第58話 《酉ノ門》の惨劇

統一歴九十九年四月十日、午前 - 《酉ノ門》・《陶片》地区/アルトリウシア



 通称 《海軍基地通りウィア・カストルム・ナヴァリア》を埋め尽くし《陶片テスタチェウス》へ殺到する避難民の群れは一向に減る様子を見せない。

 リクハルドヘイム地区の中心にある《陶片》への西側からの入り口は《とりノ門》しかなく、《陶片》を迂回して東へ逃げようにも《陶片》の南北にはウオレヴィ川やヤルマリ川へ流れる排水路があって、徒歩では渡れない。

 かといって北のウオレヴィ川や南のヤルマリ川の向こう側では既にハン支援軍アウクシリア・ハンの陽動部隊が暴れまわっていたし、川を渡る橋はゴブリン兵が陽動部隊の退路を確保するために封鎖している。

 四千人を超えると思われる海軍基地カストルム・ナヴァリア城下町カバナエの住民たちにとって、《陶片》の《酉ノ門》は今やハン支援軍の暴虐から生き残るための唯一の活路だった。

 必然的に海軍基地城下町の住民は《酉ノ門》へ殺到する。


 それにしても《酉ノ門》の道幅は三ピルム(約五メートル半)もあるのだから、もしも全員が最低限度の荷物だけを持って軍隊のように整然と整列して進んだなら、たとえ城下町の住人四千人どころか一個軍団レギオー約五千人が《陶片》へ来たとしても、半時間程度で全員収容することができていただろう。


 だが避難民は軍隊ではない。


 大半の者が何らかの荷物や家財道具を抱えており、中には荷車を引っ張ってきてた者や荷馬車に乗ってきた者もいた。

 現在 《陶片》の東側の門は全て閉鎖中なので、今荷馬車を受け入れると《陶片》内の街道ウィークス上に停めるしかない。そうすると《陶片》内の交通が麻痺してしまうし警備上も問題があるため、緊急時とはいえ荷馬車の入門は拒否せざるを得ない。

 このため、入門を断られた荷馬車が門前で立ち往生してしまい、殺気だった避難民たちに揉まれ、御者に怒られ、門衛にしとどめられた駄獣が興奮し、暴れ出したため止むを得ず殺処分してしまう事件も起きていた。

 そして動けなくなった荷馬車は道を塞ぎ、状況を悪化させた。


 避難民の収容を遅らせている理由としては他にも、入門者の確認作業もしなければならないという事情もあった。

 事前に察知している計画には含まれていなかったが、ゴブリン兵が避難民に紛れて侵入し《陶片》内で破壊工作をする可能性はゼロでは無かったし、この機にハン支援軍から脱走するゴブリン兵もいないとも限らない。

 明らかにハン族とは異なるヒトやブッカはそのまま通しても問題ないが、男性ホブゴブリンや小柄なブッカはハン族のゴブリンが変装してる可能性があったので一々門衛にチェックさせていた。


 おかげで《酉ノ門》に避難民が殺到してからもう半時間は経つというのにまだ千人ほどしか収容できていない。

 そして柵の外にはまだ二千人近い群衆が《陶片》へ逃げ込むべく詰めかけている。

 つまり、リクハルドたちが《陶片》の外へ出るためには少なくともあと一時間以上は待たねばならぬという事だ。



 そんなに待ってたらあいつらハン族は行っちまうぜ。

 抜け駆けで手柄あげようと思ったが、こりゃ無理っぽいな。


 チャンスを逃してしまったのは惜しいが、別に何かを失うわけでもない。

 多分、大損害を受けてるであろうティグリスやメルヒオールに比べ、今日のことを損失ゼロで切り抜けられたならむしろラッキーなくらいだろう。ティグリスやメルヒオールに支援の手を差し伸べる余裕が残されているなら、今後の利益につなげられるはずだ。

 今収容している城下町の住民は海軍関係者やブッカたちで、彼らをたすける事はセーヘイムのヘルマンニ爺さんたちへの大きな貸しになる。

 そう、今のところ何一つ損はしてないし、損害も出ていない。


 未練を断ち斬りきれない自分を慰めながら、ふと遠くを見たリクハルドの目に南西の空へ吹き上がる爆煙が映った。


「あぁん!?」


 ッパパンッパン!


 一拍遅れて落雷のような、腹にまでズシンと響くような轟音が耳朶じだを打つ。

 あたりを満たしていた悲鳴と怒号が一瞬静まり、その後不安げな悲鳴一色に塗り替えられた。見れば全員が呆気にとられたかのように足を止め、南西で立ち昇る煙に注目している。


「なんだぁありゃぁ?」


「城下町・・・より向こうですね。ありゃ橋の方ですぜ!?」


「橋だと!?」


 何気に口からこぼれたリクハルドの疑問に手近なところにいた手下の一人が答えると、それまで弛緩気味だったリクハルドの表情はハッとしたように引き締まったものへと変わった。


 あいつらハン族やりやがったのか!?



