機嫌うるわしゅう存じ上げます。

 御目通り叶い、このドナート、恐悦至極に存じ奉ります。」


「うむ、苦しゅうない。」


 ディンキジクが出て来るのを膝をつき、頭を垂れて待っていたドナートは、宮殿から出てきた貴人の足だけを見てそれをディンキジクと判断し、早速挨拶の口上を述べると、ディンキジクはこれを見下ろして応えた。


「その様子では何か手柄を挙げたという類の話ではなさそうだな?」


「ハッ、残念ながら…」


「ここは人目がある、少し向こうへ行って話を聞こう。」


 これからドナートが報告しようとしていることが他人には聞かせない方が良い類の話であることを察したディンキジクは、宮殿前に立つ門衛の耳目を気にして場所を替えることにした。


「ハッ、ご配慮たまわり、ありがたく存じ上げます。」


 二人は少し歩き、宮殿前の広場を横切って反対側まで行くと、そこに転がっている一抱えほどもある大きな石の上にディンキジクが腰を下ろし、ドナートはディンキジクの正面に跪いた。そこからはアルトリウシア湾とその向こうのアルトリウシアが一望できる。

 ディンキジクはほぼ水平線に近い位置に見えるアルトリウシアへ視線を向けてドナートへ報告を促した。


「よし、ここなら誰にも聞こえまい。申すがよい。」


「ハッ、昨日…昨日午前、アイゼンファウストから銃撃を受け、部下の一人が重傷を負いました。」


 さすがにディンキジクは驚き、パッとドナートを見て息をのむ。


「まさか見つかったのか!?」


「いえっ、断じてそのようなことは!!」


 思わず浮かせかけた腰を落ち着かせ、ディンキジクは自身の胸に手を当てて静かに深呼吸すると詳細を確認する。


「詳しく申せ、見つからなんだら銃撃なぞ受けるはずもあるまいが?

 ましてセヴェリ川越しなら狙ったところで当たるわけもない。」


「ハッ、それが…それが敵はオハザンを撃ってきたのです。」


「オハザンだと!?」


 オハザンとはアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアが装備する南蛮製の長小銃オーハザマのことである。レーマ側では元々オハザンと呼ばれていたのだが、アルトリウシアではコトが輿入こしいれする際に正式に贈られた際にオーハザマとより正確な呼び名が伝えられ、呼び方を改めていた。しかし、アルトリウスに贈られたオーハザマはハン支援軍には回ってこなかったため、ハン支援軍では今でもオハザンと呼ばれ続けている。

 ハン支援軍は南蛮との戦闘で何度かその威力を見せつけられており、オハザンの存在自体は知っていた。一度だけ完全な状態で鹵獲もしたことがあったが、体格の小さなゴブリン兵では使いきれないと判断され、当時のアルビオンニア属州領主ドミヌス・プロウィンキアエマクシミリアン・フォン・アルビオンニア侯爵に献上している。アルトリウスの結婚の際も同じ理由でを断っており、ハン支援軍には配備されないままでいた。


「バカな、あれは野戦では使えんから要塞カストルムでのみ使うとかいう話ではなかったのか!?」


「ですが、確かに見ました。

 弾もこれ、この通り。」


 ドナートは懐から被弾した部下の腕を貫いた弾丸を取り出すとディンキジクにうやうやしく差し出した。それはドナートの部下シュロハの上腕にめり込み、骨を打ち砕いたうえで反対側へ飛び出したものの、そこで運動エネルギーを失っていたために鎧下の袖の生地を貫き切れずに止まっていた物だった。このため先端部分は酷く潰れて変形していたが、後ろ半分は銅板の尾翼の付いた紡錘ぼうすい形の特徴的な形を保っており、長小銃オーハザマから撃たれた弾であることは疑いようが無かった。

 身を乗り出して差し出されたドナートの手を覗き込んでいたディンキジクはそれがオハザンの弾であることを確認し、気持ち悪そうに顔をしかめると姿勢を戻す。


「オハザンで撃たれたのは分かった。

 それはもうよい、片付けよ。」


「ハッ」


 ドナートはシュロハの血肉にまみれたままの弾丸を懐に戻して続けた。


「セヴェリ川沿いには常に百名近い兵士が張り付いております。

 天幕を張り、雨が降っても射撃できる用意を整えてございます。

 夜も絶やすことなく火を焚き続け、付け入る隙がございません。」


 ディンキジクは憮然として立ち上がり、平伏するドナートを見下ろした。


「では出来んと申すか!?

 奴らに馬鹿にされたまま、諦めよと!?

 貴様とて部下を撃たれたのであろうが!?」


 気位の高い王族としてはバカにされたままで引き下がることなど出来ようはずもない。ディンキジクは先月の蜂起以来ずっと負け続きだ…少なくとも本人はそう思っている。


 敵の陰謀によってまんまとたあげく、兵の半数を失うという大損害を生じさせ、そのうえ『バランベル』号まで沈めてしまった。あの日は危うくハン支援軍は全滅するところだったのだ。

 何とかエッケ島へ落ち延び、『バランベル』号も一応引き上げはしたが修理できるかどうかは疑わしい。何しろハン族を滅ぼすための陰謀を企てた連中のことだ。わざわざ『バランベル』号を修理してくれると期待する方が難しいだろう。修理できたとしても、なんだかんだとハン族には理解できない理屈をこねて修理しようとしないに違いない。

 そしてエッケ島の防御を固めようとすれば何のかんのと文句をつけて来る。おかげでせっかく途中まで作っていた砲台建造は棚上げになったままだ。このまま奴らのてのひらの上で踊らされ、くびり殺されてはかなわない。せめて一太刀なりとも報いてやらねば、ディンキジクの腹の虫がおさまらない。

 それにイェルナクにも借りを作ったままになってしまう。何とかハン族の面目を回復し、奴らを見返してやらねばならないのだ。


「恐れながら、セヴェリ川を渡るお許しを…」


「ならん!!」


 ドナートの求めをディンキジクは大声を上げて否定した。さすがのドナートもビクッと身体を震わせる。広場の反対側に居た門衛が何事かと驚いてこちらを見、ディンキジクと目が合うとサッと視線を逸らせた。ディンキジクはスッと腰を落とし、屈みこんでドナートに顔を寄せ、声を潜める。


「セヴェリ川の防備がそれほど堅いのであれば、いかな『単騎駆け』とて渡れるわけがないであろう!

 我らはあそこに居てはならんのだ!

 見つかってはイェルナクの苦労が水泡に帰す!

 そうなったらワシはイェルナクにどう顔向けすればいいのだ!?」


「ハ…恐れながら、代案がございます。」


 ディンキジクの声量に合わせてドナートも顔は地面に向けたまま声を潜める。ディンキジクはドナートの意外な言葉にわずかに驚き、屈んだまま体重を右足から左足にずらした。


「代案だと?」


「ハッ、セヴェリ川を渡ってダイアウルフを暴れさせます。

 ですが、その場所はアイゼンファウストではございません。」


 ディンキジクは腰を落としたままわずかに上体を上げた。


「ふむ…申して見よ。」


 ドナートは平伏したままわずかに頭を持ち上げ、ディンキジクにだけ聞こえるように声を潜めたまま説明を始める。


「ハッ、畏れながら…敵が防備を固めているのはマニウス要塞より西側のみ…アイゼンファウストのあたりだけです。ですので、マニウス要塞よりも東…敵の目の届かないセヴェリ川の上流で川を渡り、グナエウス街道を襲うのでございます。」

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