第998話 外出の理由

統一歴九十九年五月十日、朝 ‐ マニウス要塞陣営本部プリンキパーリス・カストリ・マニ/アルトリウシア



「……外出の許可だ?」


 クィントゥスはわずかに怪訝けげんに顔を歪める。無論、ネロの言わんとしていることを理解できないわけではない。リュウイチの奴隷であるネロがクィントゥスに外出許可を求めるのは的外れなことではなかった。


 リュウイチの降臨と存在を秘匿するため、アルビオンニウムに派遣されてリュウイチの降臨を知ってしまった第一大隊コホルス・プリマの約半数には厳重な外出制限がかけられている。彼らの口からリュウイチのことがウッカリ外部へ漏れたりするのを防ぐためだ。アルビオンニウム派遣隊が第一大隊から分離され、特務大隊コホルス・エクシミウスとして独立した大隊コホルスに再編されたのも、リュウイチのことを知ってしまっている軍団兵レギオナリウスたちを管理しやすくするために他ならない。どうせリュウイチの存在を秘匿するために厳重な警備体制を敷くのならば、わざわざまだ何も知らない兵士を連れてきて任務に就かせるよりも、既に知ってしまっている兵士らに専従さた方が彼らを管理しやすくなるし秘密を知る人数も増やさずに済む。それに兵士ら一人一人に秘密を守る責任と目的意識を持たせることができ、秘匿体制の補強にもつながる。

 そうした経緯から若くして大隊長ピルス・プリオルへ異例の昇進を遂げたクィントゥスは、陣営本部プリンキパーリス周辺の警備はもちろん軍団兵たちの外出や手紙の検閲に至るまで、リュウイチ周辺の警備と秘匿保持に関するあらゆる業務の責任を担っていた。そして、その対象にはリュウイチの奴隷となったネロたち八人の元・兵士らたちも含まれていたのである。

 特務大隊の将兵はもちろん、ネロたちもクィントゥスの許可がなければ要塞カストルムの外へ出ることはもちろん、手紙を出すことすらできないのだ。ネロもそれがわかっているから、こうしてクィントゥスに許可を求めてきているのであろう。


 ただ、クィントゥスに分からないのは何故、今このタイミングでネロが外出を求めて来たかだった。

 基本的に特務大隊の軍団兵は外出禁止になっているが、妻子のある軍団兵については特例で外出許可を出している。クィントゥス自身も幾度か家に帰り、家族に会ってもいた。アルビオンニウムから帰ってきているのに、家族でさえ全く会えないという状態が続けば、さすがに怪しまれもするだろうし人々の注目を却って集めてしまいかねないからだった。もちろん、様々な制限を設けたうえでの話で、無制限に要塞の外へ出れるわけではない。

 しかし、リュウイチの奴隷になった八人についてはまだ外出許可を出したことがなかった。彼らの中で妻子を持つ者は一人もいなかったし、外出できるのは基本的に妻子のある者が妻子に会いに行く場合だけという話は最初からしてあったので、そもそも外出許可を求めて来る者がこれまでいなかったのである。


 クィントゥスは身体を右に傾けて頬杖をついた。


「何のために?

 誰に会いに行く?」


 妻子の無い者には外出許可を出さない。手紙を出すのは許可するが検閲はする。それが今の方針だ。曲げたことは無い。もちろん公務は別だ。リュキスカやルクレティアに関することで奴隷たちが外出しているのはあくまでも公用扱いで、私用とは話が別である。

 公用でももちろん警備の都合上、クィントゥスが承認しなければならない点は同じだが、公用での外出許可申請であれば今のネロのような態度など取りはしないだろう。


「そ、その……母に……母に会いに行きます。」


マテル!?」


 躊躇ためらいがちに答えたネロにクィントゥスが驚くと、ネロは伏せていた顔をパッとあげてクィントゥスの顔を見た。


「はいっ!

 母が……知ってしまったんです。

 私が、奴隷になってしまったことを!!

 だからっ!」


 せきを切ったように話はじめたネロを、クィントゥスは手をかざして制した。クィントゥスに拒絶されたと感じたネロはそのまま言葉を飲み、続きを言いよどんでしまう。

 ネロが黙ったのを確認したクィントゥスは顔をしかめながら話し始めた。


「私用で外出許可が出るのは妻子に会いに行く時だけだ、ネロ。

 母親は妻でも子でもないだろう?

 外出許可は出せんよ。」


 予想は出来ていたとはいえ、あまりに冷たい反応にネロは絶句する。そのネロにまるで捨てられた犬みたいな目を向けられたクィントゥスは、その視線から呆れを装って顔を背けた。


「だいたい、手紙を出せば済む話だろう!?」


 頬杖をつき、壁際の調度品でも物色するように顔を背けたままクィントゥスがなじるように言うと、ネロは唇をギュッと結んで再び視線を床に落とした。


「手紙は……手紙では、ダメなんです。」


 クィントゥスは顔を背けた姿勢のまま、目だけをネロへ向ける。


「何でだ?

