第59話 撤収準備

統一歴九十九年四月十日、午前 - アルトリウシア海軍基地/アルトリウシア



 住民の三分の二が既に《陶片テスタチェウス》へ逃げ出してしまった海軍基地カストルム・ナヴァリア城下町カナバエではハン支援軍アウクシリア・ハンの人狩り部隊が逃げ遅れた獲物にんげんを容赦なく狩り立てていた。


 自らも住民であり住民を守るべき立場にあった水兵たちは、今朝の朝食をっているかこれから摂ろうとしているところを突然襲われ、約一割は第一撃で死亡するか重傷を負うかしてしまっていた。


 当直だったわずかな水兵は海軍基地の一部の建物に立てこもって絶望的な抵抗を続けていたが、彼らには出来る事は最早何も残されていなかった。

 ゴブリン兵は水兵たちが立て籠もる建物から短小銃マスケートゥムで自分たちを撃ってこれないよう、建物の外側に内向きにバリケードを築いて逆に閉じ込めてしまっており、そのうえ御丁寧に火までつけてくれていた。

 水も手に入らない状況で限られた手段で消火作業に奮闘する彼らだったが、脱出不能な炎の檻の中の彼らに残された時間があまり長くはないであろうことは疑いようがなかった。


 それ以外の水兵は抵抗しようにも出勤前だったので武器らしい武器も持ち合わせておらず、せいぜい住民の避難誘導ぐらいしかできない。

 その三分の一は怪我人や病人、老人や子供を背負って《陶片》への脱出を果たしており、残りは尚も城下町に留まって逃げ遅れた住民を探したり、バリケードを築いたりゴブリン兵から武器弾薬を奪うなどして蟷螂とうろうの斧を振るっていたが、その過程で約半数は負傷するか捉えられるか投降するかして脱落を余儀なくされていた。



 アンブースティアやアイゼンファウストから戻ってきた陽動部隊を新たに指揮下に加え、今やハン支援軍の残存兵力の大半を掌中に納めて人狩り作戦の指揮を執るオクタルは苛立ちをつのらせていた。


 住民たちの避難が早すぎる。事前に知っていたとしか思えん。


 実際にそうだった。

 城下町の有力者たちはティグリスから警告を受けており、次いでリクハルドからもイザという時は《陶片》へ逃げ込むよう申し出も受けていた。

 ティグリスとリクハルドから話が来たのが昨日のことだったので住民たち全員への周知は間に合わなかったが、それでも住民の約半数はある程度の荷造りを前日のうちにすませ、人狩り部隊が襲い掛かるのと同時に避難を開始する事が出来たのだった。中には前日のうちから知人や親戚を頼って他の地区へ逃れていた者もいた。

 おかげでオクタルの指揮する人狩り作戦は思うように進展せず、水兵たちの予想を上回る抵抗と妨害もあって計画の遅滞を生じさせていた。



 女だけで三百は捕まえたかったが今ようやく二百かそこらだ。ぎ手だけならもう十分だが、これじゃあ足らん。兵たちに女を行きわたらせることが出来ん。

 なのに住民のほとんどはもう逃げてしまった。


 逃げ遅れて隠れている住民をあぶりだす作業を続ける部下たちに細々こまごまとした指示を出し続けるオクタルに声をかける者があった。


「オクタル様!!」


 苛立つオクタルが呼び声に振り返ると、そこにはダイアウルフに跨ったドナート率いるゴブリン騎兵隊の姿があった。

 ドナートたちが出撃の際には左右にたすき掛けに下げていた投擲爆弾グラナートゥムが見えなくなっているし、今ここに姿を現したという事は作戦自体は遂行されたのだろう。

 だがドナートが率いるマニウス要塞カストルム・マニ襲撃部隊は十四騎いたはずなのに九騎しか見えない。


「おお、ドナート!

 無事か!?陽動ようどうは上手くいったのか?」


 ドナートは今や貴重となってしまった機動戦力を任されるほどの戦士だ。当然、オクタルもドナートの顔と名前は知っていた。

 オクタルはまたもや騎兵の数が減ってしまった事に心を痛めつつ、ドナートたちの帰還を喜び顔をほころばせてねぎらった。

 しかし、次の瞬間ドナートから発せられた報告はオクタルに衝撃を与える物だった。


「オクタル様!リクハルドが裏切りました。」


「何だと!?」


 言っている事の意味が理解できず、オクタルは思わず聞き返した。


「《陶片テスタチェウス》から銃撃を受けました。」


「偽装とはいえお前たちが攻撃したのだ、反撃くらいはするだろう!?」


 何だそんなことかと言わんばかりにオクタルは引きつった笑みを浮かべ、現実からの逃避を試みる。

 ハン族の王族貴族や高級将校は皆 《陶片》で接待を受けていた。オクタル自身、幾度となく《陶片》へ赴き、リクハルドとは懇意こんいにしていた。

 リクハルドはいつだって歓迎してくれたし、いつも良くしてくれた。ハン族の要望に良く応えてくれたし、いつも力になってくれた。ハン族のゴブリンが問題を起こした時は、いつも味方に立って問題解決に尽力してくれた。

 そのリクハルドが裏切るなどあり得ない。


「いえ!我らが攻撃する前です。」


「何かの間違いだ!