 この瞬間までリクハルドはハン族が橋を落とすつもりだったことをすっかり忘れていた。

 陽動部隊が出払った直後にリクハルドが突入して城下町から人狩り部隊を追い出し制圧してしまえば橋を落とす意味は無くなるし、橋を爆破するための火薬を海軍基地から橋まで運ぶこともできなくなる。陽動部隊が帰ってこない様に橋の手前に五十人ずつ手下を配置する予定だったし、橋が爆破される可能性は無いとたかをくくっていたのだ。

 しかし、リクハルドが出撃できず城下町がフリーになっている以上、橋が破壊を免れる理由はなくなっていたのにそのことを失念していたのだ。



 まずい、ヤルマリ橋はともかくウオレヴィ橋まで落とされてウオレヴィ川を渡れなくなったら、うちリクハルドヘイムだってとは言えねえ。


 ウオレヴィ橋はセーヘイムと《陶片》を繋ぐ、リクハルドヘイム経済にとっての大動脈である。断ち切られれば確実に影響が出てしまう。

 想定外の危機が差し迫っている事実に気付いたリクハルドは急に焦り始めた。


「北は!?ウオレヴィ橋の方はまだ無事か!?」


「あっちはまだ・・・爆発は無いようですが・・・」


 突然のリクハルドの態度の豹変に戸惑いつつ手下が答えると、リクハルドは喚き始めた。


「くそぉ、出るぞ!今すぐだ!!」


「無茶言わんでくださいカシラ!避難民こいつらどうすんですか!?」


 最初は邪魔くさい避難民を前に功を焦る手下たちが避難民を蹴散らそうとするのをリクハルドが宥めていたのだが、今は逆に手下がリクハルドを宥めなければならなくなってしまった。


「何とか考えろ!この際、柵を内側から壊したってかまわねぇ!!」


 リクハルドが急に焦りだした理由をイマイチ理解できない手下たちが戸惑っていると、今度は柵の外側・・・南の方から喊声かんせいが聞こえてきた。

 数はさほど多くないが特徴のある雄叫びだった。


 見るとそこには突撃態勢で全力疾走するハン支援軍ゴブリン騎兵九騎の姿があった。


「んんっ、あいつら何処から来やがった!?」


 ティトゥス要塞カストルム・ティティ城下町とマニウス要塞カストルム・マニ城下町への陽動に騎兵が投入されることは分かっていた。そして陽動後は《陶片》を経由して海軍基地へ帰り、その際に《陶片》に投擲爆弾グラナートゥムを数発投擲することも知っていた。

 だからこそ、東の三つの門を封鎖して四十人ずつの守備隊を置いていたし、その守備隊によるものとおぼしき一斉射撃の音も二回ほど聞こえている。その音でゴブリン騎兵が東から来たんだなという事も察していた。

 それ以降の発砲音がしないということはゴブリン騎兵は逃げ散るか全滅するかしたんだろうと思っていた。

 《陶片》周辺の東から西へ回るルート上には罠も仕掛けてあったし、排水路もあるから《酉ノ門》へは来ないだろうと思っていた。排水路は幅三ピルム(約五メートル半)で深さは二ピルム(約三・七メートル)ほどもあって、川まで続いているのだ。


 だが実際はドナートたちは《陶片》の柵越しの銃撃を避けるために距離をとって迂回したため、リクハルドの手下たちが罠を仕掛けてあった範囲の外側を通過していたし、おまけに幅三ピルム程度の排水路はダイアウルフにとって飛び越えられない程の障害ではなかった。ただ、《たつみ門》の前で被弾したゴブリン騎兵は騎乗したダイアウルフが跳躍した際に振り落とされてしまっていたが・・・。


 偶然にもリクハルドの用意した罠をくぐったドナートたちゴブリン騎兵は草原の狼のように広く散開しつつ無防備な羊の群れ避難民へと襲い掛かった。



「高くだ!三回振ってから高く投げろ!!

 やつらの頭上で爆発させろ!」


「「「おう!!」」」

 

 ドナートは肩から下げた投擲爆弾のピンを抜いて発火させると肩から外し、肩紐を持って三回振り回して避難民たち頭上へ向けて投擲した。それにあわせて後続の八人も同じように投擲する。


 ゴブリン騎兵に気付いた避難民たちは悲鳴を上げて逃げようとしたがもう遅かった。多くの避難民は道を外れて反対側の北の原野へ逃げようとしたが、道路の北側にいた者たちは南から迫るゴブリン騎兵の姿など見えてなかったから退いてくれない。むしろ押し出されないように押し返そうとすらしてくる。

 恐慌状態に陥った避難民たちの頭上に投擲爆弾は容赦なく襲い掛かった。


 九つの投擲爆弾は避難民たちの頭上半ピルム(約九十二センチ)から一ピルム(約百八十五センチ)の範囲で次々と爆発し、開発と製造に携わった者たちの期待通りの威力を発揮した。

 頭上から降り注いだ榴弾によって三十二人が即死、八十七人が重軽傷を負ったが、爆発の衝撃で動転し、煙で視界を奪われパニックを起こした避難民たちが互いに押し合い、転倒し、踏みつけられることで死傷者の数は更に増えた。

 煙が晴れた時、道路上には四十七人の遺体と七十九人の重症者が血と泥と煤にまみれて横たわっていた。負傷者が苦悶の声を、子供が泣き声を、家族を傷つけられたものが助けを求める声をあげている。


「やろぉ、やりやがったなぁ!」


 爆弾投擲後振り返ることなく全速力で西へ走って行ったゴブリン騎兵を目で追いながらリクハルドは拳を握りしめた。しかし、苦々し気な口調とは裏腹に、その表情はどこか喜悦に歪んでいるように見える。


「カシラ!」


「何だ!?」


「今なら出れます!!」


 道路上を埋め尽くしていた避難民の多くは道路から北へ散っており、道路上には死傷者と死傷者の手当てをしようとする者と逃げ遅れた者しか残っていなかった。

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