第1000話 突破口

統一歴九十九年五月十日、朝 ‐ 《陶片テスタチェウス》/アルトリウシア



特務大隊コホルス・エクシミウスの近ぇところ?」


 リクハルドの脳裏にクィントゥスの顔が浮かび上がる。

 特務大隊……アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア内に新設された大隊コホルスだ。元はどうやら第一大隊コホルス・プリマの兵士らを部隊単位で分離したものらしい。そしてそれを指揮する大隊長ピルス・プリオルがクィントゥス・カッシウス・アレティウス。まだ二十代の若造が新設部隊の大隊長とは、かなりな大抜擢と言っていいだろう。ラウリに調べさせたところ、実際に優秀な百人隊長ケントゥリオだったらしい。が、胡散うさん臭いことには変わりない。

 

 リクハルドの街 《陶片テスタチェウス》から娼婦を一人さらい、その犯人の代わりに攫った娼婦とその赤ん坊の見受けを申し込みに来たのがクィントゥスだった。おまけにそのクィントゥスの見受けの申し出に軍団長レガトゥス・レギオニスのアルトリウスが自らサポートに入っている。


 正直、今でも納得しかねる事件だ。


 たかが娼婦一匹の見受けに大隊長だの子爵公子の軍団長だのが出張って来るなんて普通に考えてあり得ない。仮に相手が貴族ノビリタスで身分を隠したいから代理人に交渉させるにしても、自前の使用人を寄こすのが普通だ。


 おまけに攫われたのはリュキスカ……普段は素直で気立てが良いのだが、下町育ちのせいか意地っ張りの跳ねっ返りで愛想は必ずしも良くはない。エレオノーラに聞いた話では子供の頃は気に入らないことがあれば相手かまわず噛みつく凶暴さで知られ、「雌狼犬リュキスカ」というとんでもない名前のせいで女の子ながら近所の男の子たちとはしょっちゅう殴り合いの喧嘩を繰り返しており、狂犬のように恐れられていたという。

 性格もアレだが見た目も痩せっぽちで、アルビオンニウムで働いていた頃から娼婦としての人気はイマイチだった。おまけに父親の分からない赤ん坊を身籠みごもって働けなくなった上に、出産後は母子そろって肺病をわずらい借金まみれ……このままではマズイと危機感を募らせ、ようやく仕事に復帰したばかりだった。ハッキリ言って落ち目の女である。


 どう考えても、リュキスカなんて女が誰かに見初みそめられるなんて考えられない。だがあの日、『満月亭』ポピーナ・ルーナ・プレーナを訪れた例の御大尽おだいじんはリュキスカを攫い、さらにめとったという。チラリとリュキスカの姿を見せても貰ったが、確かに見たことも無いくらい上等な服を着させられていた。馬子まごにも衣裳いしょうとは言うが、馬車の上に立つその姿は生まれついての上級貴族パトリキではないかと疑りたくなったほどだ。しかし、ラウリが言うには間違いなくリュキスカ本人であり、死にかけていたはずの赤ん坊も抱いていた。

 そのリュキスカも今では上級貴族の仲間入りを果たしており、法務官プラエトルのアグリッパ・アルビニウス・キンナでさえ、もうおいそれと口を利けない身分になってしまったという。


 それだというのに、その御大尽の正体は未だに謎のままだ。手前の店から女を攫われた上、その事件の揉み消しを依頼されたリクハルドが蚊帳かやの外に置かれっぱなしなのである。

 何とかそのスキャンダルに食い込もうと、ありとあらゆる手を尽くしているのに一向に食い込めない。もうすぐ一か月だというのに手がかりすらロクに得られない。そして、そのリクハルドの探索の前に立ちはだかるのが特務大隊だった。

 くだんの御大尽とリュキスカは間違いなくマニウス要塞カストルム・マニ陣営本部プリンキパーリスにいる。そこまでは掴めている。だがその奥に手が届かない。陣営本部周辺は特務大隊が常に警備に立ち、厳重に封鎖していて誰も近づけないのだ。そしてじゃあその特務大隊の軍団兵レギオナリウスを取り込んで情報を収集しようにも、特務大隊の兵士はほとんど誰も要塞カストルムから出てこない。要塞内に自分たち専用の酒保しゅほを設置し、食事からシモの世話まで全部自前で調達してしまっていて軍団兵にも付け入る隙が全く無いのだ。おまけにその酒保も特務大隊の将校の身内によって運営されており、こちらも付け入る隙が無い。


 まさに鉄壁だった。その鉄壁に近いところで「面白い話」……興味がわかないわけがない。背中越しでもハッキリ分かるほどリクハルドが興味を示すと、ラウリは脚を速めてリクハルドに並び、声をひそめて話を続ける。リクハルドも身体をラウリの方へかしげて聞き耳を立てた。


「へぃ、どうも事件の前らしいんですが、例の特務大隊コホルス・エクシミウスの兵士が軍命に背いたとかで奴隷に堕とされてんですよ。

 それも八人一遍いっぺんに。」


「レーマ軍ってのぁ、褒美も刑罰も十人隊コントゥベルニウムごとだそうじゃねぇか。

 八人一遍いっぺんにってのぁそういうこったろ?」


 リクハルドはあからさまにいぶかしんでみせた。

 レーマ軍では兵士の連帯感を高めるため、一人の兵士が手柄を立てればその兵士の十人隊全員が褒美を貰え、一人の兵士が不始末をしでかせがば同じ十人隊の全員が罰を受けることになっている。十人隊の八人全員が罰せられるというと何か大変なことのようだが、それ自体は不思議でも何でもなくよくあることだった。ただ、八人全員が奴隷に堕とされるとなるとまた話は別なのだが……。


「そうなんですがね、その八人が八人ともマニウス要塞カストルム・マニ陣営本部プラエトーリウムで働いてるそうなんでさ。」


 ラウリのその一言に一度は薄れかけたリクハルドの興味が再び強くなる。


「なんでぇそいつぁ!?

