第999話 ラウリとリクハルド

統一歴九十九年五月十日、朝 ‐ 《陶片テスタチェウス》/アルトリウシア



 おうっ、なんでぇラウリ、こんなトコで何してんだ!? 何してんだじゃねぇですよカシラぁ、カシラを迎えにきたんじゃねえですか! おうっ、そいつぁご苦労なこったな。じゃあ帰ぇろうかい!? 二日酔いは、もう良いんですかい!? おぅ、水風呂ぇったらだいぶマシんなった。 ならカシラ、朝飯食っていきやしょうや。あねさん用意してくれてやすよ? いや、そんなもんいいよ。ホラ、とっとと行くぞ! そんなカシラ、せっかく姐さん用意してくれてんのに、食っていかねぇんですかい? 馬鹿やろ、二日酔いで何も食えねぇよ! 蕎麦粥カーシャくれぇすすっていきゃぁいいじゃねえですか、ちょっとカシラァ!!


 風呂から上がったリクハルドは一人で蕎麦粥を啜っていたラウリを見つけると、何が居心地悪いのかラウリを捕まえて強引にエレオノーラの家を後にした。エレオノーラは蕎麦粥を啜るラウリに横からありがたくも無い愚痴をずっと溢して聞かせていたのだが、リクハルドが現れるとプイッと横を向いて黙り込み、リクハルドが出ていくまで意地を張ってだんまりを決め込む始末。後からラウリが聞いた話では、エレオノーラはリクハルドがラウリを引っ張って出て行ったあとで玄関先に塩を撒いていたらしい。塩が高価で貴重なアルビンニアでは少しばかり考えられない行為である。レーマに塩を撒くという風習はないが、エレオノーラの生まれ育った南蛮では魔除けで塩を撒く風習があるからそれだろう。


「でぇ、カシラぁ何であねさん、あんなに機嫌悪かったんです?」


 勢いよく玄関を出た後、ズンズンと肩で風切るように大股で歩いていたリクハルドが、角を曲がってエレオノーラの家が見えなくなってから歩調を普通に戻したのを見計らい、頭の後ろに両手を組んでリクハルドの後をついて歩くラウリが溜息交じりに尋ねる。


「ああっ!?

 知るかよそんなの、俺ッチの方が訊きてぇくれぇだよ!」


「ふぅ~ん」


 朝飯を食べてる間ずっとエレオノーラの愚痴を聞かされていたラウリはもちろん何が理由だか分かっていた上でカマをかけたわけだが、リクハルドの反応に内心「こりゃ機嫌も悪くなるわ」とエレオノーラに同情する。


昨夜ゆんべカシラを連れてった時ゃあ、あねさんの機嫌すこぶる良かったんですがねぇ。」


「おう、それよ!!」


 リクハルドは急に立ち止まるとバッと後ろを歩いていたラウリの方に振り返る。ラウリも驚いて立ち止まった。


「お前ぇ、何で俺ッチをエレオノーラあいつに連れてったんだよ!?」


「なんのこってす!?」


 ラウリがとぼけるとリクハルドはラウリに詰め寄る。


「とぼけんな!

 昨夜ゆんべ、宴会の後で俺ッチをエレオノーラあいつに連れてったのお前ぇだろ!?」


 ティトゥス要塞カストルム・ティティで開かれた宴会にリクハルドの付き人としてついて行ったのはラウリだ。もちろん、他にも供回りの人間はいたが、随行者の中で一番偉いのはラウリなのだから、他の付き人たちはラウリの指示に従っていたはずである。酔ったリクハルドを馬車に乗せて連れて帰る……その指揮を執っていたのがラウリなのだから、リクハルドが自宅ではなくエレオノーラの家に泊まることになったのはラウリの計らいに違いなかった。


「何言ってんすかカシラァ!

 カシラがあねさんに泊まるって言いだしたんですよ!?」


 頭の後ろに組んでいた手をほどき、ラウリはいかにも心外だと言わんばかりに驚いて見せる。


「うっ、嘘つけぇ!

 俺ッチがそんなこと言うわけねぇじゃねぇか!!」


「嘘じゃねぇですよ!

