第1000話 突破口
統一歴九十九年五月十日、朝 ‐ 《
「
リクハルドの脳裏にクィントゥスの顔が浮かび上がる。
特務大隊……
リクハルドの街 《
正直、今でも納得しかねる事件だ。
たかが娼婦一匹の見受けに大隊長だの子爵公子の軍団長だのが出張って来るなんて普通に考えてあり得ない。仮に相手が
おまけに攫われたのはリュキスカ……普段は素直で気立てが良いのだが、下町育ちのせいか意地っ張りの跳ねっ返りで愛想は必ずしも良くはない。エレオノーラに聞いた話では子供の頃は気に入らないことがあれば相手かまわず噛みつく凶暴さで知られ、「
性格もアレだが見た目も痩せっぽちで、アルビオンニウムで働いていた頃から娼婦としての人気はイマイチだった。おまけに父親の分からない赤ん坊を
どう考えても、リュキスカなんて女が誰かに
そのリュキスカも今では上級貴族の仲間入りを果たしており、
それだというのに、その御大尽の正体は未だに謎のままだ。手前の店から女を攫われた上、その事件の揉み消しを依頼されたリクハルドが
何とかそのスキャンダルに食い込もうと、ありとあらゆる手を尽くしているのに一向に食い込めない。もうすぐ一か月だというのに手がかりすらロクに得られない。そして、そのリクハルドの探索の前に立ちはだかるのが特務大隊だった。
まさに鉄壁だった。その鉄壁に近いところで「面白い話」……興味がわかないわけがない。背中越しでもハッキリ分かるほどリクハルドが興味を示すと、ラウリは脚を速めてリクハルドに並び、声を
「へぃ、どうも事件の前らしいんですが、例の
それも八人
「レーマ軍ってのぁ、褒美も刑罰も
八人
リクハルドはあからさまに
レーマ軍では兵士の連帯感を高めるため、一人の兵士が手柄を立てればその兵士の十人隊全員が褒美を貰え、一人の兵士が不始末をしでかせがば同じ十人隊の全員が罰を受けることになっている。十人隊の八人全員が罰せられるというと何か大変なことのようだが、それ自体は不思議でも何でもなくよくあることだった。ただ、八人全員が奴隷に堕とされるとなるとまた話は別なのだが……。
「そうなんですがね、その八人が八人とも
ラウリのその一言に一度は薄れかけたリクハルドの興味が再び強くなる。
「なんでぇそいつぁ!?
アソコにゃ今、大事な大事な御大尽様がいらっしゃるんじゃねぇのかよ?」
軍命に背いて奴隷に堕とされた兵士が売られもせずに働き続けること自体はそれほど不可解な話ではない。元・凶悪犯や主人に逆らいやすい反抗的な奴隷などは、どれほど優れた技能を持とうと、どれほど健康で屈強な肉体を持とうとも、どれほど素晴らしい美貌を持とうとも、まず買い手がつかない。すぐに主人を裏切りそうな奴隷など、わざわざ高い金を出して買おうとする者などいないからだ。売り手が見つかるまで雑用をさせるのはあり得る話である。だが、問題はその奴隷たちが働かされている場所だ。
マニウス要塞の陣営本部にはリュキスカとリュキスカを攫った謎の貴族が
わざわざ一個大隊を新たに編成して警備に専従させてまで厳重に匿わねばならないような大貴族がいるところに、軍命を犯して奴隷に堕とされた元・兵士を働かせる? ……常識的に考えてまずあり得ない。
「そうなんですがね。
でも、どうやら間違ぇ無ぇようなんで。
これぁ何人かの
ラウリが自信たっぷりに断言するとリクハルドは再び表情を
……
正面を見据えたままリクハルドは着流しの
「ラウリ」
「へい」
「その奴隷どもの身元は分かってんのか?」
「もちろんで!」
その奴隷たちに接触出来れば、何か手がかりが得られるかもしれない。罰せられて奴隷に堕とされた奴なら現状に不満を抱いている筈。八人が八人ともとは言わないが、一人くらい不満を聞いてやる振りをしてやれば、口を割るだろう。そうすれば、あの鉄壁の警備の内側で何がどうなっているのか、知ることが出来るはずだ。
しかしリクハルドの
「ただ、八人が八人とも、
実際にはネロたちは何度か公用で要塞の外へ出てもしているし、リクハルドもラウリもクィントゥスやリュキスカに付き添っている姿を直接見てもいたのだが、リクハルドもラウリもそれらが件の奴隷だったとは気づいていない。また今も八人のうち三人がルクレティアの護衛として出ているのだが、さすがにそこまでの情報はラウリも掴んでいなかった。
リクハルドはせっかく掴めそうなチャンスが実際には手の届かないところにあると聞かされ、あからさまなガッカリ顔を作って舌打ちした。
「なんでぇ、それじゃ意味無ぇじゃねぇか!
どこが面白ぇ話なんだよ!?」
「面白い話ってのはここからなんでさぁ。」
ラウリは
「その奴隷の内の一人の母親がですね、最近になって息子が奴隷になったことを知ったとかで、息子を買い戻そうとしてるらしいんですよ。」
リクハルドは脚を止め、横を歩いていたラウリを見下ろした。その表情は先ほどまでとはガラリと変わっている。
「で、どうなんでぇ!?
その母親ってぇのは、金を
奴隷は決して安い買い物ではない。いくら買い手がつかない不人気の奴隷であっても、奴隷は最低価格が法で定められているから絶対に安売りはされない。奴隷の生活の面倒を見れるだけの経済力を持つ人間にしか買えないようにするためだ。そして奴隷はどれだけ安くても平均的な
ラウリはニッと笑った。
「それが全然……その母親、息子を出世させるために親戚に借りてまでして方々へ金バラ撒いたそうで、今じゃほぼ文無し。旦那も先立たれているから借金しようにも出来ねぇそうで……」
レーマ帝国では女性は金を借りれない。女性には財産権も相続権もあるが、保証能力が認められていないのだ。親戚や友人が個人的に金を貸すことはあっても、まともな商人や金融業者から金を借りることはできない。なので金を借りようと思ったら配偶者や父親などに保証人になってもらわねばならないのだが、その配偶者に先立たれて親戚からももうこれ以上借りれないという状況であれば、息子を買い戻す金の工面は絶望的だろう。
ラウリの目論見に気づいたリクハルドは、まるでラウリの感情が移ったかのようにニヤリと笑った。
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