 リクハルド殿は我らの盟友だぞ!?」


「《陶片》の門は閉ざされていました。

 そして接近する我らを一斉に撃ったのです。」


「・・・・・」


ティトゥス要塞カストルム・ティティ襲撃部隊は私の眼前で一斉射撃をモロに喰らい半数以上が殺されました。

 その後、我らも撃たれました。」


「ではティトゥス要塞へ行った連中は!?」


「わかりません。すぐにはぐれてしまいましたから。

 ですがおそらく・・・」



 ティトゥス要塞襲撃部隊が最初に撃たれた時、半分以上がたおされたのは確かだ。あの時、無事そうに見えたのは四騎か五騎程度だったと思う。

 生き残った彼らがドナートのようにそこから大きく迂回していればそのうち戻ってくるかもしれないが、先頭を走っていた筈の指揮官が斃れた以上、経験の浅い後続の新米騎兵が生きて帰ってこれる可能性は低いと言って良いだろう。



「・・・・・どうして!?

 いや、どうしろと言うのだ!?」


 オクタルはまだドナートの報告を信じられず、考えをまとめる事が出来ない。


 ハン族は弱い。

 ハン族はゴブリンからなる部族だが、子供のころから栄養状態のよい王族や貴族はホブゴブリン化している。ホブゴブリンとゴブリンでは体力がまるで違い、まともに当たってはまず相手にならない。自身も王族でホブゴブリンで、ゴブリンたちと一緒に暮らしてきたオクタルはそのことを良く理解している。


 ハン族が他種族の軍隊に優位に立てるとしたら、ダイアウルフを駆って広く開けていて背の高い草が生い茂った草原で機動力を生かした集団戦を挑める場合だけだ。そしてそのダイアウルフの優位性も、他の騎兵がそうであるように鉄砲を主兵装とする時代になってからは失われてしまっているのだ。


 今ここでゴブリン兵が城下町を荒らしまわっていられるのは、武装した対抗勢力が存在しないからに他ならない。

 それなのにもしここへリクハルドの手勢が押し寄せたらどうなるか、考えるまでも無いことだが、オクタルはまだリクハルドに裏切られていたという事実を咀嚼そしゃくしきれていなかったし、それゆえに考える事自体ができなくなっていた。



退きましょう!」


退くだと!?」


 オクタルはドナートの献策に驚いたような表情を浮かべた。

 そこに冷静な色はない。

 だが、ドナートはあくまでも冷静に話を続けた。


「リクハルドは戦上手と聞いています。

 門を閉ざし、柵の内側に手勢を並べて待ち構えていました。

 最初から我らを討つつもりだったとしか思えません。

 おそらく、すぐにでもこっちへ攻めてきます。」


「ありえん!

 もしそうなら、とっくにここに攻めてきている筈だ!!」


 オクタルが叫んだことは確かにその通りだ。

 リクハルドが最初から裏切るつもりなら、城下町ここはとっくにリクハルドの手勢に制圧されていなければおかしい。

 これはドナート自身も疑問に思い、《陶片》で撃たれてから今までずっと考え続けていた事だった。ドナートは自分なりに考え、導き出した答えを語りだした。


「作戦なのかもしれません。」


「作戦だと!?」


「我らが橋を落とす前に攻めれば、北のアンブースティウスや南のフォン・アイゼンファウストも手勢を引き連れて雪崩なだれ込んでくるでしょう。

 ですが、我らが橋を落とした後なら、誰にも邪魔されずに手柄を独占できます。

 ヤツリクハルドはきっとそれを狙っているのでしょう。」



 それはこれまでドナートが聞いたことのあるリクハルドの戦い方から導き出した答えだった。

 リクハルドは戦上手で知られている。そして、手柄のためには味方すら犠牲にすることもいとわないという。

 郷士ドゥーチェに取り立てられるきっかけとなった海賊退治の折には、最小勢力だったにもかかわらず最大の戦果を挙げた。その時、友軍であるはずのメルヒオールやティグリスの手勢を陽動に使い、海賊たちの攻撃をそちらに集中させておいて自分たちだけは迂回して海賊の本拠地を強襲したのだ。



「貴様はリクハルド殿を何だと思っておるのだ!?」



 ドナートの予想した作戦はハン族にとっては考えられない非情な作戦と言えた。

 ハン族はダイアウルフと協力した戦い方をする。そして、ダイアウルフを始め狼という獣は集団での狩りが得意だが、味方を犠牲にするような戦い方は決してしない。味方を排除して獲物を独占するような戦い方も同様だ。ダイアウルフと強調して戦うハン族も自然とそういう戦い方や考え方が身についている。