 アソコにゃ今、大事な大事な御大尽様がいらっしゃるんじゃねぇのかよ?」


 軍命に背いて奴隷に堕とされた兵士が売られもせずに働き続けること自体はそれほど不可解な話ではない。元・凶悪犯や主人に逆らいやすい反抗的な奴隷などは、どれほど優れた技能を持とうと、どれほど健康で屈強な肉体を持とうとも、どれほど素晴らしい美貌を持とうとも、まず買い手がつかない。すぐに主人を裏切りそうな奴隷など、わざわざ高い金を出して買おうとする者などいないからだ。売り手が見つかるまで雑用をさせるのはあり得る話である。だが、問題はその奴隷たちが働かされている場所だ。

 マニウス要塞の陣営本部にはリュキスカとリュキスカを攫った謎の貴族がかくまわれている。それは今までの調査から間違いない。特務大隊の任務はその警護と秘密の保持であり、そのためにネズミ一匹這い出る隙もないような厳重な警備が敷かれている。そんな場所にそんな奴隷たちが働かされているというのが事実だとしたら、実に不可解なことだった。


 わざわざ一個大隊を新たに編成して警備に専従させてまで厳重に匿わねばならないような大貴族がいるところに、軍命を犯して奴隷に堕とされた元・兵士を働かせる? ……常識的に考えてまずあり得ない。


「そうなんですがね。

 でも、どうやら間違ぇ無ぇようなんで。

 これぁ何人かの軍団兵レギオナリウスたちから同じ話が聞けてるんで裏ぁ取れてやす。」


 ラウリが自信たっぷりに断言するとリクハルドは再び表情をけわしくして訝しむ。ただし、今度はラウリの報告を訝しんでいるのではない。


 ……貴族どもアイツ等要塞カストルムで一体何をやってやがるんだ?


 正面を見据えたままリクハルドは着流しのたもとから腕を出し、自分の顎をさする。


「ラウリ」


「へい」


「その奴隷どもの身元は分かってんのか?」


「もちろんで!」


 その奴隷たちに接触出来れば、何か手がかりが得られるかもしれない。罰せられて奴隷に堕とされた奴なら現状に不満を抱いている筈。八人が八人ともとは言わないが、一人くらい不満を聞いてやる振りをしてやれば、口を割るだろう。そうすれば、あの鉄壁の警備の内側で何がどうなっているのか、知ることが出来るはずだ。

 しかしリクハルドの目論見もくろみは指示となって口から出て来る前にラウリによって否定される。


「ただ、八人が八人とも、陣営本部プラエトーリウムに閉じこもって出て来やがらねぇんで……」


 実際にはネロたちは何度か公用で要塞の外へ出てもしているし、リクハルドもラウリもクィントゥスやリュキスカに付き添っている姿を直接見てもいたのだが、リクハルドもラウリもそれらが件の奴隷だったとは気づいていない。また今も八人のうち三人がルクレティアの護衛として出ているのだが、さすがにそこまでの情報はラウリも掴んでいなかった。

 リクハルドはせっかく掴めそうなチャンスが実際には手の届かないところにあると聞かされ、あからさまなガッカリ顔を作って舌打ちした。


「なんでぇ、それじゃ意味無ぇじゃねぇか!

 どこが面白ぇ話なんだよ!?」


「面白い話ってのはここからなんでさぁ。」


 ラウリは悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべる。


「その奴隷の内の一人の母親がですね、最近になって息子が奴隷になったことを知ったとかで、息子を買い戻そうとしてるらしいんですよ。」


 リクハルドは脚を止め、横を歩いていたラウリを見下ろした。その表情は先ほどまでとはガラリと変わっている。


「で、どうなんでぇ!?

 その母親ってぇのは、金を工面くめんできそうなのかよ!?」


 奴隷は決して安い買い物ではない。いくら買い手がつかない不人気の奴隷であっても、奴隷は最低価格が法で定められているから絶対に安売りはされない。奴隷の生活の面倒を見れるだけの経済力を持つ人間にしか買えないようにするためだ。そして奴隷はどれだけ安くても平均的な平民プレブスの年収くらいの値がつくため、そうおいそれとは買い戻せない。奴隷に堕とされた身内を買い戻そうと試みる人間は少なくないが、実際に買い戻しに成功できる者は貴族か裕福な貴族の被保護民クリエンテスに限られていた。

 ラウリはニッと笑った。


「それが全然……その母親、息子を出世させるために親戚に借りてまでして方々へ金バラ撒いたそうで、今じゃほぼ文無し。旦那も先立たれているから借金しようにも出来ねぇそうで……」


 レーマ帝国では女性は金を借りれない。女性には財産権も相続権もあるが、保証能力が認められていないのだ。親戚や友人が個人的に金を貸すことはあっても、まともな商人や金融業者から金を借りることはできない。なので金を借りようと思ったら配偶者や父親などに保証人になってもらわねばならないのだが、その配偶者に先立たれて親戚からももうこれ以上借りれないという状況であれば、息子を買い戻す金の工面は絶望的だろう。

 ラウリの目論見に気づいたリクハルドは、まるでラウリの感情が移ったかのようにニヤリと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る