 今までだって母親に手紙を出してただろ!?」


 ネロはこれまで何度か母親に手紙を出している。クィントゥスはこれまでにもネロが出した手紙のいくつかについて、自ら検閲していたから覚えていた。それだけじゃなくネロが奴隷に落ちる前、ネロの母親は軍団レギオー内の幕僚トリブヌス百人隊長ケントゥリオたちに「息子をよろしくお願いします」というような内容の手紙と贈り物を出していたのだ。クィントゥス自身もそれを受け取った覚えがあるから、ネロの母親に手紙が通じないということはないはずだ。


「手紙は……手紙だと……伝わらないことも……

 いや、信じてもらえない……」


 ネロは手紙を書いていた。出していた。それは届いている。叔父のセウェルスの話からも、母がネロの手紙を読んでいたことは間違いない。だがネロはその手紙の中に自分が奴隷にされてしまったことは書いてなかった。隠していたのだ。特殊な作戦に参加することになったから当分帰れないけど心配しないで……そういう嘘で誤魔化そうとしていた。母からの返事の手紙の内容は、ネロの嘘を信じてくれているようだった。体に気を付けて、頑張ってね……そうねぎらいとはげましの言葉がつづられていたのだ。

 しかし現実は特殊作戦などではなく、軍命に背いて自分の十人隊コントゥベルニウムごと奴隷に堕とされていた。その手紙での誤魔化しがバレてしまったのだ。それでいて母からそれを問い合わせる手紙はネロの許へは届いていない。つまり、ネロの母はネロからの手紙を疑っている可能性がある。自分の許へ届いたネロの手紙がネロ以外の誰かによって書かれた偽物か、あるいはネロ自身が嘘を書いていると考えているのかもしれない。ともかく、ネロは手紙を出したとしても、おそらく信じてはもらえないだろうと考えていた。


 仮にそうではなかったとして、いったいどう書けばいいのだろうか?


 母からはネロが奴隷に堕とされたことを確認する問い合わせのようなものは来ていない。にもかかわらずネロの側から奴隷に堕とされた事について弁解するような手紙が届いたとしたら、ネロの母親側からしたらそれこそ信じられないのではないか? 


 何でネロこの子が隠そうとしていることを私が知ってしまったと、ネロこの子は知っているのか?


 ネロの弁解の手紙を受け取った母はそう疑問に思い、なおさらネロの手紙を疑ってしまうだろう。セウェルスが母からの問いかけに知らぬ存ぜぬで通している以上、ネロはネロ自分からだ。

 それよりなにより、もしも母を落ち着かせるために母が多少なりとも納得するように説明しようと思ったら、どうしたところでリュウイチのことに触れないわけにはいかない。だが、手紙でリュウイチのことに触れることはできない。そんなことが書かれた手紙など、クィントゥスも認めるわけもない。やはり、手紙ではダメなのだ。


「とにかく、直接会わなきゃいけないんです!!」


「ダメだ!」


 クィントゥスは椅子の肘掛けを手で叩いてネロを叱った。


「だいたい、会ってどうする!?

 降臨がありました、降臨者様にお仕えすることになりましたって言うつもりか!?」


 ネロは再び唇をギュッと結んだ。

 そう、手紙だろうが直接会ってだろうが、結局母を納得させるためにはリュウイチのことに触れないわけにはいかない。そこに触れずに母を落ち着かせようにも、まず納得しないだろう。そして、リュウイチのことに触れる可能性がある以上、ネロの外出をクィントゥスが認めるはずはなかった。

 そして、クィントゥスとしてはもう一つ、懸念せねばならない事柄があった。


「だいたい、何でお前の母上はお前が奴隷になったことを知ったのだ?

 お前はそのことをどうやって知った!?」


 そう、ネロが要塞の外の出来事を知っている。ネロが奴隷に堕とされたことは隊内では既に公表されていることだからネロの母に知られてしまうのは仕方のないことだが、のが問題だ。それはつまりネロが外部との接触を持っているということだからだ。もしそのルートを通じてリュウイチのことが漏れる可能性があるのであれば、その対策をせねばならない。


「それは……」


「それは?」


 ネロは躊躇ためらいがちにポツリポツリと答える。


「叔父上が……」


「叔父上?」


「はい、叔父のアヴァロニウス・ウィビウスです。」


「アヴァロニウス・ウィビウス……要塞司令官プラエフェクトゥス・カストルム付きの事務官カッリグラプスのか!?」


 クィントゥスは酒保開設の際に初めて出会い、世話になったセウェルスを思い出し、驚いた。ネロと同じアヴァロニウスという氏族名を名乗ってはいたが、アルビオンニアにはアヴァロニウス氏族は珍しくない。このため、まさか親戚だとは思っていなかったのだ。


「はい、その、叔父に聞きました。

 母が、私が奴隷に堕とされたことを知ったと……

 それで、ショックで寝込んでしまったと……」


 床に視線を落としたままのネロは気付いていなかったが、クィントゥスは驚いた表情のまま額に手を当てていた。


 そういえばコイツも一応、騎士エクィテスの家系だったか……


 沈黙が続き、不審に思ったネロがふと上目遣いでクィントゥスを見上げると、それに気づいたクィントゥスは咳ばらいをして姿勢を正した。


「う、うむ……事情は分かった。

 だが、やはり私の一存では許可は出せん。

 軍団長閣下レガトゥス・レギオニスに相談してみるので、今日はもう戻れ。」

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