 そんなハン族にとって、ハン族のエラクの弟であるオクタルにとって、ドナートの予想した作戦は非常識であり卑怯であり卑劣な戦い方と言えた。

 まだ心のどこかでハン族の盟友と位置付けているリクハルドをそんな卑劣な男だとは思いたくない。そんな心情から、オクタルは思わず声を荒げた。


 だが、そんなオクタルを無視してドナートは続けた。



南の橋ヤルマリ橋は爆発が見えましたが、北の橋ウオレヴィ橋はどうされましたか?」


「・・・北はバランベルからの砲撃で落とした。」



 本当はウオレヴィ橋もヤルマリ橋も両方とも火薬で爆破する予定だった。

 だが、ティグリスとメルヒオールの反撃が想定よりも早く開始されたため当初の計画はだいぶ狂ってしまった。


 ウオレヴィ橋は爆破準備作業を開始する前にティグリス軍が橋に殺到したため、予定には無かった『バランベル』からの砲撃でティグリス軍を追い払わねばならなくなった。ティグリス軍は追い払ったが、アンブースティア襲撃部隊の損害があまりにも大きかったこともあり、火薬での爆破を諦めてそのまま砲撃で橋を落とすことになった。


 また、南ではやはりメルヒオール軍の反撃があまりにも早かったうえに爆破準備作業を対岸からの銃撃で妨害され、火薬が足らなくなったため仕方なくウオレヴィ橋爆破に使うはずだった火薬をヤルマリ橋爆破に転用する事態となっていた。


 この結果、南は辛うじて火薬で爆破できたが、北では爆破は行われなかった。

 ティグリス軍とメルヒオール軍の対応の速さやリクハルド軍が反撃の準備を整えていた事から考えて、今日の蜂起の計画はだいぶ漏れていたと考えられる。

 であれば、ウオレヴィ橋とヤルマリ橋が爆破される計画だったことも知られていたと考えて間違いないだろう。

 だとすれば、リクハルド軍が未だに攻めてこない理由は明らかだ。彼らは攻撃すべきタイミングを待っているのだ。



「じゃあ、リクハルドはまだ北の橋が落ちてないと勘違いして攻めてこないのかもしれません。」


「貴様、本気でリクハルド殿が裏切ったと思ってるのか!?」


「そうです!」


「ぐっ・・・」



 オクタルは未だにリクハルドを信じたがっていた。だが、その気持ちはドナートによって明確に冷徹に否定されてしまった。ドナートのまっすぐな視線に気圧けおされ、オクタルは口をつぐまざるを得なかった。

 どうすればいいか考えようとするが、考えがまとまらない。

 当然だ。それまで信じていたものを否定され、精神的にショックを受けている状態でまともにモノを考えられるわけがないのだ。


 リクハルドはどの程度の兵を集めているだろうか?

 郷士なら必要に応じて五百人を徴収する権限と五百人分の武器を与えられている筈。だとすればハン支援軍アウクシリア・ハンの全軍よりも頭数が多いことになる。

 リクハルド軍は強い。アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアほどではないにしても、ティグリス軍やメルヒオール軍より強いだろうことは疑いようがない。

 そしてハン支援軍は弱い。ティグリス軍やメルヒオール軍とぶつかって大損害を受けて撤退し、そして今も海軍基地城下町で碌に武器も持っていない水兵たちのゲリラ戦によって無視できない損害を出してしまっている。

 ここへリクハルドが手勢を百ほども連れて来れば、ハン支援軍は完膚かんぷなきまでに叩きのめされてしまうだろう。


 そんなリクハルド軍が来る。来てしまう。



「どうする?

 どうすればいい!?」


城下町カバナエに火を放ちましょう!!

 リクハルドが攻めてこれない様に!

 それから撤収するのです。」


 城下町への放火は元々の計画には無い。

 ただ、海軍基地には各所に火薬たるを仕掛けたうえで放火する予定であり。爆発の余波で城下町へも甚大な被害が発生する事が予想されたため、わざわざ放火しなくていいだろうと計画から省かれただけだ。

 しかし、今は状況が変わった。


 東から想定外の敵が攻めて来ることが予想され、その途上に無人と化した城下町があるのだ。火を付ければ容易に燃え広がり、敵は海軍基地まで到達できなくなる。

 大火災になれば《火の精霊ファイア・エレメンタル》が顕現けんげんするかもしれないし、炎に《精霊エレメンタル》が宿って暴れ始めればその近くを素通りする事も消火する事も困難になるからだ。

 燃え盛る城下町はリクハルドへの絶対の防壁と化すだろう。


「よし!火をつける。

 全軍撤収準備!!

 街の西側から火を付けろ!!」


 オクタルはドナートの献策を受け入れ、撤収と放火の準備を始めた。

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