 憶えてねぇんですかい!?」


「う!?」


 押しても引かず、むしろ反発してくるラウリにリクハルドもたじろいだ。そんなはずはない……ラウリに反論したいが実際に昨夜の記憶がないから強く出れない。実際、馬車の中でガァガァとイビキをかいて寝ているリクハルドを問答無用でエレオノーラの家へ連れ込んだのはラウリの独断だった。だがラウリはラウリでリクハルドの酔い方からリクハルドは絶対に今夜のことを憶えてないと確信があったし、これが二人のためだという確信もあったのでリクハルドに対して嘘をつきながらも後ろめたさをまるで感じさせないほど強く出ることが出来ていた。リクハルドの手下ながらリクハルドと付き合いが最も長く、かつリクハルドより年長のラウリにしかできない荒業と言えるだろう。


「どうなんです、憶えてねぇんですかい?」


 やはりリクハルドに昨夜の記憶がないことを悟ったラウリは自信を深める。そして大袈裟に呆れて見せた。


「あーあー、こりゃあねさんも機嫌が悪くなるわけだぁ」


「なっ、何がだよ!?」


 先ほどまでの勢いはどこへやら、リクハルドはいつもの演技すら忘れて素の表情が出てしまっている。記憶がないくせに自分がという心当たりはあるので自信を持ちようが無いのだ。


「そりゃそうでしょうよ!

 せっかくカシラが来てくれたってぇあねさん随分喜んでくれてたってぇのに、朝になってみりゃぁそのカシラがぁんも憶えてねぇってぇんじゃあねさんの立つ瀬が無ぇじゃねえですか!?」


「う、うるせぇや……

 エレオノーラあいつぁだって、朝から機嫌悪かったぜ?」


 身に覚えのない……こともないけど記憶にないことを責め立てられ、リクハルドは完全に弱り切っていた。精一杯の反論も、却ってラウリを呆れさせるだけである。


「そりゃ起きしなにいきなりゲロ吐いたりすっからでしょ!?」


「な、何でお前ぇがそんなこと知ってんだよ!?」


あねさんが溢してたからですよ!」


「ぐっ……」


「カシラだってそれで朝から風呂入ってたんでしょ!?」


「ぐぬぬ……」


 これ以上は何をやっても無駄だ……完敗を悟ったリクハルドはクルッと身を翻し、再び歩き始める。ラウリはそれを見て溜息一つつくと後をついて歩き始めた。


 ったく、四十にもなって一回り下の娘っ子相手に何やってんだか……


 思えばリクハルドは昔っからそうだった。力はある。勇気もある。知恵も回る。戦えば誰よりも強い。だというのに女子供が相手になると途端に臆病になる。決して女を怖がっているとかいうわけではない。海賊だった頃、そしてアルビオンニウムへ流れ着いてギャングとして縄張りを拡げていた頃、リクハルドは女を抱いたことも女を殺したこともあった。しかしどうも、家庭を持とう、幸せになろうというような意欲が無い。むしろ幸せになることに何か引け目を感じているようだ。エレオノーラのことを人一倍気にかけ、面倒を見てやり、店まで持たせてやった。エレオノーラと寝てもいる。だというのに娶ってやろうとはしない。ラウリにはそれが分からなかった。


「あーあ、あの蕎麦粥カーシャも美味かったのになぁ!

 ありゃあたっぷりの貝で贅沢に出汁とってましたよ?

 ルディテイプかなぁ?

 いや、多分シレニダエだなぁ~。

 ありゃぁ二日酔いにゃあイイって聞きますからねぇ。

 きっと二日酔いで苦しいカシラの身体を思ってわざわざ用意してたんでしょうに!

 いやぁ、勿体もったいねぇ勿体もったいねぇ」


「でっ、ラウリ!」


 大柄な体格を活かしてふんぞり返って歩けば恰好いいのに、わざと背を丸めて小悪党を演じるリクハルドは歩きながら、ラウリのなじりを打ち消すように背中越しにラウリを呼びつけた。


「ヘイッ!?」

 

「わざわざ迎えに来たってこたぁ何かあったんじゃねぇのかぃ?」


 リクハルドとエレオノーラをくっつけてしまいたいラウリとしては酔い潰れたリクハルドがエレオノーラの家に泊まったその結果を見るためだけでも十分朝から迎えに行く理由にはなっていたわけだが、もちろんホントにそれだけで行ってそれがリクハルドにバレでもしたらマズいことぐらいはラウリもちゃんとわかっている。当然、それなりのアリバイも用意してあった。

 ラウリは気持ちを仕事モードに切り替える。


「ヘイッ、それが例の特務大隊コホルス・エクシミウスちけぇところで面白れぇ話を聞きやしてね。」

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